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私と九条 父に育てられた平和の大切さ 谷口孝昌 (事務局員)

 小学生の頃、父に戦争体験の話をよく聞かされた。わたしの父は、「インパール作戦」で出兵した。生きて帰ってこられたのは奇跡的だと、よく語っていた。戦局が悪化してくると物資の補給も途絶えジャングルの申で食べられる物は何でも食べ生き延びたそうだ。
 体力も消耗し重荷になるものは、みんな投げ捨てジャングルの中で身を潜めていたそうだ。また敵に見つかるのを避けるため行軍は夜に行い昼間は睡眠をとるという繰り返しが続いたそうだ。戦死した人の多くは病死(了フリアーアメーバ赤痢)や栄養失調、水虫が悪化して行軍について行けなくなり自決する人も多かったそうだ。手榴弾は、一人二個ずつ持だされ一つは戦用にもう一つは自決用に確保していたそうだ。
 父も戦場で何度も「これまでか。」と思ったことがあったと聞く。一度目はアメーバ赤痢にかかリ衰弱して歩けなくなったとき、二度目はマラリアにかかったとき、三度目は捕虜になったとき。戦争中の話をするときは決まったように酒を飲んだ時であった。「最近、戦友の夢をよく見る。」と語っているときがあった、魘(うな)されている父の声をよく聞いた。戦争が終わっても父の心の傷は癒えないうちに亡くなった。父から聞かされた戦争の悲惨さや怖さが子ども心に焼付いていったように思う。
 私は四人兄弟の三男である。長男と長女は父の兄(海軍で戦死)の子どもである。復員した父と兄
の妻(私の母)が結婚して次男と三男の私か生まれたと聞いて、複雑な心境になったことを覚えてい
る。戦争の影響はこんなところにもと思ったものである。
 「戦争は嫌だ」「戦争を亡せない」「平和を守る大人になろう」という意識の芽生を育ててくれた父に恩返しをするっもりで、微力ながら平和憲法を守る活動を頑張りたい。

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