かつ爺の「山の歳時記」

ゴミを拾いながら徒然に書いた山日記

四季の山歩き

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四季の山歩き・冬・尾張富士(277m)

四季の山歩き・冬・初詣の山・「尾張富士山」
2007年1月1日(月)晴れ

山の高さで競ったと伝えられている尾張富士。我が家の恒例となっている元旦の初詣は、その山麓にある富士浅間神社と決めていて、毎年参詣を終えると標高277mの奥の宮まで登山をする慣わしは小牧の地に移り住んでからこの方24年間欠かしたことが無い。

富士浅間神社は、天下の奇祭「石上げ祭り」で全国に知られている。毎年8月、手の平に乗るような小さな石から数十トンを越える大きな石までを、山頂に運び上げる勇壮な祭りが繰り広げられる。

「石上げ祭り」の起源は尾張富士の神「木花開耶姫」が隣の本宮山と背比べをして負けたことから由来する。「木花開耶姫」は村の男の夢枕の立ち「くやしい!!私の背丈を少しでも高くしてくれたら願い事をかなえてやる!!」と言ったのが起源とか、そのご毎年続いている。

奉納される石には、故山田五十鈴さんの名前もあった。兎にも角にも芸能人からスポーツ選手までも名前の書かれた石がある。
山頂には手の平に乗るような小さな石に「勉強が良くできますように」「おばーちゃんが長生きしてくれますように」などの文字もみられ微笑ましい。

参拝を済ませ、標高227mの山頂を目指す。うっかりすると、滑り落ちるような急登を登った。山頂からは、隣の本宮山が見える。目を転ずれば、眼下に入鹿池が、湖畔に聖ヨハネ協会が木々に囲まれて望見できる。勿論木曽川がはぐくんだ尾張丘陵大地、遥か遠く中央アルプスの白銀も見えた。傍らにいる妻が「いつも出掛ける鳩吹山や弥勒山はどこ」と尋ねた。「鳩吹山から尾張富士は良く見えるのに分からないね。でも、弥勒山はそれ・・あの一番高い山だよ」と教える。

山頂でコーヒータイム。ケーキを頬張り、熱いコーヒーを飲む。カップから伝わる暖かさで、冷たい両手も幾分温かくなった。
写真説明
1)参拝で賑わう富士浅間神社
2)登山道脇に並ぶ献石群
3)上に同じ
4)山頂に並ぶ献石群

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四季の山歩き・冬・2007年元旦の日の出(鳩吹山)

四季の山歩き・冬・ご来光に感動
2007年1月1日(月)快晴

午前6時真禅寺山門で受付を終わり、記念品の手袋を頂く。6時15分山頂へ向かう。後で伺ったところでは、この日だけで推定2000人の登山者が山頂へ向かったそうだ。話半分として1000人。それでも大変な人出といわざるをえない。墓地周辺に散らばる駐車場へ係員が誘導し混乱もなさそうだった。

私は、人の群がる山頂を避け一人穴場へ向かう。山頂の気温は午前6時50分現在プラス0.7℃を示していた。午前7時5分赤く染まった空が一段と明るくなり金色に輝く太陽が昇り始めた。2007年1月1日の夜明けは静かに明けた。

長く続いた不況も、昨年は高度経済成長期を上回る利益を上げる企業も相当数に登ったそうだ。しかし国民の大多数は恩恵を受けていないのが現状。政治は国民のためにあると総理を初めとして政治家は必ず口にするが果たして口と腹の中はいかがなものか。

もやもやの心の中を見透かしたように、昇る太陽も何となく精彩を欠いだ様に見えたのは私だけだったろうか。

何はともあれ、豊かさを少しでも実感できる世の中になることを心の中で祈った。

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四季の山歩き・冬・黒平山(326m)

四季の山歩き・冬・2006年最後の山歩き
2006年12月30日(土)晴れ

今年通算123回目の山歩きは、愛知県犬山市と岐阜県可児市の県境にある黒平山を歩いてきた。
黒平山を含む周辺は、木曽川の膨大な土石流の堆積した大地で、数億年以前の海底隆起によって作られた。
この大地の一角に、岡崎営林署管轄となっている八曾自然休養林がある。深い檜の植林や歴史に名前を残す五条川の清流、支流には大小の滝を作る。
黒平山は、その八曾自然休養林「もみのきキャンプ場」を登山口としている。
11時55分林道ゲートを潜る。

