ここから本文です
ブログ リニューアルしました。

書庫過去の投稿日別表示

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

がんばってます ママの会@川口 伊藤 有紀(南前川在住)

 安保関連法に反対するアマの会川口は、安保法制が成立する直前の9月18日(金)にスタンディング行動をはじめておこない、活動がはじまりました。ママの会中心メンバーは4人で、LINEやツイッターやビラで活動の告知をして、「来られる人が参加」の、ゆるやかなつながりの会です。
 憲法9条守りたい思いはみな一緒。中には毎回子連れ参加の4人の男の子を育てるママもいます。9条がどれだけ私たちの暮らしを守ってきてくれたか。あまりに酷い政治でそれを失ったらどうなるか、どれだけ私たち、子どもたちの未来が怖いことになるのか。共に苦労して子育てをしている同じ世代のママたちこそがそのことに気づいてほしい、そんな思いがあります。まだ間に合う、今が頑張りどきだと思っています。
 毎月2回の行動を目標に続け、スタンディング行動は3月で13回となりました。野党共闘や野党合意の発展がすすみ、続けてきて反応がどんどん良くなってきていると感じます。
 2月には立憲デモクラシーの会の中野晃一さんをお招きしてはじめてのカフェをひらき、43人が集まりました。あらたなつながりもつくりながら、これからもママの会を拡げていきたいと思っています。5月15日(日)にはパレード(デモ)を予定していまして、目標ひとまず100人をめざします。
 新しいメンバーも大歓迎です。応援宜しくお願いいたします。

私と九条 節目の年に 宮坂美樹子(さいたま市在住)

昭和二十年八月十五日 正午
前日から準備された
  「玉音」を聴く会場
真夏の陽ざしを避けて
  トタン屋根の倉庫の中
壊れたような音を出す
  '''小さなラジオに向かって
社員一同 直立不動の姿勢をとる
繰り返された終戦のお言葉
時には聴き手の民が心配するような
  かすかな御声
立つたまま眠っている男もいる
放送が終わり近くになったとき
  突然
一人の男が大声で叫んだ
ーセンソウハオワッタンダア
 日本ハマケタンダアー
男の勇気は
  会場内に囁きの輪をひろげ'
工場の門は閉じられた
秘密書類は山積みされ
  マッチが擦られた
わたしがトレージンクした
魚雷の図面も
ひらひら揺れて灰になった
それぞれに職場をかたし
  それぞれに人は別れた
ーあしたからもう
来なくていいんだよ
 女の子は早く帰りなさい
アメリカ兵たちの
 上陸が始まっている
覆いを外した電灯 明るい町並
二十歳 終戦の日の記憶
神風は 吹かなかった

あの日から七十年 節目の年
私は九十才卒寿
  よくこの歳までと
自分自身が愛おしくなって
満開の野山の桜に
     手を振った

私と九条 戦後を振り返ると今は!(その2)柴崎勝雄(安行在住)


 九月の半ば、自民党とそれに同盟(下駄の雪?)する公明党は戦争法を強行採決しました。採決の方法は滅茶苦茶。
 まさにファシズム国家のやり方ですよね。でも、彼らは人の噂も七十五日どころか、せいぜい十五日と国民をなめています。だからつい先日安倍さんは、新三本の矢とかを発表。これで国民をまたまたコロリと騙せると自信満々。
 さっそく戦争法に基づいて、安倍さんと防衛省は九月末にPKOを足掛かりに、紛争地での戦闘に参加してゆくと世界に宣言。
 それに戦争法の前にどさくさ紛れに、労働者の派遣雇用法改悪を強行採決。これで大企業は若者を一生派遣のまま、安くこき使える事になり、自民・公明様々。
 軍需産業は兵器製造と輸出で笑いが止まらなくなり、袖の下もさぞかし戦争中も「政党(官僚も)と軍部」と「企業・業者」との癒着・たかりが、当時の子どもの目にもはっきり写ることがありました。
 物心ついた時、神楽坂で夕方みた光景は、あちこちの美味しそうな匂いのする料亭の前で、胸に金
モールと勲章をいっぱいつけた軍人と、(ツトをか謬った背広姿の男たち、そして丸髷・着物姿の芸
者衆がもつれ合って、楽しそうにしている姿でした。
 しかし、昭和十八年末ごろから配給制が始まって、国民が飢えはじめ、贅沢は敵の筈でしたが、神
楽坂では国民服も混じってはいたものの、やはり軍人と芸者衆が楽しく騒いでました。
 その時私は、嗚呼!早く大人になって金モールを付けて立派な軍人になり、腹いっぱい食べたいと
思ったものです。立派な軍人とはそのうえで天皇陛下のために、勇ましく戦死することと思っていた
のです。
 そうでないことは、敗戦後勉強していく中でそのインチキ性と欺瞞性とカラクリをしっかり学びま
した。        (いつか続く)

