かつ爺の「山の歳時記」

ゴミを拾いながら徒然に書いた山日記

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里山の四季・冬・ヤマホロシの実

里山の四季・冬・三国山
ヤマホロシ(山保呂志)別名・(ツルハナナス) ナス科 ヤマホロシ属 


ヤマホロシの花は、ナスの花に似た薄青色の清楚な花が初夏の頃から咲き始める。
花も綺麗で可愛いのだが、野山に色彩の乏しくなった秋から冬の季節に赤い実はそれだけでも人の目を釘付けにする。

写真のヤマホロシは実の付き具合から、南米産のヤマホロシと同定する。日本原産のヤマホロシは実の付き具合に違いがある。

南米産のヤマホロシがなぜ三国山の山頂にあるのか疑問を持たれる方もあろうが、麓から山頂に続く林道は岐阜県側から一本、愛知県側から一本と計二本が延びている。山頂に林立する電波塔、キャンプ場や牧場などを見ても、この山の自然はすでに多くを失っていることからして、外来種の進入は容易であり条件さえ整えば繁殖は十分考えられる。

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四季の山歩き・冬・八鬼山(628m)

四季の山歩き・冬・熊野古道九木峠(くきとうげ)から八鬼山越え
2007年1月20日(土)曇り


♪♪ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる♪♪
民謡「尾鷲節」の一節である。
矢浜村(やのはまむら)に住む十八歳の大工見習い喜久八と、三木里村(みきさとむら)の十七歳の庄屋の娘お柳の悲恋を唄った尾鷲節の一節が書かれた碑の前が、これから向かう八鬼山越えの出発点でもある。地図で調べてみると、碑の立てられている地点が昔の矢浜村で現在でもその地名は残っている。

私たちグループ53名は、ここで四班に別れ熊野古道伊勢路の難所「八鬼山越え」に向かった。9時50分。

道案内をお願いした「語り部」氏の話では、熊野古道伊勢路は、平安時代の頃より参詣道として使われていたが、後に中辺路が正式なルートになったことから衰退したと云う。しかし、まったく消滅し使われなくなった訳でもなかった。聖や行者あるいは海路を使っての参拝など、細々と少数の人によって伊勢路は保たれてきた。

伊勢路が参詣道として再び活況を作り出したのは、正式ルートとして独占していた「聖護院系」の山伏の力が失われ始めたことと、室町時代に入り民衆の伊勢神宮参拝熱の高まりから熊野三山詣(蟻の熊野詣)でと、伊勢神宮参拝を兼ねた大衆の大移動が復活への大きな原動力になっていった。

大衆の大移動が始まったことによって、年間降雨量4000ミリを越す豪雨で道路の決壊や土砂崩れによる崩壊は旅をする人たちに大きな犠牲を負わせた。このような事情から伊勢路の道は石畳の街道が作られたと云う。

一般的に、現存する石畳で有名な木曽路などと比較すると、平面に敷き詰めた技法とは明らかに違う。自然石を巧みに組み合わせ、歩幅にあわせ少しずつ勾配を作ってゆく構造には、足に優しい心配りがされている。そして石畳の積層は最大で約三段ないし四段にも重ねられ、雨量の多い南紀にあって、滝の如く流れ下る水量を積層した岩の間へ巧みに浸透させる構造は、豪雨による石畳の崩壊を防いでいたのである。

私たちは、八鬼山への緩やかな道を歩いた。この付近の石畳は昨年12月に歩いた馬越峠越えの石畳とは趣も違う。まばらに点在するぐり石の道だった。

突然林の中に時ならぬ紅葉を見る。赤色があり、黄色もある。青色もあり、白色もある。
近付くにしたがって、紅葉だと見間違えた色彩の氾濫は、地権者による世界遺産への反対スローガンだと分かった。

歩道の左右50mの森林伐採を禁じ、木材搬出にも古道の使用は禁止されていると云うのだが地権者への保障など、国の対応はどのようになっているのであろうか。
語り部氏の歯切れの悪い説明から想像するに、現存する熊野古道伊勢路はかっての土地開発ブームからも取り残された僻地であり、すでに忘れられていた過去の遺産であって石畳も深く土に埋まっていたと云う。

市街地に近い街道などは、開発の名の下にブルトーザーでズタズタに削り取られてしまったり、「石畳では車の通行に不便をきたす」を理由にコンクリート舗装の下に埋没されてしまった。
いまさら眠っている僻地の石畳を掘り起こし、市民の財産を守る立場にある行政及び執政者がなりふりかまわず、しゃにむに世界遺産への登録を急ぎ市民の利益の犠牲の上にあったとしたら、地権者の怒りも当然だと理解できる。

失政が反対を生み、世界遺産の名に恥ずかしいペンキのスローガンの落書きが、古道を歩く私たちに不快感を与えていることを執政を執り行っている者たちは御存じないのかもしれない。この反対スローガンは三木里海岸まで続いていた。

