かつ爺の「山の歳時記」

ゴミを拾いながら徒然に書いた山日記

四季の山歩き

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四季の山歩き
鳩吹山 (313m)
爽やかな風のなかの稜線漫歩
2006年9月11日(月)薄曇のち晴れ


9:05分大脇登山口から、深い木立の中を歩く。降るように鳴く蝉の声にも変化が現れ、数日前までの油蝉から、何時の間にかツクツクボウシの鳴声が聞かれる季節になっている。登山道脇に咲くヤブランも最盛期を迎え、所々にキンミズヒキに代わり赤い花をつけたミズヒキが咲き始めてきた。

9時40分鳩吹山山頂着、今日の御嶽山は雲の中だった。僅かに笠置山を見るだけ、恵那山も頂上付近は雲に覆われていた。
岩のテラスでは、足元に大きく蛇行する日本ラインを眺めながら女性ハイカーが休んでいた。「一番の電車で柏森から来ました」と女性「私も近くの小牧ですよ」と私。二人のハイカーは、犬山遊園駅から寂光院→継鹿尾山→石原登山口→西山休憩舎→鳩吹山へと歩いて来た。「これから、氷場へ下り改めて登り返し帰ります。今日は風も爽やかですし、夕方までにゆっくり帰ります」と、お互い自己紹介をし、記念写真を写し別れた。

鳩吹山には、一年間におよそ四万人の登山者が訪れている。健康維持のため早朝4時ごろから登る登山者の中には、一日三回から4回年間500回を越える登山者もいる。あるいは、今日お会いしたご婦人のように秋の山への身体作りを目的で登る登山者も大勢いる。
地元小中学生の野外学習の一環とか、企業の研修、自衛隊の訓練など、実に様々である。

鳩吹山を振り出しに、何時ものコースを巡回し鳩吹山休憩舎戻ってきたのは11時50分だった。

コースタイム 大脇駐車場9:00→鳩吹山山頂9:40→一休・西山を経由→西山休憩舎11:10→鳩吹山休憩舎11:50 12:35大脇駐車場13:00

写真説明
1) 鳩吹山山頂付近で休む登山者
2) 鳩吹山山頂から笠置山
3) 登山道に咲いていたミズヒキの花

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里の秋を尋ねて
大船神社の樹齢750年の弁慶杉
2006年9月7日(木)曇り時々晴れ


岐阜県上矢作地区に大船山(1159m)があ。その登山口より300mほど登った標高1000m付近に大船神社がありその境内に岐阜県指定文化財「弁慶杉」があった。伝えられるところによると。天平年間(765〜67)奈良東大寺初代別当良弁(ろうべん)の弟子弁慶が植えたとされる他に、寿永年間1174年義経主従が鞍馬山を脱出し、奥州平泉へ逃れる途中、ここ大船寺の本尊に祈誓した時弁慶が「この願いむなしからずんば、この枝生栄えよ」と杉の小枝を折って地に刺したと二つの伝承が残っている。

国内に現存する巨木を見ると杉が圧倒的に多い。中でも500年から1000年の、樹齢を持つ杉は数多くみつかっている。
これには、杉の持つ生命力が大いに左右しているようだ。台風などによる被害は杉を始めどの樹木にも及ぶのだが、杉だけは折れた部分から新しく芽を出しやがて大樹に成長する。

現に昭和53年偶然に発見された、岐阜県板取村の「株杉」などは400年から500年を経た杉を伐採した後に、新しく発芽した立条木が天に聳えている。この立条木でさえ70年の年輪を刻んでいたという。

いかに杉の生命力が強いかを物語っている。

この他に生命力の強い樹木には、楠・銀杏などがある。楠には樟脳の原料が含まれている所為と考えられる。銀杏にも切口から発芽する作用を持っていることも巨木を残す原因の一つであろう。

写真説明
1)大船神社の弁慶杉
2)岐阜県板取村の株杉・・2004年4月17日・蕪山登山の折に撮影
3)同上

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立石寺の百条の岩に立って
2006年8月16日(水)快晴


今日も朝から暑い日だった。昨日まで山形県の名山を歩いて来たがこのまま愛知県へ、とって帰るのも能がないと帰路山形市にある宝珠山立石寺を拝観することとなった。

立石寺は古くから「山寺」とも呼ばれる。車窓から見上げる立石寺は、濃い緑の中に長年の風雪の跡もそのままに疑灰岩の岩肌を晒していた。切り立った岩肌に張り付く院々が点在している風景は、なにか異国の南画を見ているような感覚、これが、世に云うところの「山寺」かと、その珍しい岩の山を見つめていた。

