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年末に向けて上昇し続ける日経平均。
ふと、昔に書いたブログの内容を思いだした。絶好調の日本株が崩壊した。
1989年12月29日の大納会 日経の終値 3万8915円の史上最高値
時価総額は世界一の611兆円
<過去のブログから抜粋>
現在の日本の株式市場でもヘッジファンドを中心とした外国人投資家の売買動向によつて相場が大きく動いている。
常に外資主導によつて相場が動いているが、今から23年〜24年前の平成バブル崩壊の引き金を引いたのもやはり外国人投資家であつた。
1989年12月末 38916円
1990年12月末 23848円
1991年12月末 22983円
1992年12月末 16924円
上記は当時の日経平均株価ですが、僅か3年間で60%近くの大暴落となりました。
その後リバウンドもありましたが、最終的には10000円を大きく割り込むことになりました。
この数字を見てみると今の暴落がかわいく見えますね。
1989年12月末の史上最高値38916円から暴落の引き金を引いたのは、ソロモンブラザーズ。
ソロモンが巧みな方法で安全に巨額の利益を手に入れた。
1988年6月12日 大証で日経平均オプションの取引開始
1990年9月25日 CMEで日経平均先物、先物オプション取引開始
当時は日経平均オプションが開始されて間もないことから日本の機関投資家のほとんどが
この売買手法を理解していなかった。この間隙を利用してソロモンが・・・・・。
1989年12月上旬 ソロモンは先物売り(3月限)の裁定取引を1900億円分実施。ソロモンの現物買いで1989年12月末で日経平均は38916円の史上最高値となりました。
1989年12月 株価の先高感が強まり日経平均先物と現物との差が1000円以上開いていました。現在ではこうしたことは絶対に起こりませんね。
投資家の多くが先物価格を意識して売買しているので・・・・・。1000円以上の開きなんてとても考えられないことです。
当時の日本の投資家の先物に対する売買レベル、知識レベルが理解できると思います。
ソロモンは日本株の暴落に備えて大量のプットを買い
1990年1月11日に不人気の国債を600億円購入
そして、日経平均のプットをもとにアメリカの機関投資家に日本株売ファンドを販売(日経平均下がると利益が出るファンド)
1989年11月頃から日本の株式市場暴落を計画しプットワラントを売り始めた。日経平均が大暴落したら大儲けという商品を年末から年始に掛けて日本株は大暴落する。
60年前の暗黒の木曜日の時と同じくらい大儲けできるとのキャッチフレーズで販売していた。
その時の日本人投資家は1989年12月末の38915円の史上最高値に浮かれて、年明けには日経40000円に乗ると確信していた。中には日経10万円説を唱える評論家もいた。
1990年1月2日 NYでは突然為替が円安へ向かった。この円安はソロモンがプットワラント販売にちなみ債券・為替・株価のトリプル安を企てたもの。
1990年1月16日 買って間もない大量の国債(1/11購入)を損を承知で投げ売り。その結果、国債価格は暴落、金利は暴騰し金利上昇をきっかけに株価は下落し
先安感が支配的になり1月から2月にかけて日経はジリ安状態であつたが、大暴落の兆しはなかったが・・・・・・。
1990年2月26日 ソロモンは大量の裁定取引を解消して巨額の利益確定
下がり切った先物を買い戻し、大量の現物を売った。
その結果、日経平均は34891円から33322円 1日で4.5%暴落
それ以降下げ続けて1990年12月末には23848円となつてしまつた。
日本株売ファンドを買ったアメリカの機関投資家は日本株大暴落で膨大な利益をあげました。
現代のインターネットの発達した時代においては同様なことは発生しないが、より高度な手法による類似的な取引はあると思う。
事実、サブ問題発生時には、日本の機関投資家は相場の動きが変だと感じた時には、ヘッジファンドは既に動いていた。
日経平均上昇しているのに日本の機関投資家の間では変な動きだと感じていた。個人投資家には判らない世界だった。
高度なシステム、高度な情報がない以上その変化に気付くのはほとんど不可能だろう。個人投資家が知った時点では完全に取り残されている。
まあ、決算のない個人投資家の優位性を生かした投資スタンスを採る以外に長期的に勝ち続けることができないと思う。
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