古道の石畳は、麓茶屋跡、駕籠立場の遺跡を通る。その間に、旅人の供養碑もあった。説明板を見ると八鬼山の急登で、病を発し病死し、地元の負担で葬儀、仮埋葬、初七日を行ったと書かれていたが誤りであると思う。地元の負担とは、山賊に身ぐるみ略奪されなお且つ殺されてしまった旅人であったと思う。なぜならば、旅に出る場合には宿泊費など一切の費用を持ち歩いていたのであって、病気で亡くなった旅人の場合には懐に路銀を持って歩いていたからだ。

戦国時代の永禄年間伊勢神宮の遷宮も滞り、荒廃を続けていた神宮を新しく建て替えた清順上人供養碑がある。ここを過ぎると、「鍬でならして通わせる」の歌にもある八鬼山越えの急登が始まる。足に優しい石畳も、七曲の急登は優しい石畳とはとても思われなかった。果たして当時の旅人は駕籠や馬を使ったのだろうか。この疑問は八鬼山山頂から三木里海岸への下り道で益々強く感じた。

九木峠、11時55分。小休止、峠から真下に下ると九鬼集落への道を分ける。我々は右折、緩やかな登りが続き荒神堂と廃屋がある。廃屋はかっての茶屋跡と云い、以前は老婆が一人住んでいたそうだ。テレビアンテナが屋根にあることから最近まで人の棲家であつたに違いない。語り部氏の話を聞くと、「荒神堂には修験者が住み、街道を通る旅人の警護に当たっていたと云う」付近には小さな墓石が幾つか認められる。荒神堂に住処を持っていた修験者のものであろうか。私は合唱しこの場を離れた。

荒神堂から一投足で、三木峠へ着いた。案内板には右折明治の道とある。我々は江戸の道を歩いた。分岐から20mも歩いたであろうか、語り部氏の説明では街道から僅かな高みが八鬼山だと云うが標識もなくウッカリすればその先にある展望広場が八鬼山山頂と信じる登山者もいることだろう。

展望広場(さくらの森エリア)着12時30分。熊野灘が眼下に広がっていたが、生憎の曇り空の下今にも降りそうな空を見上げ、ゆっくり展望を楽しむ余裕はなかった。

14時10分展望広場を後に、三木里海岸への下山を開始。八鬼山越えの江戸道は「上がり50町、下り三十八町」(一町は約110m)といわれるように、三木海岸への下りは段差も大きくフイクションロープを頼りの下降を強いられた。
この道が古来からの巡礼道であるならば、我々登山者が歩く登山道と代わりはなく二本の足と手によって上り下りをする以外にはとても乗り物を使うことは出来なかったに違いない。この急登は(下降は)十五朗茶屋跡を過ぎ明治の道合流点付近まで続いた。

細い流れを丸木橋で渡り林道へ合流する。程なく名柄一里塚、小休止の後14時20分三木里の古い民家の立ち並ぶ部落を通り三木里海岸へ着いたのは14時30分を過ぎていた。

三木里町は行頭に紹介した、尾鷲節の♪♪ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる♪♪三木里村である。以下に尾鷲市役所広報係から連絡いただいた尾鷲節で歌われている悲恋物語を記録しておく。

先日は当市を訪れていただき、ありがとうございました。
 さて、ご質問のありました「尾鷲節の中に秘められた悲恋物語の解説」についてですが、つたないものですが、ご説明申し上げます。


この悲恋の物語は、今から百数十年前の話とされています。

八鬼山は、熊野街道のなかでも一番の難所といわれた険しい山でした。その八鬼山を挟んで、北に矢浜(はのはま)村、南に三木里(みきさと)村がありました。ある時、三木里村で、貴船神社の普請を行うこととなりました。

当時、八鬼山から南の地域の神社は、熊野三山の勢力下にありました。そのため神社の普請は、新宮の宮大工に頼むことがしきたりでした。しかし矢浜村には腕が良い宮大工、高芝佐衛門之丞(たかしばさえもんのじょう)がおりました。そこで三木里村の庄屋は、これまでしきたりを破って、高芝佐衛門之丞に頼むこととしました。

こうして高芝棟梁は、十人の弟子を連れて、八鬼山を越えて三木里村にやってきました。そして、三木里村がしきたりを破ってまで頼んでくれた仕事だけに、毎朝、冷水で身を清め、精魂こめて仕事に励みました。

ところがそんな中、弟子の1人である喜久八(きくはち)が、普請の仕事を頼んでくれた三木里村の庄屋の娘、お柳(りゅう)と恋仲になってしまいました。喜久八はまだ修行中の身で18歳、お柳は17歳でした。修行中の色恋はご法度であり、まして神聖な宮普請のあいだのことです。それなのに2人は、棟梁や兄弟子の眼をかすめては、あいびきを重ねました。

しかし、あと1カ月で宮普請が完成するというある晩のことでした。喜久八があいびきから大工小屋に帰ってくると、そこには激怒した棟梁が待っていました。

「大事な宮普請だから、みんな女房とも別居して身を清めて務めているのに、お前はなにをしている!しかもよりにもよって、わしらを見こ込んで声をかけてくださった庄屋さまの娘に手を出すとは!!」

