|
*亀庵所蔵
これはまったく出典が何なのかは判らないが、
上だの下だの右だの左だの縦だの横だのと、
ひょっとしてラジオ体操第4なのかもしれない
![]()
さて、詠士先生の書は宿墨を用いていると前回書いた。
宿墨になるのは墨池を用いているからである。
硯だと書いた後は直ぐに水洗いをする。
それは筆についた紙が硯に付着したり、
残り墨が固まるのを嫌うからである。
その意味で、墨池だと何時でも書けるし、
たびたび洗う必要もない。
ある意味、詠士先生はずぼらだったのかもしれない
![]()
冗談はさておき、詠士先生は墨池に真綿を入れていたそうだ。
理由はたぶん真綿には脱臭、腐敗を遅らすという効果が
あるからではないのかと想像する。
法師も全身に真綿を巻き加齢臭防止といこう
![]()
|
宮島詠士
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
*亀庵所蔵
紆樹三匝 樹を紆ること三匝
何枝可依 何れの枝か依る可き 山不厭高 山は高きを厭わず
海不厭深 海は深きを厭わず 周公吐哺 周公哺を吐きて (短歌行一節 曹操)
さて、詠士の書は見てのとおり滲んでいる。
これは宿墨を用いているからである。
書き方はこうだ。
先ずたっぷりと筆に墨を含ませ、
書くときに穂先に真水を付ける。
そうすると、紙面を先ず真水が走り、
後を墨が追いかけるということである。
法師は、借金取りに追いかけられないよう
注意しよう
![]()
|
|
*個人蔵 亀庵保管品
跨海東来訪赤松 乱山騎馬似騎龍
白雲堆裏容高臥 聴打身延百八鐘
さて、この漢文は赤松、騎龍、八鐘と韻が踏まれているので七言絶句であろう。
詠士が詠んだものなのか、それとも別の人が詠んだのかはさだかでない。 赤松は人の名前だろうか 百八鐘とは除夜の鐘のことだろうか そうすると白雲なんて夜に見えたのだろうか
このような具合だから、
ピコ太郎はカナブンをビンから飛ばしてしまうが 法師のカナブン、いや、漢文の解釈はこのように飛んでもないものである
でも、これで、ええし〜〜〜
宮島詠士
|
|
京(師)飲之者痼疾皆癒然則神物(之来)寔扶明聖既可蠲茲沈痼又将延彼遐齢是以
*亀庵所蔵
以前の記事にも書いたが、宮島詠士の書は人を教えるというより自己と向き合うものだったと言われている。したがって人格の現れる書というものを非常に大切にし、軽々しく発表したり、人に与えるということはなかった。
しかしながら彼の死後、彼の作品や日々練習したものまでも世に出回ることになる。本人にしてみれば不本意なことではあろうが、彼の書や精神を慕う者にとってはまことに有り難いことであるとも言える。
やっぱり、この九成宮禮泉銘は、ええし〜〜〜
![]() 宮島詠士
![]()
|
|
*半切 【皇朝は国体尊厳にして、人民は忠義なり。古より(王に)勤めて】 『佐藤氏の祖(そ)を念(おも)ふ碑』と読む。 *法帖 この碑は香川県高松市牟礼町王墓にある。 宮島大八(号:詠士 えいし)は米沢の藩士で後の貴族議員になった宮島誠一郎の子。 大八11歳のときに勝海舟のもとに入門。 号の詠士は勝海舟から贈られた扁額の言葉(論語)の「詠而帰(詠じて帰らん)」に由来する。 その後、大八は父誠一郎のもとに贈られてきた清国の張廉卿の文と書に魅せられ彼を慕って留学する。 張廉卿は書を教える場合は手本を与えたり筆を執って書くところを見せたりせず専ら北魏の碑の拓本を見て独力で研究せよというのみであったという。 帰国後は善隣書院を創設し中国語の教育に情熱を注いだ。 書においては『書法は努力して自得することが肝要である』と言ったとされる。 彼の書は人を教えるというより自己と向き合うものだったと言われている。 したがって人格の現れる書というものを非常に大切にし、軽々しく発表したり、 人に与えるということはなかった。
|
全1ページ
[1]



日本造船の赤松男爵家のことだろうか