松尾芭蕉は、奥の細道紀行文の中で
「山形領に立石寺と云山寺あり。滋覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすヽむるに依りて、尾花沢よりとって返し、其。間七里ばかり也。日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし松栢年旧土石老いて苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。」

松尾芭蕉が立石寺に訪れた時の紀行文はこのようにしたためられている。芭蕉が山寺を訪れたのは元禄2年5月27日現在の暦では新暦1689年7月13日で夏の盛りだった。

その時芭蕉が読んだ句が
「閑かさや、岩にしみ入る、蝉の声」だった。
この聖地があまりにも静かであったため、蝉のなく声さえ、岩のなかに染み透っていくようである。ここに佇んでいれば、自分の心もまた、大気のなかに溶けこんでしまうようだ。
と、ものの本には書かれていた。

私達の訪れた、8月16日もこの聖地は蝉の声が賑やかだった。山門脇の駐車場は、「帰りに2000円以上の買い物をすれば無料にします」の呼び声が、蝉の声より喧しかった。し、

一歩山門を入ればそこは聖地との期待も破られた。根本中堂こそ仏を拝む雰囲気だったが、そこを過ぎれば、みやげ物を売る店が軒を連ねている。蝉ならぬ、おかみさんの客を呼ぶ声がかしましい。拝観料300円を払い、始めて芭蕉の心境に達しようと努力したが、時は午前8時45分、年間80万人の参拝客を迎える山寺の一日の中で、一番騒然とした時間であったかも知れないが「閑けさや・・・・は期待できなかった。

門前にあった案内板には1015段の石段を登ると書かれていた。欝蒼と茂る杉木立を縫って緩やかに登る石段こそ、セコセコとした我々の世をあざ笑うが如くゆったりと構えて時の過ぎ去るのも忘れさせてしまう、これこそ芭蕉の時代と変わらない空間を作り出しているのではないだろうか。ふと足を停め改めて回りの木立を透かし見た。

周りは、次々と人が息を切らせて登って行く姿があった。今思い出すと、喧騒はまったく耳に残っていない。私の心に残るのは蝉の声、木々を渡る風の声以外殆ど耳になく無我の境地のなかに遊んでいたようだ。

姥堂に参拝する。現世と黄泉の結界が、この姥堂である。奪衣婆(だつえば)と言われるそうだ。死者の衣服を剥ぎ取る役目を持つとされる。奪衣婆は、死者に世俗に残した迷いや恨み、欲望などを綺麗に捨てさせ、穢れのない仏心として三途の川を渡らせると言う役目をつかさどるとされる。ここには小さな橋が掛けられている。三途の川かもしれない。ここで、参詣者は身を清め橋を渡ったに違いない。

やがて石段は勾配を急にして登るようになる。死者も現世の修験者も、一様にこの坂を登った。黙黙と「南無阿弥陀仏」の6文字を唱和しつつ、すでにこの辺りを登るころには、無我の境地を自ら悟りその境地に到達していたであろうか。

欝蒼と茂る樹齢500年とも1000年とも云われる杉の木立は、昼なお暗かった。その木立の片隅にひっそりと立つ石仏は極楽浄土への入り口だろうか、一枚の岩盤がそのまま仏の姿をした阿弥陀洞、ここから見上げる観明院は、山寺のしおりにもなっている。

石段はどんどん勾配を増した。途中百条岩に立つ開山堂五大堂への道を分け妙法堂(奥の院)へ向かった。途中石段脇に卒塔婆に似た後生車が見られた。「南無阿弥陀仏」と念仏が書かれ法名も裏に書かれていた。卒塔婆と違う事はこの板に、丸い車がはめ込まれていたことだ。これは寺を訪れた多くの人達が回す事によって故人は輪廻転生がかない再び生まれ変わることが出来ると伝えられていると云う。

いままで欝蒼と茂った杉の木立は何時の間にか無く、あたり一面夏の明るい太陽が照らしていた。突然石段が切れると目の前に広がった伽藍は荘厳だった。立石寺の奥の院が目の前に聳えていた。あっけない1015段の石段だった。(後で伺った所によると実際には700数十段とか、数は伺ったがメモを執る暇がなかったので忘れてしまった)。

参拝後記念写真を撮り本堂を後にした。

帰路帝釈天祠、納経堂、開山堂、五大堂を順次参拝した。

五大堂からの展望は素晴らしい絶景だった。松尾芭蕉もこの五大堂に立ったに違いない。宿坊から立ち昇る夕餉の煙は、我々が見る眼下の景観とは幾分違いはあるかもしれないが周りを囲む山河の姿は恐らく当時とあまり違いはないであろう。

