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芭蕉翁句碑

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堅田十六夜之辨

 
さて、浮御堂→光徳寺→本福寺→祥瑞寺を見学の後 
湖岸の堅田十六夜之辨の碑を見に行く 
 
 
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芭蕉は義仲寺で月見の俳席の翌日(1691816日)、十六夜の月を賞すべく船で堅田に赴き門人の成秀竹内茂兵衛の家で遊んだ。盛況だったこの夜の俳席の様を、俳文「堅田十六夜の辨」として記している。碑の後ろに写っているのは浮御堂。
 
 
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望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。「酔翁・狂客、月に浮れて来れり」と声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園の中に芋あり、大角豆あり。鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。かねて聞く、中の秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によって、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間に5して峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなすこころいと切なり。やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。
錠明けて月さし入れよ浮御堂  ばせを
やすやすと出でていざよふ月の雲 同
(元禄4816日:48歳)
 
 
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朝茶飲む僧静可奈り菊乃花
 
句意】
勤めを終えた禅僧が朝茶を飲んでいる。その視線の先には菊の花。
実に静寂で高潔な菊のかおり漂うことである
*元禄4年(1687)、44歳の作。元禄3年の説もある。
 
さて、本福寺と堀を隔てて隣接する臨済宗大徳寺派の太平山祥瑞寺に向かう。
境内内、鐘楼の直ぐ近くに芭蕉の句碑が建つ。
禅宗では朝の勤行や掃除の後に抹茶を飲むしきたりがある。
 
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山門の左側には一休和尚修養地の大きな石碑がある。
そう、ここは頓知で有名な一休さん修行したお寺。
一休さんは華叟宗曇(かそう・そうどん)の弟子。
 
好き好き好き好き〜好きっ好きぃ〜愛してる〜〜〜
 
好き好き好き好き〜好きっ好きぃ〜亀法師〜〜〜
 
 
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可ら佐き能松盤花よ梨お浦路尓天
 
【句意】
湖水一面朧に霞みわたる中、湖岸の辛崎の松は背後の山の桜より
さらに朧で風情が深いものだ。
貞享二年(1685)四十二歳の作。
 
この句は大津市中から辛崎(唐崎)を遠望して詠んだ句であるが、
発句であるのに連句のように「にて留」をしている。
このことは余韻のある詩情を表していると思われる。
また、当時は「朧」は「朧夜」などの夜間の用語として使われたのに、
敢えて昼間の景色としての描写をしている点があげられる。
 
この碑がある本福寺は浮御堂よりすぐ近く。
ここの住職だった三上千那(みかみせんな)は芭蕉の門人の一人。
 
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境内の松はそれはたいそう立派でした。
 
 
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鎖安遣亭月さし入れ与浮御堂
 
【句意】
鎖は錠のことで、浮御堂の扉を開けて、月の光をあびた千体仏を
拝みたいものだ
*元禄四年(1691)四十八歳の作。
 
 
芭蕉は門人とともに琵琶湖上を船でこの年の8月16日に膳所から堅田まで
やってきた。堅田の門人の成秀竹内茂兵衛の家の裏の湖岸に着いたのは夕方。
その湖岸で十六夜の月をめでながら酒宴をひらき、その後に浮御堂に行って
詠んだ句だとされている。
 
 
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浮御堂は近江八景の一つ堅田の落雁で有名。
比叡山横川(よかわ)の恵心僧都(えしんそうず)が995年ごろに創建した
海門山満月寺(かいもんざんまんげつじ)のことであり、湖中に突き出た方形の
仏堂には湖上交通の安全を念ずる千体の阿弥陀様が祭られている。
 
 
 
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*芭蕉元禄四年
 
揮毫(きごう)は先日お亡くなりになられた書家の榊莫山(さかきばくざん)氏。
元禄年のを横棒本で書かれています。
 
 
三井寺(みいでら)と名月とは、謡曲『三井寺』によって古くから知られていたという人がいます。
また、この句は、中国・唐の詩人、賈島(かとう)の詩句「鳥ハ宿ル池辺ノ樹 僧ハ敲(たた)ク月下ノ門」を踏むとされています。
皆さんも良くご存知の通り、初め、「僧ハ推ス月下ノ門」と歌ったのを、「推ス」か「敲ク」か吟味の末、「敲ク」と改めたという故事が、推敲(すいこう)の言葉の由来となりました。
芭蕉は、この中国の僧が月下にたたいたという門を、同じようにたたこうという意を含ませたものと考えられます。
 
この碑は、平成六年、芭蕉没後三百年を記念して三井寺(滋賀県大津市)の境内に奉納されたものです。
 
 
氏を悼んでこの記事をUPしました。
 

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