かつ爺の「山の歳時記」

ゴミを拾いながら徒然に書いた山日記

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ふゆのさくら(6)

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                    ふゆのさくら(6)
中村ちづ子
       

S市の外れにある佐伯の仕事場は、粗末な掘建て小屋のような建物だった。大きな樹木が窓を被い、陽光を完全に断っていた。詩乃が初めてそこを訪ねた時、彼は一人黙々と土を捏ねていた。昼間だと言うのに射し入る光線の乏しさに心が衝かれた。その人の一生の間に注がれる幸福の量を、詩乃は佐伯の仕事場から咄嗟に測っていた。

詩乃を仰ぎ見た佐伯は、土を捏ねていた人とはまるで別人に感じられるほどの笑顔を向けた。
「おんぼろ小屋で驚いたでしょう。そのうちに儲けて、立派な作業場にあなたをお招きしますからね。ハハハハ、夢の又夢の話ですけどね。その心意気でいかなくちゃね。このとおり、現実には、しがない皿作り職人ですけどね」
表と裡(うち)との落差を感じずにはおれなかった。

「仕事場を拝見したくて来てしまいました。いえ、本当は私の作った物を見ていただきたくて。大きな物は運びこめなかったのですが」
「この日を前からずいぶん楽しみにしていたのですよ」
「勇気を搾って持ってきました。人様に見ていただくなんて、それこそ久しぶりのことですから」
詩乃は自信なく、何度も躊躇った後、車に載せたのだった。

「女性の訪問者を迎え入れるのは初めてのことです。狭くて汚いでしょう。洋服が汚れますから気をつけてくださいよ」
佐伯は作業用のエプロンをしていたが、デニムのエプロンには渇いた土がべったり付いていた。
「窯はずいぶん小さいのですね」
入ってくる時、小屋の前にガスバーナー式の窯があった。
「驚いたでしょう。これで食べていけるわけはないとお思いでしょう。売り物などの、嵩高い物はね、家内の実家が陶器屋をしていますので、そこで焼かせてもらっているのですよ。義兄も焼き物をしていますのでね」
意識のない妻のことは、既に小原村を訪ねた時に聞いていた。


「それじゃ、変な女がここに出没しちゃご迷惑ですよね」
「何を言っていますか。こそこそしていては、かえって悪いことをしているみたいでしょ。堂々とお付き合いしていけばいいのですよ。何も悪いことをしているわけじゃないのですから。人生最大の歓びは人との出会いだって、誰の言葉でした? ボードレールでしたっけ? 」
「ええ。でも、世間の常識は」
世間常識を唱える詩乃だが、彼女こそ人妻と言う意識が完全に欠落していた。博史との間には常に広い川が横たわっていて、彼の妻であると言う認識が遠のいているのだった。

「そんな次元のことを考えるのは、およしなさい。もっとこう、なんと言えばいいのかな、そうだ生活者の視点を捨ててお付き合いしていきましょう」
佐伯は濡れ布巾を外し、新しい土を現在捏ねている土に加えた。詩乃も粘土で型を作るので、土の匂いは幸福な気分に導いてくれた。

詩乃は若い頃、色々な素材を用いたことがあった。だが、長い中断の後はブロンズに定めてきた。制作費がかかるので小さなオブジェしか作れなかった。しかし、ここ一、二年は、制作費として積み立ててきたお金さえ遊行費に費やしていた。

イメージを浮かべ、完成予想図をデッサンし、サイズを決める。イメージが定まるまで、幾枚の紙を反古にしただろう。予算の枠があるので大きな物はほとんど作っていない。粘土で造形するのだが、この段階が一番大変だった。粘土が含む水分の量で、微妙に出来上がりが違った。たいていは、ここまでの過程で没にした。お金のかかるものなので、そう易くは形にできなかった。納得のいく物ができ、石膏をふりかければしめたもの。自分で出来るのはここまでで、後は専門の業者の窯で製作してもらう方法をとってきた。自分で鋳型にブロンズ合金を流し込む作業まで出来ればいいが、博史がそれを許すわけはなかった。

「こうして土に触れていますとね、身のうちに澱んでいたものが、すーっとどこかに消えていくんですよ。人は何かの形で自分を表現したい本能がある。あなたの場合、彫刻と言うオブジェで。僕は焼き物で」
「学生時代から作っていたのですが、長く中断していたのです。実は材料費がかかって。せめてデッサンや土いじりだけでもしてくればよかったのですけれど、それ以上に自分に確信が持てなかったのです。創る物はすべて暇つぶしの粗大ゴミと言われましたから。最近では少し手をつけては中断。これじゃ道楽って言われても仕方がないですね。自信がないとは、とりもなおさず怠慢の裏返しでした」
「よく分かっていらっしゃる。でも、それは僕も同じですよ。酒を飲んでテレビを見ていても時間は過ぎていきますからね。喰っていくための仕事ならいざ知らず、もうひとつの仕事は自分の意志が定まらないとね」
「飽きやすい私が細切れにでも今日までいくつか作ってこられたのは好きだからでしょうね。苦労して創った物は、愛しくて処分できなかったのです」
「さあお話は後でいいから。手伝いますから早くあなたの作品を見せてくださいよ」
「手伝っていただくほどの物でもないのですが、それじゃ」
「おっ、これは重い。持ち運びが女の人には大変だ」
昨夜、箱に詰める時、埃を拭いてよく磨いておいた。
「これらがみんな、私からも夫からも処分の対象になったものです。女の職業を認めないのと同じように、あの家には芸術だとかそう言うものを認める家風は存在しないのです」