以前小説奥の細道を読んだ事があるが、芭蕉はこの尾花沢に到達する間で、さまざまな苦労を強いられてきた。元禄ニ年五月十五日、新暦七月一日芭蕉一行は奥羽山脈の口元、鳴子に着き。陸奥と出羽の国境「尿前の関」に差しかかっていた。芭蕉の旅日記には「小黒崎みずの小島を過ぎて、鳴子より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとするこの道、旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、ようようとして関を越す」と書いている。つまり芭蕉一行は散々に調べ上げられ、釈明も殆ど聞かれない状態だったのであろう。人間不審を抱きながら出羽の国に入っていったことは想像できる。

そして、国境を越えた出羽の国の封人の家(役人か庄屋のたぐい)に宿をかりた。この付近の農村は出羽地方でも有数の馬の生産地だった。村人は馬を家族同然に扱い、馬屋は家の中にあった。芭蕉はここで風雨を避け三日間逗留する。国境での役人との確執、風雨でのやむなき滞在、これらの鬱積した気持ちを彼は「蚤虱、馬の尿する、枕もと」と詠っている。

その後芭蕉一行は尾花沢の鈴木清風(芭蕉の俳諧の仲間)宅に滞在する。ここで長期滞在をし、奨められるままに訪れたのが現在私達の立っている立石寺である。

芭蕉はここで有名な「閑かさや、岩にしみ入る、蝉の声」を詠んだ。
芭蕉の心を暗くしていた、出来事もこの鈴木清風の心からのもてなしに、鬱積した心から開放された彼は、清閑とした寺に立ち後世に残る詠を残したのである。

私は、五大堂からの景観を十分堪能した。そして芭蕉が詠んだ句に少しでもあやかろうと頭ので、閑かさや・・・と何度も繰返して見たが石ならぬ岩の頭では、あのしみ入るような蝉の声も雑音としか聞かれなかった。あまりにも雑念が多すぎるのであろう・・・。

写真説明
1) 立石寺根本中堂
2) 蝉の鳴く杉の参道
3) 石仏の立つ浄土への入口
4) 蝉塚
5) 阿弥陀洞から観明院
6) 立石寺奥の院(妙法堂)
7) 左納経堂右開山堂
8) 五大堂からの展望

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国立公園と国定公園の二山を登る
鳥海山(2236m)鳥海国定公園
月山(1984m)磐梯朝日国立公園


2006年8月15日(火)晴れ時々霧
庄内三川道の駅7:25→月山山麓姥沢駐車場8:35 8:50→月山リフト下駅9:00 9:30→月山リフト上駅9:45 10:00→標高1570m付近小休止10:40 10:55→牛首(姥ヶ岳分岐)11:10→標高1850m小休止11:25 11:35→鍛冶小屋11:45→頂上月山神社12:00 12:40→姥ヶ岳分岐13:00→姥ヶ岳14:30 14:50→月山リフト上駅15:05→月山下駅15:20 15:35→月山山麓姥沢駐車場15:45
月山山麓さなえ温泉で入浴→道の駅「寒河江」でテント泊

月山(1984m)

8月15日(火)晴れ時々霧
前夜テント泊をした、庄川三川道の駅を7時25分に出発。月山登山口姥沢駐車場へ向かう。月山山麓姥ヶ沢駐車場へは8時35分に着いた。広い駐車場も満杯空きを見付け駐車する。

今日の山行は昨日の鳥海山とは比べ物にならない短い距離の山歩きで、しかも標高1500mまではスキーリフトを利用すると言うから、我々老人登山隊には至れり尽せりのコースといえよう。

しかし、歩くことを目的として100名山を制覇する御仁には、山麓からのルートもしっかり作られているからご心配なく。

8時50分駐車場を後にして、リフト駅へ向かう。道の両側に軒を連ねる宿泊施設もスキーシーズン外で閑古鳥かと思いきや、結構賑わっているのも月山が100名山として有名だからなのか、あるいは、出羽三山を巡る修験者の物であろうか、民宿の玄関先にある、下駄箱の中には登山靴や地下足袋が整然と並んでいることからして伺い知れる。