私と九条 戦後を振り返ると今は!柴崎勝雄(安行在住)

 きな臭いなんていっていられません。戦争への放火が始まっています。六月下旬、自民党若手議員(?)が、安倍さんのお友達の百田(前NHK経営委員)さんを講師にして言論弾圧の勉強会を開きました。百田さんの歴史認識のお粗末さ(五九歳)もさることながら、安倍さんを先頭に自民党はマスコミを時の政権の御用マスコミ化しようと奮闘中。
 思い返すと戦争中の私も御用国民化されていました。なにせ物心ついた昭和十六年中国侵略の果ての太平洋戦争突入。真珠湾奇襲で勝った勝つだの大騒ぎ。日本の大人の大部分が踊っていました。遊びも歌も戦争物ばっかり。教科書も修身も歴史も、天皇と戦争賛美ばかり。いっぱしの軍国少年の一人となりました。ところが、日本への都市爆撃が始まった十九年、東京にいたのでは一家全滅もありということで、父を残して家族は縁故疎開。大変な生活二年。
 二十年八月敗戦。早々に東京へ戻ったところ物凄い食料難。物価はぐんぐんとインフレ意味。タケノコ生活の始まり親の埼玉県への芋買い出しに時々同行(警官のお目こぼしのためなどで)お金だけでは芋は変えずなけなし。親の警官のお目こぼしのためなどで)。お金だけでは芋は買えず、なけなしの衣類を差し出す。
 年中腹はペコペコ。何か食い物落ちていないかと道路を見て歩く癖は、この年になっても抜けず。靖国神社の警備についていたアメリカ兵にキャンディーやガムーチョコレートをねだるときの、頂戴の意味で使った最初の英語は「WHAT TIME!!!」          
 僕ら子供の大部分は継ぎ接ぎだらけの洋服にシラミをわんさと住まわせての生活。駅や公共の場所
で捕まえられてはDDTの粉を頭からどっさり吹きかけられる。痩せて垢じみた顔に目ばかり大きい顔の友ばかり。         
 親のない子供や、満州などから引き揚げてきた孤児の大部分は浮浪児となって、駅や公園や土管などで生活。戦争で戦場となった国の子は現在でも同じ状況になっていますよね。
これからの戦争準備で大儲けするやつは誰と誰だ

私と九条  二度とあってはならない「兵隊送り」    若林一弘(鳩ヶ谷在住)

 「兵隊送り」なんて、今の若い人は聞いた事もないし、何の事かさっぱり分からないでしょうね。昔は徴兵制度という決まりがあって、満二〇歳になると徴兵検査を受け、特に障害がなければ皆、兵役義務を負わされたのです。
 筆者が小学五年頃、よく「兵隊送り」に行きました。桜町付近だけでも十数名の人が兵隊に行きました。その中には予科練(少年航空隊)に志願した人も、知っているだけで五人いました。弱冠一六歳の少年たちです。あとは農業や商業に励んでいた人、会社員だった人、大学生だった人、この中には奥さんや子供がいるのに召集された人、結婚して半年もたたないうちに召集された人が二人いました。二人とも戦死しました。
 役所から召集令状がくれば、いやおうなしに軍隊に入らなければならないのが徴兵制です。
拒否すれば刑務所行きです。召集された人達が入隊するのを近所の人達で送り出すのを「兵隊送り」と言ったのです。入隊する人達はみな真剣な顔つきで二コリともしませんでした。軍隊に入ると言うことは戦場に行く事を覚悟しなければなりません。戦場は殺し合いの場ですから二コニコしながら行く大なんていなかったのです。
 桜町の地蔵院の庭に太平洋戦争で亡くなった人の慰霊碑がありますが、何とあの寺だけで四六名もの人の霊がまつられているのです。始めに、桜町付近で十数名の大が兵隊に行ったと書きましたがそのうちの六名が戦死しています。このうちの一人と、私は話をしたことがあります。真面で優しい人でした。 

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事