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難民遺族、感謝の来日「杉原は家族全員救った」

4/14(日) 12:46配信
読売新聞
 岐阜県八百津町出身とされる外交官・杉原千畝が発給した「命のビザ」によって生き延びたユダヤ人難民の遺族女性が11日、同町の杉原千畝記念館を訪れた。女性は父が残した「命のビザ」を持参、「杉原は父だけでなく、我々家族全員を救ってくれた。とても感謝している」と述べた。ユダヤ人難民の関係者が「命のビザ」を携えて記念館を訪れたのは初めてだという。(伊藤幸典)

 この女性はイスラエル・ラマトガン在住のインテリアデザイナー、ルーティ・セネルマンさん(67)。ポーランドでワルシャワ銀行に勤めていたレイブ・スピバックさん(1911〜2002年)の次女。スピバックさんは、ナチス・ドイツのポーランド侵攻に伴い、隣国リトアニアに逃げた。リトアニアの日本領事代理だった杉原が発給した日本通過ビザを受け取り、日本を経てパレスチナに渡った。

 ビザには「査証 昭和十五年八月一日 杉原千畝」などと記され、シベリア鉄道経由で敦賀港に上陸した際の福井県のスタンプも押されている。スピバックさんは生前、過酷な思い出についてほとんど語らず、セネルマンさんは遺品を整理していて、この「命のビザ」を発見、杉原の存在を知ったという。

 夫とともに初めて来日したセネルマンさんは「命の恩人である杉原に祈りをささげるためにやってきた」といい、神奈川県鎌倉市にある杉原の墓にお参りしてきた。その後、八百津町に足を運び、記念館を見学したセネルマンさんは「充実した展示で、素晴らしい施設」と評価した。

 記念館は2000年に町が建設。ユダヤ系米国人女性から寄贈された「命のビザ」や戦前の外務省文書など関係資料200点を展示している。昨年度は約2万7000人が訪れた。うち1900人余は外国人。ほとんどがユダヤ系の人々で、杉原が発給した2000枚以上のビザによって生き延びたユダヤ人難民の関係者も、年に数人やってくる。セネルマンさんは「ビザを何らかの施設に寄贈したいと思うが、姉は手元に保存したいと言っている。家族と話し合う予定だ」と述べた。

 セネルマンさんを案内し、対談した記念館の国枝大索館長は「杉原サバイバー(生存者)について、貴重な情報を得ることができた。セネルマンさんが杉原の偉業について世界に発信してくれることも期待したい」と語った。

◆杉原千畝=第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事代理だった1940年、ナチス・ドイツの迫害を恐れ、日本を通って米国などに渡ろうとするユダヤ人に対し、独断で通過ビザを発給。約6000人のユダヤ人を救ったとされる。

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