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2006年10月25日 | 2006年10月27日
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伊吹山花の歳時記・秋・ホソバツルリンドウ・(絶滅危惧類) 伊吹山花の歳時記・秋 ホソバツルリンドウ リンドウ科 ホソバツルリンドウ属 伊吹山お花畑の中に咲いていた。ツルリンドウに似ているが、花の大きさといい、咲いている場所といい少し違う。ザックから図鑑を出して調べてみたが、この花に似た花は見つからなかった。 改めて植物園の先生を訪ね、教えを頂いた。 【牧野植物図鑑】を抜粋 「ホソバツルリンドウ」は、アジア大陸のアムール地方に分布し、日本では北海道から四国でまれに見る蔓性の2年草。絶滅危惧1B類に指定されている。茎は長く、蔓状で他の物に巻きつく、葉は皮針形ないし線状皮針形、花期は盛夏から晩秋まで、花冠は青淡紫色
四季の山歩き・秋・同行二人、遍路の旅 四季の山歩き・秋 四国遍路・駆け歩き 2006年10月24日(火) 10月24日四国遍路をかいま歩いてきた。歩くと言ってもバスでの移動、寺から寺の山門前までの移動だけのこと、歩く距離から考えれば毎度歩く山歩きの1/100にも満たない距離なのだが、正直疲れた。 乳白色の空の色をそのまま写した鳴門海峡、白い波頭を立てているのは鳴門の渦潮だと説明を受けたが、想像したほどにスケールが小さかった。そのうず潮の上を大鳴門橋の太い鋼鉄のワイヤーが美しい曲線を描き4キロに及ぶ長大な橋を吊り下げている。日本が誇る橋梁技術の優秀さをまざまざと見せ付けられた。 対岸の徳島県がぐんぐん迫る。小高い丘の上に、小さく岡崎城も見える。かっては四国の玄関口とされた撫養港(むやこう)はどの辺りか、中京や関西方面からのお遍路もこの港から四国の第一歩を印したに違いない。私たちは、現代の武器で何の苦労もなく四国の地を踏んだ。 四国八十八箇所遍路の旅とは、空海上人が修行した八十八の霊場を順次尋ねめぐる旅を「お遍路」と言う。近年旅ブームの人気の凄さは並みの域をはるかに抜け出している。道も無いような秘境への温泉の旅とか、地底への旅、南極大陸や北極圏への旅、究極は月旅行である。これらは旅ではなく生死をかけた冒険である。 この生死をかけた冒険の旅がすでに平安時代にあった。国語辞典で【遍路】を検索すると祈願のため四国の弘法大師の修行した八十八個所の霊場を巡り歩くこと、またその人、巡礼。とあり【遍路の起源】で検索してみると「今昔物語集」と「梁塵秘抄」に「仏の道を行ける僧」「四国の辺地」「海辺の廻地」「海辺の辺地」などの部分を認める。 これらの史料から、すでに平安時代の末期には四国の海辺を巡礼する道があり、修行僧らしき人々が何らかの目的を持って長期間歩いていたことが伺える。 四国巡礼の遍路の旅を垣間見て思ったことだが、一番札所霊山寺には、これから巡礼に向かう、お遍路さんの「遍路グッス」が売られていた。つまりお遍路さんの正装と言うべきか。 このグッスの中で最も重要なものが、白木で作られた金剛杖。この杖を持ち杖を突き巡礼の旅をすることにより、弘法大師の分身と共に旅をすることになる。つまり「同行二人」である。 私たちと同行した先達氏の話では、杖の減り具合でこの巡礼の苦労がわかったと言う。 八十八箇所巡礼の旅は、1450キロ(362里)現在でも距離だけは昔のままである。この362里は、東京を基点にして、鹿児島あたりまで。ほぼ日本の半分を歩くのである。並みの覚悟ではとても難しい、生死を賭けた旅と考えても過言ではなかろう。 次に白装束(白衣)。白衣の背中には「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)という八文字が墨筆太く書かれている。先達氏の説明によると、「南無大師遍照金剛を唱えながら寺を回れば必ず大師の加護がある」と説明していた。また、「彼岸の旅に出るときにはこの白衣を着せかける」とも。こうしてみると、八十八個所巡礼の旅は死出(彼岸)への旅に他ならなかった。 私は、こうしてバスによる八十八個所の巡礼の旅の内わずか、六寺を巡ったのだが、彼岸への旅は敬遠するものの、バスの旅の何と味気ないことか。昔からの遍路街道を歩きながら、四国の人たちがお遍路さんに接する優しさにも出会うことがなかった。お遍路さんを「接待」する気持ち、これは、遠く昔から四国に住む人たちの遺伝子として今に繋がっているのだろう。 話は横道に逸れるが、私の山仲間でYさんが居る。このYさんが、今年2月四国八十八箇所巡礼の旅を37日間通しで歩き続けた。彼の話を聞く機会があって、お遍路の旅の幾つかの話を伺ったことがあったが、一番心に残ったことは「お接待」と言われる慈悲の心だったそうだ。歩いていると突然呼び止められ「お接待です」とお金や食べ物などの接待を受けたという。「この接待は、お年寄りから若い人まで男女に差はまったくなかった。お四国の人すべてと言っても良い」と彼は話した。そして、彼は「お四国」といゆう敬語を使って話している。私は「お四国とは・・・」と質問した。「別に意味はないが、敬語を付けたくなるような、四国の人はとても親切だった」と、感激して言う。 【物を施す】を国語辞典で検索すると、「恵み与える」と書かれている。また、【接待】では「人をもてなすこと・人に金品を施すこと・馳走すること・昔、往来の人に茶を施したこと」と書かれている。 四国の人達が、お遍路さんを遍路と呼ばず、敬称を付けて呼ぶ意味も、優しさだけではなく、「あの世の・彼岸の」人と考え「聖」として厚い持て成しをする意味があるのではないか、そこが「恵み与える」のではなく「お接待」として現世の自分達が接すること、と解釈すると自ずから理解できる。 私が四国の地に居たのは、僅か四時間ほどだった。全体像はまったくつかめない。もし今後八十八個所の旅をするとしたら、いや!!すべてを歩けなかったとしても、やはり歩いて遺伝子に接してみたいと心から思った。 写真説明 1)一番札所 霊山寺山門 2)霊山寺本堂 3)本堂天井画 4)弘法大師を祭る大師堂
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