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ふゆのさくら(11)
中村ちづ子
まもなく、久方に見る四季桜が姿を現わしてきた。春の桜ほど重たげではなく、ささやかに慎ましく咲き競う四季桜。
詩乃は晩秋に咲く桜を二人の出会いに重ねていた。春咲きの桜と違い、晩秋に咲く桜は分別をわきまえる年齢を迎えた自分たちの姿ではなかっただろうか。
車窓から風景を追いながら、詩乃は長い時間、遠い追憶に浸っていた。
碧空を背にした山肌、初めて訪れた日に交わした会話のいくつかが甦ってきた。
「似合わない煙草を燻らしていたあなたが、今日のあなたとは一見信じ難いですよ。ただ、あなたはどこか醒めていて、そのくせ孤独で、愛に渇いているようだった。したたかそうだけど、とても脆くて危うそうで」
佐伯はあの世へ駆け急いでしまったが、今の詩乃は、彼と出会った頃の自分ではないと言う自負があった。
遺作展は誰の力で実現したのだろう。詩乃は誰よりも本当は自分が開きたかった。最期まで病床で土をいじっていた姿が熱く瞼に焼き付いているからだった。
会えなくてもつらいと思わなかったのは、佐伯との時間が永遠に続く確信があったからだ。
詩乃が落ち着くと、可奈も浩太も落ち着いた。詩乃にあれほど反抗的だった浩太も、詩乃の血を多く受け継いだのか、目標の美術関係の仕事に進んだ。
浩太が美大を目指すと言った時、博史は浩太を殴った。子育ては詩乃任せだった博史にしては珍しいことだった。
「そんなに殴ることはないだろう。あんたは母さんの気持ちを覗こうとしたことがあるのか。仕事さえしていればいいなんてロボットだ。僕はあんたのようにはなりたくない」
「親に向かって何を言う。絵で飯が喰えるか。男はな、女房子供を喰わしていかなきゃならん。絶対許さん」
「浩太が本当にしたいと思うことをすればいい。若いのだもの。やり直しもきくもの。若い日の失敗は、母さんはお金を出してでもするべきだと思っているわ」
博史の拳が詩乃の顔をめざして何回飛んできただろう。
痛みから逃れようとしなかった詩乃の裡に、博史への詫びの気持ちがないとは言えなかった。
気が付けば、いつからか浩太の表情が柔らかく解けていた。
博史は定年まで五年を残し、会社を辞めた。
突如、博史から伝えられた話に、詩乃は驚きもしなかった。
「ジャイカの仕事でペルーに行くことになった。俺の技術が必要とされる場所があるようだから」
博史からは何の相談もなかったが、詩乃は博史の選択に拍手を送りたい気持ちになっていた。夫婦の形を維持してきた二人にとって、それが最良の選択だと思われた。
博史が空港を飛び立つ朝がきた。
若い頃の博史は、出張や旅行と言っても自分で荷物を整えることはなかったが、ペルーに向かう荷物は全部自分で整えた。
博史が、家族が揃った古い写真を一葉、アルバムから抜き取ったことを、詩乃は知っていた。
空港での別れ際、博史はぽつりと言った。
「子供たちを守ってくれてありがとう」
ペルーでの仕事は二年では終らなかったが、正月には戻ると連絡があった。
佐伯と詩乃の関係を、佐伯は必要悪だと言いきった。
(続く)
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必要悪???
2006/12/26(火) 午前 11:02
詩乃が強く変わって、博史も少し変わったのですね。これから詩乃はまた変わっていくのでしょうか…。続きが読みたい。
2006/12/26(火) 午後 3:55