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思考が人生を変える

思考が人生を変える

あなたの思考は、
何ですか?



来年はそれをテーマに過ごしたらどうですか?思考が人生を変えるのです。
あなたの思考は、何ですか?



感情は日常の生活をコントロールし、思考はあなたの人生を変える。感情に埋没するのではなく、未来はこうなりたいという夢を持とう。



夢、
大好きなこと。
それを来年はやっていきましょう。



私も来年は大好きなことを探したいと思います。
ワクワクするような好きなこと。
それを見つけます。そしてそれを行動に移します。



なんだろうね。
自分が大好きなことは?


ちょっときついことをしよう

あなたが恋愛でうまくいきたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが仕事で成果をあげたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが健康になりたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが人生で成功したいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが運を上げたいのなら、ちょっときついことをしよう。


「きついことは心にも身体に良い」と自分に言い聞かせ、ちょっときついことをしよう。


たとえば、あなたがダイエットをしたいとする、食事制限や運動はきついはずだ。でもそのきつさがダイエットに繋がる。疲労困憊のきつさは良くないが、「ちょっときついほうが身体に良い」と自分に言い聞かせてダイエットに専念すればダイエットはできる。


あなたが何かの試験に合格したいとする。普段勉強なんかしていないので、勉強することはきついと感じるだろう。でもそのきつさが試験に受かる秘訣だと思えば、試験に受かる。

あなたが恋愛でうまくいきたいのなら、
待ち方をうまく覚えることだ。待っているのはきつい、そのきつさは何もすることがないからきている。何もすることなく彼のことを一日考えているからきついのである。どうせきついのなら自分磨きに専念することだ。待つ(きつさ)、自分磨きの(きつさ)、同じきつさなら自分磨きを選べば良い。


あなたが仕事で成功したいのなら、
目の前にある仕事をテキパキとこなそう。テキパキこなすことはきついかもしれないが、「きついのが良い」と自分に言い聞かせ、仕事をテキパキとこなすことだ。


最後に、
あなたが人生で成功したいのなら、本を読む(きつさ)を味わおう。
あなたが人生で成功したいのなら、自己啓発書や哲学書、経営学や経済学などのビジネス書を数千冊読めばいい。読んだ内容を日常生活に取り入れて実践すれば、成功の道が見えてくる。本は読んだだけではダメ、実践して活学まで育てて、初めて本の内容を理解したことになる。本で学んだこと、いつ実践するの?「今でしょ」で、あなたの成功が見えてくる。本を読むのはかったるい、5分も読めば眠くなる。でも、「きついほうが良い」と自分に言い聞かせて本を読もう。それを繰り返せば、迷いのない不動の精神が手に入る。その精神を手に入れれば、成功はおのずと向こうからやってくる。


私の偏見で単価計算をするとこうなる。変な単価計算だと思われてもいい、私が感じたことを書く。
100万円手に入れたければ、本を100冊読めばいい。
1000万円手に入れたければ、本を1000冊読めばいい。
1億円手に入れたければ、本を1万冊読めばいい。
10億円手に入れたければ、本を10万冊読めばいい。


ばかばかしい計算だが、この計算はまんざら嘘でもないと思う。一代で成功した多くの経営者や資産家はこのくらいの計算で本を読んでいるのではないだろうか?そう思うくらい彼らは勉強熱心である。彼らはお金を手にしたくて本を読んだわけではない、本を読むのが大好きなだけだ。そして本から学んだことを実践するのが大好きなだけだ。本そのものはお金を生まない。あなたがやろうとすることに、「本は精神的な大きな支え」となるだけ。そして問題解決のヒントとアイデアを提供するだけ。それをあなたは活学(行動する学問)で実践していけばいい。それができれば、自然とお金は手に入るようになる。


本を読むのはきつい、だがそのきつさが丁度良いという人間になろう。


ちょっときついことをしよう
あなたが恋愛でうまくいきたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが仕事で成果をあげたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが健康になりたいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが人生で成功したいのなら、ちょっときついことをしよう。
あなたが運を上げたいのなら、ちょっときついことをしよう。


恋愛における問題解決のアイデア

私のブログはそれを目指している。
さらに私の鑑定はそれを目指している。


恋愛における問題解決のアイデア。
ブログでは総体的に表し、個人鑑定ではより緻密な個人の問題を解決に向かうようアイデアを提供している。


アイデアにこれといった法則はない、それこそ千差万別。その千差万別の問題を解決するアイデアを出すには、それこそ年季がいる。


アイデアではなくアドバイスでは?
いやアイデアでいい。問題解決のアイデアを模索するのが私の仕事。そのアイデアを絞り出すのに毎日苦労している(笑)どうすれば問題が解決するのか?相手の身になって考えれば考えるほど私の頭には問題解決のアイデアが貯蓄されていく。きつくて疲れるときもあるが、それでもアイデアは貯蓄されていく。私の仕事は潜在意識の活用を自然に行っている。


年季の入ったアイデア。
あなたの問題を解決する方法がきっと見つかる。
それを目指している。


愛しすぎることの危険

愛しすぎることの危険

昨日の休日は、図書館で半日過ごした。最近の休日は図書館通いが多い、暇をもて遊んでいる沖川(笑)もっとアグレッシュブに、もっと刺激的に、もっと楽しいものにチャレンジしたら?・・・という気持ちもあるが、よく考えたらそんな歳ではない。もういい大人、青年期のように暴走することはできない。暴走老人になってバイクをかっ飛ばすか(パッパラパーイエイ!)ということはしない。(やろうと思えばできるが・・・内緒)おとなしくしているのが今の自分にふさわしい。年相応の生き方もいいものだ。


