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奴国はやはり、夜須町(現、筑前町)を中心とする筑紫平野一帯という広い範囲でしたね!(^_^)ノ
図のとおり大和の中の数多くの地名とその位置関係もほぼ一致しますから!
しかし、従来から高天原は天照大御神=卑弥呼とする邪馬台国だという説が有力でしたが、【新説】邪馬台国はここだ!で述べた仮説から、ここは那(奴)国と言えます!( ^ω^ ) つまり、ヤマト王権の前身が那(奴)国であり、帥升王らに追放された奴国の故地を、再興した大和で地名として再現したということですね! 神話に登場する高天原の天御中主は那国の初代の王ですし!(^o^) 記紀神話のとおり御皇室の祖先ですね! 更に、魏志倭人伝が参考にしたと言われる魚豢(ぎょかん、魏・西晋代の陝西省長安県 の学者で魏の郎中となり,西晋の中頃まで生存)が書いた「魏略」にあるように倭人が呉の太伯の子孫(注)だとすると太伯は周王朝初代武王の曾祖父古公亶父(ここうたんぽ)の長男で、弟に王位を譲り、長江河口付近に呉を作ったと言われてます!姓は姫(き)氏です! となると先程の初代那国王の天御中主は、紀元前473年越に呉が亡ぼされて北九州に落ち延びた呉の王子のことでしょうか?!(^o^) やはり、日本で七世紀後半に天皇の称号が作られたのは、シナの神話に登場する三皇(天皇・地皇・人皇)に因んだものですからね! もしもこの仮説が正しければ、天皇陛下が東アジア一帯を治める正統性が有ることになりますよ! シナの正史「新唐書」「宋史」にも日本はもとは奴国で、初代王が天御中主だとはっきり書かれてますが、通説では、その事を無視して、シナの歴史に金印の奴国が最初に登場したからだとしているようです!( ̄ヘ ̄メ) (注)太伯には子がなかったようで、最後の呉王夫差は太伯と一緒に呉を建国した弟仲雍の後裔です!また、古公亶父が「後漢書」に出てくる亶州(たんしゅう)の古の父を意味するなら亶州は倭人の住む日本列島を指すと云うことのようです! また古公亶父の逸話を見ると、仁徳天皇の「民のかまど」と同様に、民を大切にする国柄で一致しますから、天皇家が中国古代周王朝の末裔というこの仮説もあながち外れではない感じがしますね(*⌒▽⌒*)
なお、鳥越憲三郎さんは「弥生の王国」(中公新書、1994)で奴国よりも前の紀元前2世紀に早良王国が半島の倭人によって作られ、その後奴国に滅ぼされたと推理しています。 これについては現在調査中です。 結論は後日と言うことで(●^o^●)
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