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愛知県尾張地方に伝わる山姥の話 8
その三の六)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話
月日は流れ、与八朗の子供建ちも大きく成長した。長男宮丸は一八才になり名も与九郎を襲名貞宗を名乗っていた。弟の京丸も一六才になって名を与四郎貞光と改めていた。
二人の兄弟はすでに立派な大人となり、兄弟のなかも良く互いに助け合って、父の事業を助け与八郎に劣らず利発であった。
ただ二人の兄弟は、幼少の時の母との別れを知らずに過ごしてきた。二人が母の事を尋ねてみても親戚も友達もまして父親も何も明かしてくれなかったのである。
月日はまたも流れ、永仁ニ年(1294)八月亡き玉の二十三回忌の法要が盛大に行なわれた。ここ数年前から毎年命日が近付くと必ず尋ねてくれた旅の老僧がぴたりと小池家の門前に現れなくなっていた。
与八郎は言葉には出さないものの、心の中で毎年訪れてくれていた僧を玉の実父だと思っている。目元などは生前の玉とそっくりであったし、玉がこの屋敷に始めて来たときの言葉の訛りは、僧が語る話の中に幾つも入っていたからでもあった。
処がこの日、何時ものように旅の老僧が二人の若い僧を伴って門口に立った。そして読経が終わりになると何時ものように良く透きとおる声で心経を若い僧と唱和し皆に暇を告げると静かに立ち去っていった。
その夜与八郎は二人の子供を部屋に招くと「今まで二人には何も言わなかったし、お前達から尋ねられてもしかとした答えをようしななんだが、今日こそ母さんと私の秘密をお前達に包み隠さず話をするときが来たと思っている。
お前達も知っているように、今日尋ねて下さった旅のお坊さんは、私も尋ねた事はないが、恐らくお母さんのお父さんでは無いかと私は思っている。そのお方はお前達のお爺さまでもあるのだ。そして一緒に来られたお二人のお坊様の一人は恐らくお前達とは兄弟かあるいは従弟になるに違いない
と言うのも、お母さんがこの屋を去られたとき、お母さんのお腹の中にはお前たちの弟かあるいは妹がいたからだ。」
与八郎はそっと目頭を拭くと話の続きを始めた「お前達のお母さんも、亡くなって二十三年を過ぎた。もうお前達のお爺様もあのように老いられた。来年も来られる保証は何も無いと思うし、今日来られたのは私やお前達に血の繋がった兄弟かあるいは従弟かは知らないがお二人をお前達に合わせもしてくださった。私はそれらのことを思うと、お爺様は最後の別れをされたやもしれん。
お母さんもお前達がこんなに大きくなって私や村の衆に良く善行を尽くしてくれている事をきっと喜んでくれていることだろうと思う」と、自分の過去と母の過去を話終えた。じーっと聞いていた二人の息子の目から、大粒の涙が止め処もなく二人の膝を濡らしていた。
「・・・父上。私はなにかがあるとは、うすうす感じていました。いくら尋ねても村の人も私の友達も皆口をつぐんで教えてくれませんでした。もしやお母さんは亡くなられたのではなく何処かで私達の事を見てくださっているのですね。そして、事情は分らないけれども新造殿は出家して母上の菩提を弔ってくださっている。いまさらうらむ事もしない」と二人の兄弟は悲しみをこらえ口々に伝えた。
=続く=
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