愛知県尾張地方に伝わる山姥の話 6
その三の四)山姥の話 福富新造と親友小池与八郎貞好と妻玉の話
福富新造は本宮山奥の宮の社殿脇で目を覚ました。いつのしか眠ってしまったのであろう。深い木々の間を朝霧が流れて行く。今朝は小鳥の声も聞こえた。二匹の犬も新造の気配を知ると体を振るわせ立ちあがった。新造は大きく伸びをして周囲の気配を確かめたが、ムッとする血の匂い以外には人の気配を感じなかった。
社殿の周りにはおびただしい黒い血が土の上を染めていた。その血の跡は山頂から鞍ヶ淵※・(鞍ヶ淵は尾張富士と本宮山の間にあって入鹿池の完成以前は入鹿川が深い淵を作っていた)へと続いているようだ。周りの木は根元から倒され岩も跳ね飛ばされていた。昨晩の地震を思わせる騒動もこれを見ると納得がゆく。
新造は血の跡を追う事にした。普段なら欝蒼と茂る樹木に阻まれ、通る事も出来ない所に突然1本の道が出来たように山麓へ向かって続いている。木の根を掴み、岩を抱き何時現れるか知れない昨晩の物の怪に全身の注意を払いながら山を下った。
点々と続く血痕は鞍ヶ淵を過ぎなおも下流へと続く。安楽寺の部落を過ぎても血痕は続くのである。「きやつ!!まさかこんなところまで来るとは」驚きを隠せない新造だが、二匹の犬は昨晩とは違い元気に新造の前を進んでいく。羽黒の集落を過ぎ、青塚古墳の森を横目にして小口村へと伸びている。新造と犬はその跡をたどって行くと何と余野村の小池与八郎の屋敷の前まで来てしまった。「これはおかしなことよ。小池殿の屋敷ではないか」新造は屋敷の前に立ち止まってしまった。連れている二匹の犬は屋敷に向かって低く唸り声をあげている。「小池殿に何か悪いことでも起きたやも知れぬ!!」新造は門の前に立ち案内を請うた。
運よく与八朗は家におり、久しぶりの友の顔お見ると喜んで座敷へ迎え「どうしたのです!!狩の帰りですか」と尋ねる。新造は、此れこれ、しかじかと昨晩からの出来事をつぶさに語り、血の跡を追ってこの屋敷の前にきたのだと語った。
与八郎は顔色を変え、「それがしの妻が今朝から病で床に伏せている。何か昨晩夜なべをして目に何か虫でも入ったようだ」と言っていっていたがと、玉の寝所へ慌てて出ていった。
与八郎は寝所の前に来て「玉気分はどうだ、新造殿がお見えになっている、気分が優れなければ無理には言わぬが、良かったら座敷に来て挨拶してくれぬか」と声をかけたがどうしたことか何の返事もなかった。不審に思い戸を開けてみると、薄暗い部屋のなかからむっとする血の匂いがして何と布団の上は真っ赤な血の海だった。
与八郎は腰を抜かさんばかりに動転し、部屋の中に駈け込んだが玉の姿は何処にも見当たらない、部屋の隅の文机の上には白い紙に和歌が書かれていた。
求めなき契りのすえのはらはれて
終(つい)には帰るふるさとの空
求めてはならない結婚でしたが
私の素性を知られたからには、ご迷惑をお掛け
する訳には参りませんふるさとへ帰ります。
写真説明
1) 入鹿池と尾張富士
2) 右本宮山の山裾、左尾張富士の山裾今は面影も無い鞍ヶ淵
=続く=
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