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ふゆのさくら (7)
中村ちづ子
佐伯の妻は、植物状態となって十年余、管から通される栄養で生きていた。
「僕の夢のために妻が一肌脱いでくれた。元々家にいるより外に出たい女性だったから。おふくろが子供を育て妻は教師に戻った。運良く、以前勤めていた私立高校に、空きがあったから。働き始めて一年余りのことだった。妻があんな事故に遭ったのは。僕のわがままの犠牲になった」
「奥様はあなたを愛していらしたのね」
詩乃は眠り続ける佐伯の妻に、羨望に似た嫉妬を覚えた。
「営業の仕事は、僕にはどうしても性に合わなくて。それなりの成績を上げていたのだけどね、靴底がどんどん擦り減っていくんだよ。その靴底を見ると、ボロボロになっていく靴が自分の姿に重なって」
「車を売り歩く自分は本当の自分じゃない、そう思っていたのね」
詩乃にもよく分かる思いであった。
「渡りに船で、妻が仕事を始めたのを機に会社を辞めた」
「私が生活を支えます。あなたは好きなことをなさい」
「そう。妻はそう言ってくれた。その言葉そのままに」
「でも、もう奥様の声を聞くこともできない。私はその代わりなのね」
出会ってすぐの頃、お互いの角が前面に出て、その尖った角を、相手に滑らかにして欲しいと願うばかりだった。
「そんな考え、断ち切った方がいい。君のためにならない」
「あなたこそ、そうして自分を責めて悲劇の主人公になってどうするのよ」
「堪らなく悔みたくなる時があるんだよ」
話すことで双方が軌道修正をしていた。
「お嬢さんたちはいくつだったの」
「小学一年と四年だった。楽しそうに働いているとばかり思っていたけど、憂さが貯まっていたのだね。仕事帰りに同僚と居酒屋で飲んで、その帰りのことだった。自転車の妻は車に。彼女の気持ちに気付いてやれなかった」
「そうなの、だからなのね。私から煙草を取り上げ、お酒を止めさせようと、あれほど強く反対したのは」
「僕がもっと受け止めてやっていれば、外で憂さ晴らししてくることもなかっただろうに。店で君を見かけた時、君がその頃の妻に重なって見え、何にも考えず夢中だった」
「あなたも私も何かを求めていたのね。酔っていても電話番号を教えるなんて、それまでなかったことなのに」
「君の姿は合わせ鏡のように、僕の姿でもあった」
「あなたは表面上、紳士面を構えていたからそんな事情を抱えているようには見えなかった」
「おいおい、紳士面は表面上だけかい。だけどね、苦しさをさらけ出して生きる訳にはいかないだろう。だから、寒さに耐えて咲く桜に魅せられた。歳を重ねても、美しく健気に咲く冬の桜のように、いつも前向きに生きたいものだね」
誰もいない二人の時間、いつしか佐伯は詩乃ちゃんと呼ぶようになっていた。こう呼ばれる時、詩乃は年齢や立場を一瞬忘れた。
「小さい頃一緒に遊んだ従兄妹に、詩乃ちゃんと同じ名前の子がいてね。これが呼びやすいんだよ」
「その方は」
「三年前、事故で。妹みたいに可愛がっていたのにな」
「そんな事もあったの。事故は唐突にやってくるから・・・」
「お祓いに行ったよ、悪いことが続いて」
つらくなって、詩乃は話題を変えた。
「小原村の桜、まだ咲いているかしら」
「きっと咲いているよ。そうだ、確かめに行こうか」
「寒風に耐えられるのは、希望があるから。絶望しかなければ耐えられない。冬の桜からは元気をもらえるわ」
毎年木枯らしが吹き始める頃、二人は小原村に足を運んだ。
佐伯と共有した秋は五回たらずだったが、四季桜を五回一緒に眺めることができた。
続く
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