四季の山歩き・春・多治見市廿原の里「大龍禅寺」
四季の山歩き・春・昭和の円空作??の仏像に出会う
2007年2月12日(月)快晴
岐阜県多治見市廿原の里に大龍禅寺がある。その寺には、昭和五十九年八十八歳で亡くなった十八世麒山忠麟和尚の彫った仏像が寺を訪れる参詣者に展示されている。
日差しの暖かな連休最後の日は、弥勒山山頂に集まった仲間たちも数えてみると13名にもなった。誰からともなく『大龍寺へ出掛けよう』と話もまとまり、久しぶりに岐阜県多治見市廿原への道を下った。途中、カンアオイの花芽を覗いたり、ツルリンドウの赤い実が残る群生を覗いたりと我々高齢者登山隊は長い隊列を作り、静かな山里を大龍禅寺へ向かった。
冒頭にも書いたように、大龍禅寺の和尚が、長期の病から立ち直り昭和四十一年四国八十八寺を二度目の巡礼をした後、発願し、仏の加護を信じ、十三年間に渡り日夜鑿を振るい八百体余りの仏像を彫り上げたと云う。その後NHKテレビの電波に乗り、全国から仏像を譲り受けたいとの申し込みが殺到したと云う。現在寺に保管されている仏像は約3百体とのことである。(多治見市観光協会調べ)
拝観した仏像は、和尚の人柄のなせる業かどの顔も柔和な笑みをたたえていた。
十三年間に渡り八百体余りの仏像を精魂こめて彫続けた作品だが、帰宅してネット検索をしてこれまた驚きだった。まったく見当たらないのだ。このブログを見た皆さんの中で興味をもたれた方はぜひ訪れて欲しい。東濃の静かな片田舎に埋もれる寺は、きっと皆さんの心を癒してくれることであろう。
一部多治見市観光協会の御協力を経て文章を作成した。
写真説明
1) 弥勒山麓の村に向かう仲間たち
2) 大龍寺全景
3) 神明山・大龍禅寺の瓦
4) 十八世麒山忠麟和尚の残した仏像
5) 上に同じ
6) 上に同じ
7) 上に同じ
8) 寺内にあった石仏
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安らぎを感じられる石仏なら見てもいいけれど、叫んだり・苦しそうな顔の石仏はちょっと見たくないです。。。
2007/2/14(水) 午前 10:54
優しい。。穏やかなお顔ですねw穏やかに心が静むようですw
2007/2/14(水) 午前 11:08 [ hii*agi**aor* ]
優しさや、厳しさ、など凄い。人の業を見事に表している様に感じました。一見したら、なんか深みに嵌まりそうです。
2007/2/15(木) 午後 11:20 [ fuji_shimizu ]
roseさん。確かに叫んだり怒ったり、牙を剥いたりしている仏像は見ていても恐ろしいと思いますね。この姿は仏になる前の悟りを開ききらない修行中の菩薩の姿を表しています。生ある人間の苦悩を、自ら変わって自分の苦悩に置き換え、一歩一歩如来に近付いてゆくのが菩薩なのです。(次に)
2007/2/16(金) 午後 4:31 [ 勝じいちゃん ]
この菩薩の姿を端的に現しているのが、渡岸寺の国宝「十一面観世音菩薩」像です。この菩薩増には頭の上に三つの菩薩、三つの瞋面(しんめん:怒り)、三つの狗牙出面(くげでめん:犬牙をむく)一つの大笑面を後方に、頭上に一つの仏面を乗せています。つまり、生ある人間の人間的 な姿をし、苦悩を持つ者を救い、自ら仏への修行をしている方です。このように解釈して仏像を拝観すると、牙を剥く恐ろしいお姿も自分の心を映し出していて、悩みを汲み取ってくれていると考えれば自ずから手を合わせたくなると云うものではないでしょうか。
2007/2/16(金) 午後 4:53 [ 勝じいちゃん ]
かおるさん。顔は心の鏡と言いませんでしたか?。私たち人間も慈悲に満ちた仏の顔を持ちたいものですね。
2007/2/16(金) 午後 4:58 [ 勝じいちゃん ]
simizuさん。業があるから人間かもしれませんね。終生悩み苦しみを背負って生きるその心の中を写しでしているのが仏の顔と考えれば救われますね。
2007/2/16(金) 午後 5:01 [ 勝じいちゃん ]
大変興味を持ちまして・・・のんびり頬杖付いた石仏のお顔がいいですね。素敵なものを見せて頂き・・・☆!
2007/2/23(金) 午前 0:32