事の重大さを知った喜久八は真っ青になり、手をついてわび続けました。しかし棟梁は許さず、けじめとして喜久八の左手の小指を切り落とし、庄屋のもとへ行って、弟子の不義理をわびました。

翌朝、喜久八は大工小屋を追い出され、1人で八鬼山を越えて矢浜村へ帰ることになりました。棟梁は、去っていく喜久八の後姿を見送りながら、険しい八鬼山を見すえ、「ままになるならあの八鬼山を鍬(くわ)でならして通わせる」と歌ったそうです。

この歌の意味は、「もしも思い通り自由になるのなら、あの険しい八鬼山を鍬で平にならして2人を通わせ、添いとげさせるものを」というもので、喜久八に厳しいけじめをつけさせた棟梁の、2人を思った本心が込められた歌です。険しい八鬼山のように自由にならないこの世の義理によって引きさかれた恋を嘆き悲しんだ歌として、今日まで尾鷲節のなかで歌いつがれています。

八鬼山越え写真説明
1) 世界遺産に指定された石畳
2) 八鬼山を目指す登山者
3) 急峻な山中で亡くなった旅人を供養する巡礼碑
4) 巡礼碑の説明を受ける仲間たち
5) ボタンの掛け違い(ペンキのスローガン)
6) 七曲の急登を登る
7) 一町ごとに置かれているお地蔵さん(町石)
8) 展望広場からの熊野灘展望
9) 展望広場から九鬼町展望(九鬼水軍)の村

寒ボケの花

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里山の四季・冬・寒木瓜(かんぼけ)2007/01/18

里山の四季・冬・弥勒山山麓 緑化植物園内
バラ科 ボケ属


原産地中国から、平安時代にはすでに我が国へ持ち込まれていたとされる木瓜(ぼけ)。そのためか、品種改良されたものが実に200種類以上あるという。

一般に花は春から夏に咲くのを常識としているのだが、人間の欲望は留まるところを知らないらしい。とうとう寒風吹きすさぶ、一年の内でも一番寒い季節に真っ赤な花を咲かせることに成功した。

中国での呼び名は「モケ」と云う。ときなしに咲くから「ボケ」と云うかは知らないが、我々老人が聞いたら気を悪くするに違いない。

「ねこやなぎ」芽吹き

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里山の四季・冬・猫柳芽吹き2007/01/18

里山の四季・冬・弥勒山山麓
ヤナギ科 ヤナギ属


「寒の時 日向で猫の芽 温くぬくと」
「猫柳 日向ほかほか 昼寝する」

弥勒山山麓の遊歩道脇に、3日前に赤い芽が膨らみ始めたのを確認したが、何と!!銀色に光る綿毛の花(花序)が咲き始めた。

ネコヤナギは北海道から九州に分布する落葉の低木。山間地の渓流や山麓の小川のほとりなどに見かける。雌雄異株で、春先に葉の芽吹き前に綿毛の花序を出す。雌花序は綿毛がふさふさとした感触で、これをネコの尻尾にみたてて、ネコヤナギの和名が付いた。
「春遠からじ」猫柳が山麓の村に春をもたらすのは、もう暫く先のことだ。

蝋梅の香りに春の兆し

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里山の四季・冬・ふくよかな香り「蝋梅」の花春を待つ

里山の四季・冬・弥勒山山麓2007/1/16
蝋梅 ロウバイ科


江戸時代に中国から日本に渡来したと伝わる蝋梅の花。北風の吹く雪の季節、見渡す限り寒々とした冬枯れの景色が続いている中で、細い小枝一杯に黄色い花を咲かせる。私はこの花を見るたびに「春遠からじ」と、口笛でも吹きたくなるように心も浮き立つ。

山の行き帰りにお尋ねする、春日井市都市緑化センターのK先生から「園内に蝋梅が咲き始めましたよ」とお聞きし早速梅園の片隅に咲く蝋梅の花を尋ねた。
まだ5分程度の咲き具合であろう、蕾の膨らみの中から咲き始めた蝋梅をゲットした。

蝋梅は中国から渡来した外来種だが、日本人の心の中にしっかりと根を下ろしている。中国名を蝋梅と云い※1蜜蝋の色に似ているから付けられた名前。又別名には※2臘月(ろうげつ)に咲くことから付けられた。
我が国では、早春の白梅がまだ咲かない旧暦の正月の床を飾る「飾り花」として黄色い色を黄金とみなし、馥郁(ふくいく)とした香りが室内に満ちることから縁起花として重用されてきた。

渡来した頃の蝋梅は、写真のように花弁の外側が淡黄色だったが、最近改良された品種は花弁の内外共に淡い黄色の品種【素心蝋梅】が普及してきた。

「うとうとと 蝋梅咲いて 窓の内」

※1蜜蝋(『ミツバチ』の巣を水と共に熱して得た無味無臭の蝋。漂白すると白くなる。ロウソク・蝋細工・光沢材として使用する)国語辞典より
※2臘月(ろうげつ)(旧暦12月の別称)

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