五条川に沿って上流に続く右岸に道(東海自然歩道)を約30分、八曾キャンプ場で自然歩道と別れ黒平山へ向かう。途中「山伏の滝」を経由し黒平山は15分の距離だ。

黒平山山頂着、1時
黒平山山頂をぐるりと取り巻く、崩れた石垣の遺構は何を物語っているのか。そして壊れた神社や祠。一度調べてみたい。
山頂からの展望は素晴らしいとまでは言えないが、高賀三山を始めとして奥飛騨の山並みが展開する。残念だが今日の山並みは雲の中、伊吹も能郷白山もそして鈴鹿山脈も。

帰路は岩見山を経由し巌頭洞コースをもみの木駐車場へ帰った。
もみの木駐車場着2時30分

写真説明
1) 山伏の滝
2) 黒平山から尾張富士と本宮山

120回目の山歩き

四季の山歩き・冬・120回目の山歩き
四季の山歩き・冬・弥勒山
2006年12月27日(水)晴れ


2006年、通算120回目の山歩きを今日で達成できた。毎年目標としている年間122回以上の山歩き、自分の健康のバロメータにしているが今まで一度も達成できなかった。昨年は、106回、一昨年は97回、今年はどうやら達成できそうだ。

昨年9月の山行で痛めた膝も、完治までは行かないが痛みは消えた。それも幸いしたが、それ以上に妻の協力があってのこと。これからも感謝の気持ちを忘れることなく、好きな山歩きが続けられたらどれほど幸せだろう。

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四季の山歩き・冬・宮路山(400m)と五井山(454m)

四季の山歩き・冬・歴史を尋ね歩いた宮路山
2006年12月23日(土)晴れ


持統天皇(690〜97)崩御の前年、天宝元年(702年)秋、天皇が三河行幸で訪れたと伝えられる宮路山は、最古の東海道が通っていた。現在もその遺跡が僅かに残ってる。
晩年の持統天皇が、なぜ三河に行幸したかの記録は無いが「大宝律令」が天皇行幸の間に天下に発布されたこともから、大和朝廷と三河との歴史的重要な意義を含んでいるのではないかと思われている。古代ロマンの宮路山を歩いてきた。

標高70m地点、町道脇に駐車。9時10分雑木の茂る町道を宮路山へ向かう。約10分尾根上の案内板を見て左に延びる登山道に入る。

この登山道が最古の東海道か定かではないが、足に優しい作りは先に歩いた熊野古道の原型であり「切り通し」などを見るにいたって一層その考えが強くなった。

途中建貝児王命(日本武尊第三皇子 宮路別族の祖)、大山咋神、※草壁皇子命(天武・持統天皇御長子)を祭る宮道天神社奥の宮を参詣する。
※天武天皇と持統の長男として生まれた草壁皇子は、壬申の乱において、東の守りを宮路山山頂付近に置いたとされる。その皇子を祭るのが宮道天神社。

10時10分宮路山山頂着。あれが竹島、奥に見えるのが大島その左が小島か、穏やかな三河湾が眼下に広がる。展望を楽しみコーヒータイム。
10時40分宮路山を後に五井山へ向かう。

五井山山頂着11時40分。冬の鈍い太陽が、海面を照らす。

展望の素晴らしさとは裏腹に、山頂のゴミの凄さには驚きより厭きれてしまった。空き缶、菓子の包装紙、プラスチックの容器、それにタバコの吸殻、これらのゴミは僅か3分足らずでビニール袋の1/3を占拠した。

昭和62年4月岐阜県可児市鳩吹山は、一本のタバコが原因で3日間燃え続けた。原因は登山者の不注意によるところが大きいと聞く。

仮に登山者のタバコによる火災が発生し全山消失したとしても、五井山から見る景観は少しも変わらないだろう。しかし膨大な損失をこうむることは明らかである。鳩吹山は火災から18年経過し緑も回復してきたが、昔のように松茸の生える山になるのはまだ先のことである。

12時50分五井山山頂を後に宮路山への帰路につく。13時50分宮路山着、14時山頂を後に下山を開始。天然記念物に指定に指定されている「コアブラツツジ」の紅葉は終わっていたが、細い小枝のトンネルを潜り下山した。

持統天皇行幸の秋、コアブラツツジの紅葉は、旅の慰みになったであろうが、万葉の歌人でもあった天皇の詩はなぜか伝わっていない。
ただ、天皇に随行していた長忌寸奥麻呂が詠んだ
「引馬野に 匂ふ榛原 入り乱れ 衣匂はせ 旅のしるしに」
の句が残されている。

写真説明
1) 宮路山山頂から三河湾展望


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