リフト乗場からは13分間の空中散歩。途中に咲くヨツバヒヨドリには数頭のアサギマダラが翅を休めていた。昨日の鳥海山では見られなかった、アサギマダラの北限はこの付近かもしれない。
9時45分リフト上駅に到着。昨日に引き続いて先ずますの天候である。正面に姥ヶ岳、その山を目指す登山者の姿がはっきり見える。緑の山肌に黄色く見えるのがニッコウキスゲ。目線を右へ移動する長い稜線が続き、濃緑の山肌に鮮やかなコントラストを付ける残雪の上では、夏スキーを楽しむ人影も見られる。雪渓を横断し長く伸びている登山道は、牛首から月山への登山道だ。そこにも点々と人影を見る。
牛首付近から上部は雲に包まれ目指す月山は見られない。

10時リフト上駅を出発した。広い湿原をたどる木道の登山道は、よく整備されていて歩きやすく、登山道沿いに咲くヒナザクラもイワイチョウの間から花茎を精一杯に伸ばし純白の花を咲かせていた。

私はヒナザクラの花を始めて見た。姿形はハクサンコザクラと変わりはないが、足元に咲くこの花には一片の曇りもなく、その姿は純白で侵しがたく気品さえ感じられた。

歩き始めて40分雪渓を横切った台地の上で小休止、(標高1570m、25000/1地形図の破線20ピッチ、歩行距離約1500m)
相変わらず、月山は雲に包まれて入る。目の前に広がる湿原は、一面のイワイチョウの葉で埋め尽くされていた。10時55分台地を後に牛首へ向かう。

牛首(姥が岳分岐)1690m、10時10分通過、ここで始めて昨日登った鳥海山が展望で来たが残念、山頂は雲の中だった。本州最大と言われる豪雪の鳥海山、月山の雪解け水が田畑を潤す庄内平野が目の下に広がり日本海と一つになって霞みに溶け込んでいた。

出羽三山とは羽黒山、湯殿山、月山の総称であって、三山には羽黒神社、湯殿神社、月山神社の三社が鎮座している。古くは、この三社はそれぞれ独立した神社であったものを積雪期の神社管理が困難な事から、羽黒山山頂の出羽神社合際され湯殿、月山の里宮として現在にいたっている。

いままでの単調な道は、ここから登山道らしく変化をし、岩石の積みあがる岩場の道に変わるが、老若男女を迎える信仰の山は、道も安定し不安をまったく感じさせない。牛首から10ピッチ、標高1850mで2度目の小休止時刻は11時25分。目の下には登って来た登山道が緩やかな曲線を描き、カールの底に残る雪原とそれを取巻く湿原植物の濃い緑が日差しを受けて目に痛い。「雪渓が暖められて、そこから霧が発生する!!感動ものだわ」とTさん。Tさんだけではなく、恐らく他の三人も同じ思いで周囲の景観を見詰めているに違いない。「姥ヶ岳の先に見えるのが湯殿かな」とIさん。我々はこの地点で10分の休憩をして、幾分緩やかになった登山道を一歩一歩、歩を刻んで11時45分鍛冶屋小屋跡を通過した。小屋跡は以外に広く目測間口4m弱、奥行き10m程か、周囲を2mほどの石垣で囲われた跡地を見てこんな場所でどんな物を火作りしていたのか興味を抱いた。

深田久弥氏は日本百名山の著書の中に月山をこのように紹介している「山は濃い群青で、牛の背のようにゆったりと伸びていた。どんな山でも頂上のあたりはいくらか鋭く立っているものだが、月山にはそれがない。撫でたように緩やかな線であった」そして「出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山のことだが、・・・ひとり月山だけが優しく立っている。優しく―それが月山である。」

牛首からの急登は、標高差にして僅か300mその急登も岩を掴みロープに頼ることもないままあっけなく山頂の一各に立った。国土地理院1/25000地形図を見れば歴然と分るように、月山を東側から見れば深田久弥氏が著書に認めたような「撫でたような緩やかな線」であるはずだ。

私達はこの緩やかな山頂を、ある時は流れる霧の中を歩いたり、強い8月の太陽の下を歩いた。月山山頂の「月読尊(つきよみのみこと)」を祭る神社に参詣の後、神社の下に広がる草原(御室)に腰を下ろした。山頂到着12時
「御室」とは、神が宿る場所の意味だそうで、山岳宗教の華やかな頃「御身体が鎮座」する山頂の一画をその様に呼びならわした。白山の室堂も同じことで、山全体が神の山であった証しであろう。