佐伯は割れ物を扱うように箱から取り出した。そしてそれらを広い作業台に並べ、四方の角度から眺めていた。

「こんなすばらしい物をよくもゴミなんて。作品を作るためにあなたが費やした時間、エネルギーが伝わってくる。あなたが黙々と製作している時の、その息づかいまでが聞こえてきそうだ。これらはあなたが自分で大切に守らなきゃ」
遠い昔に作った拙い作も、佐伯の手にかかると、愛しさがにわかにこみあげてきた。
「観ていただいてよかった。自分でもこれらをみんな処分してしまおう、そう思った時期があったものですから」
「よかったね、君。生んでくれた人の傍にこうしてずっと置いてもらえて」
佐伯は数十センチのブロンズ像を抱き寄せ頬を擦り寄せた。冷たい金属の塊にすぎなかったものが、命を宿していくようだった。
「作品にはね、創作者の魂が注がれている。観る者は敬意を表して観賞しなくちゃね」
それは子育ての傍らに、浩太と可奈を模して創った作品だった。小さな裸像だが詩乃の分身そのものだった。
「今の今、これは大切な宝物に変わりました」
「君はあのような場所で酔っていてはいけないのですよ。こんないいものが作れる人なのだから。創造者(クリエイター)の自覚を持たなくてはいけない。これだけのことが出来る人はこの世で選ばれた人だけなのだから」
「ちょっとくすぐったい言葉です。でも、自覚を持たないことは、努力を放棄していることですね。自信がないというのも、怠慢の裏返しかもしれませんね」
「そうだ、巧いことおっしゃいますね。出来上がった作品の巧拙は他人が決めるもの。自分は心のおもむくままに、形づくっていけばいいのですよ。他人への媚びはいけません」
「何をしても長続きしなかった私ですけど、これだけが続いてきたのは、気持ちのよりどころだったのでしょうね」
「この世でひとつしかないものを創りあげた時の達成感はたまらない。創作者だけが持つ無上の喜びですよ」
「作品を完成させた満足感、これは創作者しか持ち得ない至福の瞬間ですね」
「今日は本当にいいものを見せていただいた。暫し夢を見ていたような、久方ぶりのいい日だった。僕も肝が座った気持ちです。とりつかれた者同士、これから先、お互い切磋琢磨していきましょう」
平凡過ぎる人生だと思っていた詩乃だが、佐伯の言葉で見えない光が放たれた気持ちになった。
「君は選ばれた人なのです」

佐伯の言葉は詩乃を幸せな気持ちにさせた。   (続く)

ふゆのさくら(5)

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ふゆのさくら (5)
                     中村ちづ子


その日は、霜月最後の休日だった。
木枯らしが葉を散らし始めていたが、桜は花びらを吹き飛ばされまいとするように、固く枝先に留まっていた。

橋を渡った先に、長い急な石段が続いていた。
「一、ニ、三、四、五」
詩乃は子供のように大きな声で、石段の数を数えながら駆け上った。先に登り終えた詩乃が、上で待った。

「あなたには叶わない。店で会った印象と違いすぎますね」
石段の途中で、息を整えながら笑う佐伯の頭上に、色づいた楓や紅葉と競い合うように、冬桜の花枝がせり出していた。

「どうしたのですか。これきしでばててどうしますか」
「いつもはあちらから、ちなみに女坂と呼んでいますけど、あちらの道を車で上がって行くのですよ。だけど、これから先、僕も負けない体力を作らなきゃいけませんね」
「病気は運動不足が大好きですよ」
「病気が好きな運動不足か、面白いことを言いますね。ほら、これを見てごらんなさい。四季桜は下からちらほら咲き始め、上に向かって咲いていくのですよ。花もやや小さくて、慎ましげでしょう」
「秋と春が同時進行しているようですね」
「北風に吹かれると、開かないまま冬を越す蕾もありましてね。春になり暖かくなってから花がまた咲くのですよ」
「一本の木で二度花が咲くわけですか」
「そう言うことになります。冬の桜は二度花が咲くのです」
「お詳しいのですね」
「初めは僕も、この不思議な桜にとりつかれましてね。毎年通っているうちに分かったのですよ。やがて、ここで仕事までできるようになりました」
「寒さに向かって咲く桜、いいものを見せていただきました。誘って頂いてよかった」

陶芸を仕事にしている佐伯は、桜の季節、寺の境内に作品を展示販売していた。訪れる人は多く、佐伯の作品は参拝記念に買い求めて行く人で、それなりの売れゆきをあげていた。シーズンには観光バスも何台か立ち寄るらしかった。                     (続く)

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