西川寧先生の回顧展
五島美術館(世田谷区)に見に行ったときのこと。青山杉雨先生のネタ本はここにあった、と感じました。
どの世界も
まずは物真似から入る。書道では臨書(古典を真似する)であり、師匠の手本だったりします。努力すれば誰にでもある程度は出来ます。たぶん…。さて、ここからが問題…。どう自分を表現するか。なかには全て自分の手本での作品を展覧会に出品させる先生もいると聞きますが、これではただのコピーと言われても仕方なしか?(コピーまで行けばたいしたものですが…)。自分の感性で変化させる。形から入って形から出る。これがなかなか出来ない。だからみんな苦労する。だからやりがいがある。ともいえます。
これから書道を始める方へ
独学は感心しません。せっかく始めるのですから、しっかりとした指導者の下で基礎作りと学習方法の勉強をされることをお勧めします。お金が掛かるからという理由では技術を習得するのにかえって時間が掛かりますし中途半端なものになってしまいます。習い事はお金と時間が掛かるものです。ではありますが…。
忘筌(ぼうせん)
荘子の言葉だそうです。筌とは細い竹で編んで水中に沈めて魚を捕らえる漁具。魚とりの目的はあくまでも魚であって筌ではない。つまり、本来の目的と手段を間違えないこと、と言う意味だそうです。皆さんは…?
青山忠一先生のこと
書家ではありませんが字もすごくお洒落な方です。近世文学の大変偉い先生です。大学3・4年時にこの先生のゼミを専攻しました。先生には大変申し訳ありませんがまったく勉強しませんでした。このことは、先生はとっくにお見通しでしたが。明石春浦先生の学生会を辞めてすっかり目標を失っていた時(他にも理由があったのですが)、先生には次のように諭して頂ました。「プロと言っても2種類ある。ゴルフに例えるならレッスンプロとトーナメントプロ。君は面白い字を書く。出来ればトーナメントプロを目指しなさい。」と…。それから師匠を探したのは言うまでもありません。ただ、授業ではこんなことも「まずは技術の練磨、その次に理論の整備、そして人格の陶冶(とうや)」。陶冶を広辞苑で調べると、(陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間のもって生まれた性質を円満完全に発達させることとあります。この言葉を思い出したのは後年のことですがこちらのことのほうがよっぽど重要だったのではないでしょうか。
おかげさまで
私は人生の折り返し地点をすでに回っているようです(まだまだ若いと思っていますが)。昔の人は人生50年でしたが…。これからは今までの経験を生かしつつ書を楽しみたいと思っています。これからは組織に縛られることが無いので、自分の感じるところを紙面に表現できると思っています。子供が大好きだった良寛さんには、嫌いなものは3つ。詩人の詩、書家の書、料理人の料理とか。私はこのような書家にならないようにと願いつつ…。
これから書を始める方はそれぞれに持っているものが違いますから自分のペースで歩んでいって頂きたいと思います。「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず…」と家康公も仰ってるようなので…。
瑰山のいっぷく書話2009.2
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