芭蕉も奥の細道紀行の途次で月山を訪れている。芭蕉は出羽三山の羽黒山から、月山へ登り次いで奥の院の湯殿山へくだっている。「雲の峰いくつ崩れて月の山」・芭蕉

私達は出羽三山を経ることなく、あっけなく標高1978mに立ち、食事をし、食後のコーヒーを飲んだ後、12時40分月山山頂を後にした。

牛首分岐で、緩やかに下る道を分ける。姥ヶ岳への縦走が始まるが、稜線は緩やかな起伏で岩石の露出する場所や湿原には木道が作られ、昨日歩いた鳥海山といい岩手県民の山への気持ちの表現が歩いて見て良く判る。実に歩き易い快適な山歩きが出来た。

稜線の左右に広がる景観を眺め、濃い緑のなかに群生するニッコウキスゲに感嘆の声をあげ、広い雪原から水蒸気が上がりそれが霧となって気流に乗り流れていくようすに見惚れ、楽しい山歩きは姥ヶ岳山頂まで続いた。姥ヶ岳山頂で全員集合写真を取る。時刻は14時30分。23ピッチ、1700mの稜線漫歩は1時間30分とゆっくりペースで、四辺の景観を十二分に味わった。

姥ヶ岳山頂での大休止は20分に及んだ。14時50分山頂を後に木道を歩く。昨日鳥海山でも目にした「キンコウカ」が一面の群生を作っている。「周りが黄色に輝いてるね」Iさんがつぶやく。「これがみな金だったりして・・・」「そうしたらこの場から全員飛びこんだりして」と老人部隊らしからぬ若く華やいだ瞬間があったのも、この山旅が若い人達のなかで過ごした所為であったと信じたい。

山頂一帯の湿原にはキンコウカ、台地のあちこちに群生するニッコウキスゲはこの山歩きの圧巻だった。

木道を左に曲がると、眼下に月山リフト上駅の駅舎の赤い屋根が見えた。全員の足取りは何時のまにか軽く、iさんとTさんの奥さんの姿はすでに小さく目の下に横たわる雪渓の上にあった。月山リフト上駅着15時5分。


始めて登った鳥海山・月山は今月始めに歩いた火打山、妙高山と違い我々老人部隊が片隅に追いやられてしまうほどに若い人が多かったことも記録しておきたい。お盆の所為ではないことを念じて・・・。

今回の山行にお誘い頂き、かつ車の運転を最後までして頂いたTさんご夫妻には改めて感謝に気持ちを表します。

往路歩行時間2時間 帰路歩行時間(姥ヶ岳経由)2時間25分 全行程時間5時間5分
往路歩行距離3750m 帰路歩行距離4050m 全歩行距離7800m

写真説明
1) 姥ヶ岳を背景に全員集合
2) 牛首分岐への道
3) 振り返ると登ってきた登山道が小さく見える。
4) 稜線から始めて鳥海山を見た。
5) 水蒸気が気流となって流れる雪原
6) 霧の中のスキーヤー
7) 縦走路からの展望
8) 振り返る稜線
月山スキーリフト上駅舎が見える

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清涼感を誘う「イワタバコの花」
2006年8月24日(木)快晴

毎年8月中旬に咲く「イワタバコ」昨日この花の咲く谷を訪れた。処が、谷へ降る固定ザイルが外されていて谷へ降る事が出来なかった。今日改めて30mザイル一本を持って谷へ降った。谷底の岩場には紫色のイワタバコの花が一面に咲いていた。
淡い紫色の小さな花は、暗い谷間にあって其処だけに色彩の妖精が踊っている感がした。

私は濡れた垂直に近い岩場に、足場を求め慎重にカメラを構えシャッターを押した。

昨年この谷へ降る登山者が滑落し大怪我をした場所でもあり、しばらくザイルも取り払われていたのだが、1月ほど前に通過したときにはザイルも固定されていた。昨晩地元の山仲間に電話で確認したところ、最近クチコミでこの谷へ入り盗掘する登山者もある事からザイルを外したらしいとの事、そんな登山者が居る限りは「仕方がないとあきらめる他ないであろう」。

「イワタバコ」は、たえず水に濡れた岩場の崖に好んで咲く。それも不思議と北側斜面にしか花を付けない性質を持っている。こんな難しい植物を盗掘しても管理が大変でほとんど枯れてしまうそうだ。自然の中で鑑賞するのが一番だと思うのだが・・・・。

「いわたばこ」は、根元から一枚ずつ出る大きな葉がタバコの葉を連想させるので、その様な名前が付いたと言われている。しかし、ガサガサしたこの葉はタバコの葉とは似ても似つかない。岐阜県東濃地方ではこの花の名前をウシノシタと呼ぶそうで、他にもイワナ・イワジサとも呼ばれているそうだ。

写真説明
1)2)3)共「イワタバコの花」


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