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邪馬台国の九州説と畿内説みたいな・・・ w(▽o▽ )w 連歌(れんが)は和歌から俳諧へ移る過渡期に生まれた文学で、二人以上の人が一つの歌を作ることを連歌(連句)といいます(上の句を受けて下の句を違う人が詠む)。室町時代に盛んとなりましたが、江戸時代に入ると、さびれてしまいました・・・ ヽ( ´_つ`)ノ 今回は近江説(滋賀県)でご案内・・・(*^o^*) 水車の形を模したJR能登川駅・・・西口を出て・・・ 北に向かうと・・・途中で林中央公園・・・ タージマハルを連想させるような… 駅から徒歩約15分位で東近江市立能登川図書館があります・・・ *ここは平成の大合併で能登川町が東近江市に吸収されました。 敷地内に・・・ かの松尾芭蕉の旅も、宗祇さんの影響を受けているということです。宗祇さんの終焉の地は箱根湯本だそうです。 芭蕉は、[宗祗の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり]と『笈(おい)の小文(こぶみ)』にもみられますが、宗祗を歌の大先輩として大変に尊敬したことがよくわかります。 図書館から今度は西に向かって伊庭町(いばちょう)に向かい(徒歩15分位) *ここにも水車のマークが… (参考の1) 宗祗の出生地については、近江説・紀伊説の二つがあり、江戸時代からはなぜか紀伊説「紀伊の国・藤波荘(旧吉備町下津野)で生まれた」が有力となっていました。しかし最近、広島大学名誉教授・文学博士の金子金治郎先生が、「宗祗ハ江東ノ地ニ生マレ」と書かれている『種玉宗祗庵主肖像賛』や手紙などをもとにして、その生まれを近江守護・佐々木六角氏の重臣伊庭氏であると考究され、学会でも認められることとなりました。 *江東は琵琶湖の東の意。(宗祇では現在の滋賀県東近江市伊庭町) (参考の2) 足利義政が京都・東山に銀閣寺を建て(屋根の葺き替えで金色に光る銀閣寺と、ちょっと前の新聞に出ていました)、東山文化が花開いた室町時代、俳諧の世界に新しい流れを起こした人物が宗祗。 彼はこよなく旅を愛し、西行、芭蕉と並んで 放浪三代詩人と呼ばれています。 「心の連歌師」と言われ、「宗祇の前に宗祇なし」「宗祇の後に宗祇なし」と評されるほどの連歌界の巨匠です。代表作は「三無瀬三吟百韻」(みなせさんぎんひゃくいん)。後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)からは「花の下」(はなのもと)という連歌師で最高の称号を与えられた。 (参考の3) 『笈(おい)の小文(こぶみ)』は、芭蕉自身が書いた真蹟短冊や書簡などをもとに、芭蕉の死後に大津の門人の河合乙州(かわい おとくに)によって編集された。 今度は芭蕉について書きたいと思います・・・(いつになるやら・・・?) 途中、土筆が土手にいっぱいに広がっていました… そのほか菜の花や伊庭内湖…遠くに水車が見えます… 清流が流れ…梅花藻が水面に…白い2つの小さな花… 春が訪れていました… 宗祇さんも近江の地をこよなく愛したのでしょうネ…
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連歌師・飯尾宗祇
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