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恋愛以外の生甲斐

恋愛以外の生甲斐

人を愛することは素晴らしいと思う。これこそ本能が示す基本的な欲求であろう。生を受けた以上異性を求める本能は、生き物すべてに与えられた基本的な欲求である。これは本能だからしかたがない、これこそ生を持つ者の生甲斐でもある。


人は人を愛するために生まれた。そう言い切ってもいいと思う。純粋に素直に何の汚れもなく人を愛したいものだ。巷で起きている悪い愛とは無縁に、清く正しく人を愛したい。無責任なエゴに振り廻られることもなく、裏切りもなく、酷い罵声を浴びせられることもなく、批判も反対も中傷もなく、卑怯にも逃げることもなく、信頼と尊敬で安心して人を愛したい。


男女の誰もが望んでいるそんな愛。だがその愛はなかなか手にすることができない。では、どうすれば手にすることができるのだろう?



私の飛躍した考え方はこうだ。「恋愛以外の生甲斐を持つこと」これに限る。

愛は直線的に操作するものではない。相手に直線的に愛して尽くしても、あなただけが自己満足するだけで、相手はこの上ないプレッシャーを感じる。そのプレッシャーは依存となって本能的に権悪感さえ感じる。依存ではなく対等に愛し合うことである。男女の最初の始まりにはお互いの好みもあるが、それよりもっと重要な中身である対等な関係から始まっているはずだ。彼があなたのことを好きになる。外見ももちろんだが、中身に尊敬と信頼があったからこそ付き合う気持ちになった。だが、その尊敬できる期待を先に裏切るのは概ね女性の方である。女性はひとたび好きになるとスイッチが入り、女性本能のまま行動してしまう。尽くしたり愛したり限りがない。対等で尊敬できる部分を放棄してまで彼一色となり、恋愛そのものが命となる。男性はそんな直線的な愛を望んでいない。あくまで尊敬と信頼できる対等な関係で彼女を愛したい。直線的な愛を男性は望んでいないし、迷惑でもある。


スイッチが入ると直線的な愛に変化する女性たち。でもそれだと男性に嫌われてしまう。その直線的なスイッチが入らないように操作するのが恋愛以外の生甲斐である。


恋愛以外の生甲斐を持とう。

それがあれば、男性とは対等に尊敬されながら愛し合うことができる。


前向きに

前向きに

考えたことをやりたいようにやりなさい。前向きとは考えたことを行動に移すことである。


人の心には二律背反の心がある。前向きに行動しようという心と、いや待てよ?失敗したら取り返しがつかいない結果になるという恐れる心がある。やってみて失敗するかもしれない、やり方が間違っているのかもしれない。でもやってみなければどれが正しいかわからない。言いたいのは「何もしなければ何も変わらない」物事は前に進まない、ただそれだけである。


前向きに行動することはリスクを伴う。失敗してやらない方が良かったという経験の方が多いのかもしれない。後悔と反省の方が人間には多いと思う。過去の失敗による反省と後悔のお陰で、少なからず、躊躇するトラウマが宿っている人が世間には多い。では、行動を起こさないであきらめているかと言うとそうでもない。人間は躊躇しながらも前向きに行動したいという気持ちもある。だがその気持ちに自信がない。過去の数々の失敗のお陰で自信はドンドン喪失している。頭では前向きに行動しなくちゃダメだと分かっているが、過去の失敗が躊躇させているのである。変に大人になってしまったものである。



こういう人に対して、いつも私が投げかける言葉は「心は積極的に」である。私の座右の銘であるその言葉はいつも困難な時に威力を発揮する。「心は積極的に!」



前向きに積極的に。
私はもっと単純でいいと思う。
そしてもっとバカになっていいと思う。
純粋無垢なアラレちゃんのように。あるいは純粋無垢な赤ちゃんのように。アラレちゃんも赤ちゃんも行動することを「キャーキャー」いいながら楽しんでいる。失敗してもオヨヨ?と言いながら何度も何度も再チャレンジしている。ハイハイしながらヨチヨチ歩きしながら純粋に前向きである。時々失敗してワーワー泣きながらかんしゃくを起こすが、成功したら自分の手を叩いてはしゃぎながら大喜びする。何の悪気も屈託もない自然な前向き。純粋で単純でおバカさんでいいと思う。