寒い冬、ひとしきり降る雨の中、傘をさして図書館に行く。図書館で目についた本を片っ端から読む。パラパラと20冊ばかり棒読みして「これだ」という本を熟読する。その中に「ニーチェの言葉」があった。


ニーチェの言葉を引用する。

愛は激しいほどよいというわけではないし、純粋だというわけではない。たとえば、ある特定の人に向けた熱烈なる愛というものは利己的な強い思い込みで膨れあがっている。

その思い込みとは、どうしてもその相手でなければ自分のこの熱情に応えられない。絶対にその人でなければ自分のこの愛の困窮を救うことができないという凝り固まった信念、深い狂言である。

だから、相手が振り向いてくれなければ強い苦悩が生まれる。もしも相手が振り向いてくれたとしても、幻滅と終わりのない欲求不満が待っている。

なぜならば、相手が現実に与えてくれる愛よりも、自分の激情が期待している狂言的な要求のほうが非現実的なほどに強いからだ。(以上ニーチェの言葉を引用)


「ニーチェの言葉」この文章を読んで「なるほど」と思った。私が日常感じていることをぴたりと言い当てているからだ。


「愛しすぎることの危険」これを私は毎日経験している。あなたももう一度「ニーチェの言葉」を読んでみてください。思い当たる節があると思いますよ。


私は「ニーチェの言葉」を読んでパスカルの言葉を思い出した、そしてその言葉と重なった。

私たちがどんな状態にいても、自然は私たちを不幸にするものである。私たちの願望が、もっと幸福な状態というものを私たちの心に描きだして見せるからだ。私たちが今いる状態に、私たちがいない状態の快楽を結び付ける。そして私たちは、その快楽に到達したとしても、その新しい状態にふさわしい別の願望を持つに至るからだ。(以上パスカルの言葉を引用)


欲深い人間。
幼児語でいえば、
「もっともっと」
私に愛をください。


うむ・・・
大人になろう。


欲望を捨てる

欲望を捨てる

「愛は責任」どれだけの人が愛に責任を持てるのだろうか?「責任だなんて」ほとんどの人が愛に責任を持っていないのかもしれない。愛は好きだと言う気持ちの延長戦、愛は好きだと言う気持ちの集大成、すなわち愛とは自由。人を好きになるのは自由、「自由なものに責任を取る必要はない」と思っているのかもしれない。


人は自分を中心に生きている。自分さえ良ければいいと思って生きている。自分の喜びを満足したくて生きている。自分に苦しみや悲しみを与えるのはとても許せないと思って生きている。自分が嬉しいか自分が苦しいかで愛の物差しが決まる。


自分さえ良ければいい。自分が嬉しい時は恋人を大事にし、自分が辛い時は重荷である恋人を捨てる。自分さえ良ければ人のことはどうでもいい。そんな恋愛が闊歩(かっぽ)いばって思うままに行動しているように思えてならない。そういった意味では自由社会の民主主義は恋愛の弊害かもしれない。人を好きになるのは自由、そこには何の責任もない、人を好きになるのは責任のない自由、それによって被害者がどんどん増えている。


愛は喜びばかりではない、どちらかというと愛は苦しみの方が多い。愛は辛抱強く、妬まず、思い上がらず、苛立たず、威張らず、忍耐強く相手を愛さなくてはいけない。喜びより苦しみの方が多い。人に愛され人を愛するのは、すべてが訓練である。訓練か?なるほど、そう考えれば愛は良い勉強かもしれない。自分に足りないものを学ぶ訓練の場所、それが愛。


訓練を終えた人はきっとこう思うだろう。
「自分の欲望なんかどうでもいい」
と。
「愛は自由でいい、自由を尊重する」
と。
「愛は自分の欲望でどうなるものではない」
と。
「だから、愛は失ってもいい」
と。
そう感じるだろう。


訓練を終えた人は、自分の欲望を捨てることができる。欲望があるうちはまだまだ幼い。その幼さが残っているうちは愛の大成(成就)はできない。自分の苦しみばかりに目がいき、自分が幼いということに気づいていないからだ。


苦しんでいる人は幼い。
子供だ。
乙女だ。
子供と乙女は、ワガママという欲望の塊。その欲望を捨てない限り、真の愛には巡り合えない。



欲望を捨てた者は、「去る者は追わない」欲望を捨てた者は、「相手に新しい人ができても嫉妬しない」それで相手が幸せならそれを祝福する。欲望を捨てた者は相手の幸せのために自己犠牲ができる。相手が幸せになるのなら自分は深い悲しみを受け入れる覚悟がある。とても辛くとても悲しいが、それが一度は愛した人への感謝の気持ちだと自覚している。「愛には終わりがある」卒業式を迎える愛に、笑って卒業させてあげよう。喜びの涙を流しながら愛を卒業させてあげよう。


愛は欲望を捨てた時、うまく回るようにできている。こんな単純なことを人々はまだ知らないだけ。私は長年この仕事をしているので、皆様より早く愛の訓練を終えた。今はそれを教える先生である(エヘ)


その私が言う。
愛する人がいたら欲望を捨てることだ。
悲しいけど愛は自由。
自由に勝つには欲望を捨てるしかない。
欲望を捨てることで、この愛が正しいどうかかわかるようになる。
正しければ結ばれ、正しくなければ終わる(卒業する)だけである。


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