前向きとはある意味バカバカしい行動でもある。あなたがやろうとしていることは世間の批判を浴びるかもしれない。そしてひねくれた彼のイヤミとも言える抵抗に合うかもしれない。でもそれがどうしたの?前向きな私は純粋無垢になってバカバカしい行動を取るだけである。オヨヨ?と言いながらキャーキャー笑いながら。アッハハハ(笑)


(あきらめない、あきらめる)大事なのは決めること

あきらめることは決して悪いことではない。何故なら「決める」ことができたという評価に繋がるからだ。「優柔不断は人類共通の敵、決めることが大事」それこそ白黒決着ではないだろうか。一大決心の白黒で「彼のことをあきらめる」となったとしても、後悔はしないこと、決めたことであなたの新しい人生の扉が開くことを信じよう。そう決心した方が人生はより豊かになる。決めるときは一切の後悔がなく、未練もなく決めることである。一部の望みも持たないで綺麗に辞めること、未練を持ってはならない。はっきりとあきらめて前に進むことが大事である。



西洋哲学では最後まであきらめないハングリー精神を教え、東洋哲学ではあきらめることでうまくいくことを教える。相反する二つの教えだが、その両方を使いこなしてこそ人生はうまくいくと私は思っている。


時と場合によって、両方を使いこなそう。
最後まで頑張るのも良し、ここまで頑張ったのだからあきらめるのも良し。責任は全部自分にある。時と場合によって両方を使いこなそう。





あきらめない精神。
「最後まであきらめない」という精神。それについて私の考えを述べたいと思う。私の経験が皆さんに適合するか分からないが、聞いてほしい。



最後まであきらめないという精神は「夢に向かっているときにその精神が宿る」と私は思っている。そしてその夢には確信がある。


「夢には確信がある」
今はダメでも努力すれば夢は達成するという確信がある。


その確信があるから最後まで続けることができる。確信がないものはあきらめるに限る。確信がないものにいくら頑張ってもダメだと私は思っている。



あなたの夢には確信がありますか?恋愛が命なら、その恋愛に確信がありますか?確信がないものにいくら頑張ってもダメなのです。確信があるからこそ人はあきらめないで頑張れるのです。


確信とは、自分の器(能力)に見合った夢です。人は自分の能力以上の夢を達成することはできません。能力もないのに、自分がイチロー見たいに浅田真央見たいに活躍することはできません。それは誰もが分かっていることです。自分にあった器と能力で自分にふさわしい夢にチャレンジするしか方法はないのです。


自分に合った夢、自分の能力に見合った夢。それこそが確信の持てる夢なのです。これでおわかりいただいたでしょうか。確信とは自分の器(能力)にあった夢を持つことです。そしてさらに深くその真髄を述べていきましょう。



確信を得るには自立することです。
誰かに頼ったり依存したら確信が持てなくなります。夢とは人に依存したり頼るものではありません。夢の第一歩は相手に認められることです。認められて初めて夢への確信が持てるのです。認められるために自分がどんな努力をするべきか、そこを真剣に考えることです。


さあ!よく考えましょう。相手に認められるためにあなたは何をすべきか?

まだ相手に依存しているのですか?それとも相手のせいにして憎んでいるのですか?そんなことばかり考えて、それであきらめないと言っているようでは、あなたの夢は達成しません。それこそあきらめた方がいいのです。


夢とは苦しさの自己満足ではないのです。人々に影響を与え、認められてこそ夢の確信が持てるのです。それはあなたにもできます。たった一人の男性に感動を与え、認められる努力はそんなに難しいことではありません。あなたがネガティブスパイラルに苦しまないで、そこから脱して自立していけば簡単に彼に認められます。彼に認められるために自分はどんな努力をしていくべきか、悩んでいる暇があればそこを考えるべきです。そして認められる行動を起こすべきです。あきらめないとは認められるために行動を起こす。これです。


心の置き場所を決める

心の置き場所を決める

無いものねだりの人の欲望は果てしない。

独身の人は結婚したいという欲望が働き、既婚者の人は独身に戻りたいという欲望が働く。



独身時代は短い、もっと自由に、もっとのびのびと、たくさん遊んで、たくさん学んで、いろいろなものにチャレンジして独身にしかできない経験を積むべきなのに、早く落ち着きたい(結婚したい)(籠の鳥になりたい)と願う。若くてフレッシュでエネルギーに満ちて人生で一番輝く時なのに、迷って悩んでいる人が多い。素晴らしい独身時代を暗いトンネルのまま過ごしている人が多い。



既婚者の人は独身者がうらやむ安定した生活を手に入れたはずなのに、家庭内の不満のるつぼの中にいる人もいる。朝から晩まで家事に追われ、土日休みも連休もない。子供たちが学校から帰ってくるのを待ち、旦那が会社から帰ってくるのを待つ。子供の成長を待ち、旦那の出世を待つ。待ってばかりいる人生にだんだん嫌気がさしてくる。結婚する前の独身時代の自由が懐かしい。あの頃に戻れたら結婚はすぐにはしないで、もっと自由を楽しみ、もっと自分の能力を開花させることに専念すると誓うだろう。


無いものねだりの人の欲望は果てしない。皆さんもそうかな?


心の置き場所を決めよう。

無かったら無いでいいじゃん。その時を楽しむのが人生の賢い生き方である。金がなかったら金がないなりの生き方を楽しむ。恋人がいなかったら恋人がいないクリスマスを楽しむ。(私なんか独身時代はいつも一人でクリスマスを過ごしていた・・・ナハ)



無いものをたっぷり味わったら、そのうち手に入るようになるよ。私の経験から言って間違いない。無いものをすぐに欲しがるのではなく、無いものをたっぷり味わうのも乙だよ。寂しくて、悲しくて、ペーソスでいいではないか。ペーソスは孤独の中にある。欲望が強過ぎるから暗いトンネルにいるのであって、欲望を弱くすれば、仕方がない一人で過ごすかと心の置き場所が決まる。心の置き場所が決まれば、慌てることも苦しむこともなく、与えられた状況(試練)を楽しむことができるようになる。別に卑屈になっているわけではない、退屈と静寂を自分なりに楽しんでいるのである。心を静めることは心の中に自分を労わる哲学を灯すことになる。恋人がいても楽しい、家族がいても楽しい、たった一人ぼっちでも楽しい。どの状態でも楽しめる人間になることである。



無くてもあっても楽しい。
無くてもあっても幸せ。

今のありのままを受け入れる。

そんな人間になりたい。


執着

執着

執着について、私は達磨大師の言葉を思い出す。
世の中の多くの人々は自分の人生において、迷っていないように見えても迷っているのです。そして迷いがあるから狂っているようにも見えます。人生を迷って狂っている人は至るところに執着します。権力・金・名声・知力・体力・健康・異性とあらゆるところに執着します。なぜ執着するのか、生きているそのものが迷いだからです。



どうすれば・・・執着から抜け出せるのか?
「心をきちっと決めることです」
心が決まらない人は、決まらない心を捨てることです。決まらないものに執着してはいけません。決まらないものは老子の言葉を引用して「あきらめよう、そうすればうまくいく」を取り入れることです。恋愛において、うまくいかないもの、叶わないもの、逃げているものにいつまでも妄想と雑念で期待しないで、これからどうするのか、きちっと心を決めることです。決め切れないからいつまでも執着するのです。執着は迷いから生まれます。そして迷っているから狂っているように見えるのです。



その迷いから抜け出すためには、こころをきちっと決めることです。
「安心無為」「安心」という本当の意味は、心の置き場所を決めて、心をいかに安んずるかです。迷っていたものが決まったとき、スーッと晴れやかな気分になるのは心が安心したときです。そしてその境地は「無」の境地、「安心無為」となるのです。


執着から抜け出すために、心は鬼となって、「ダメなものはダメ!そこに頑張ってもダメ!」と決めることも大切です。愛より上の存在である心を鬼にした決め方。それがやがて「心をきちっと決めること」につながり、あなたは「安心無為」を手に入れることができるでしょう。


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