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書庫私と九条

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私と九条 嘘つきは戦争の始まり                白井篤子(川口市在住)

 2006年秋のある日のこと。同じ団地に住む女性が訪ねてきて、「こんな情勢なのに、私たち何もしないでいいんでしょうか」と言った。彼女のこの一言で、神戸市西端の農村地域に、9条の会が誕生した。半年の準備期間を経て、正式に発足したのは、2007年3月3日。
 西区役所出張所の一番広い部屋を借りて発足集会を行っだのだが、9条の会には貸さぬというので、もめた挙げ句、内緒で年金者組合の名で借りた。お金もないので、地元の方二人に、満州からの過酷な引き上げ体験と疎開の体験を語ってもらった。
 「とにかく5年頑張ろう」と毎月世話人会を開き、ない知恵を絞って、イベントを行い、署名を集
めた。5年でケリはつかす、今日まで安倍政権はあの手この手で改憲を企んできたが、「憲法を守れ」の声は全国に広がり、なんとか改憲を食い止めている。
 今は9条に自衛隊を書き加えるという改憲をしぶとく狙っている。「何も変わらない」と首相は言うが、日本会議は赤裸々にその目的を語っている。楠木正成を祀る有名な湊川神社に「日本会議兵庫県本部」が置かれているが、その機関紙『兵庫県版・日本の息吹』(1月22日号)は次のように書いている。
「国会では改憲勢力が2/3を占め、民間においては全国300小選挙区に国民投票勝利に向けた連絡会議が着々と設立されています。日本を取り巻く国際情勢の悪化、年々猛威を振るう自然災害の増加に伴い、自衛隊を憲法に明記する賛同も世論調査の結果は悪くありません。(中略)憲法に自衛隊を明記することに成功すれば、自立した自衛隊が国際政治の力学により軍隊への道を歩むことが可能になり、自らを否定してきた護憲の軍隊から解放されます。自衛隊の憲法上の明記は、日本の国家自立への第一歩であります」
 国民が首相のウソに騙されないようにどう訴えていくか、私たちも正念場である。

(追記)昨年11月、神戸市から川口市に引つ越してきました。よろしくお願いします

私と九条 見つめられる九条 青木資二(栃木県小山氏在住)

暑さの厳しい九月の初旬だった。文学会での合評が終わり、大塚駅前にある行きつけの居酒屋で、仲間と冷たいビールを飲み交わしていた。隣のテーブルで楽しそうに談笑しているグループがいる。装いから学生ではないだろうか。先ほどからグループで僕の斜め前に座る女性から見られている気配がしていた。知らない女性から見つめられることなど、来年古希を迎えるこれまでの人生でも一度としなかったことだ。助平心も働いて、見返してみた。
 ところが彼女の眼は、僕の顔ではなく胸に注がれていたのだ。僕が振り向いたからか、彼女は口許を軽く緩めると、サワーの入ったグラスを持って、グループの話に耳を傾け始めた。だが、暫くすると、また彼女から大きな瞳が向けられているのを感じる。酔った勢いではないが、見知らぬ女性に声を掛けたことなどないというと嘘になる。でもまだ酔いは回っていない。僕は努めて紳士的に「何か?」と、細い眼を見開いて微笑み返した。彼女は驚いたのか困ったのか。「えっ、ええ」と、僕の胸に好奇に溢れる瞳を据えた。「何て、書いてあるんですか」
 関心が向けられたのは、僕ではなくTシャツだった。「非戦を選ぶ演劇人の会」の朗読劇を観に行ったときに買ったものだ。その公演はTVなどで顔馴染みの演劇人たちが、護憲や平和、非戦を訴える。毎年観にいくようにしている。黒地のTシャツには白抜きの英語で「九条を護る」「陸海などの軍隊はいらない」などと書かれてある。簡単に説明すると、「大事なことですね」と、彼女は輝く眼を細めた。
 帰りの湘南新宿ライン。車内は込んでいたが、久喜を過ぎると座ることができた。今や誰もがスマホとにらめっこの光景だが、真正面に座っている制服を来た女学生の視線に気づく。僕の胸を凝視している。眩しいほどの眼差しに胸が躍り、僕は持っていた本を膝の上に置き、居眠りの真似をした。

私と九条 沖縄の「九条の碑」  城口順二        (かわぐち九条の会 共同代表)

 私が4才の時、蕨空襲(1945年4・5月)の帰路、米軍機から巨大な油タンクが投下され、自宅傍の商店の屋根に突き刺さった。そのタンクが破裂したら今の私はないかもしれない。
 憲法9条を意識するのは、弁護士半年の1971年1月、アメリカ施政権下の沖縄軍用地調査に参加したことに始まる。
 広大な軍用地は、銃とブルドーザーで強制接収したのです。伊江島で反対闘争の闘士阿波根昌鴻氏は繰り返される激しい演習反対の闘争小屋を建てて反戦平和と基地撤去を訴えていた。
私は感銘を受けた。その後沖縄タイムズ・琉球新報を何年も購読することになります。
 1972年5月15日施政権返還があり、沖縄は、日本に復帰した。その5日後に日弁連は、沖縄で定期総会を開催し、政府は、基地の本土並みの縮小・憲法理念に基づく具体的かつ迅速な施策を推進するように求めたのです。
 9条の戦争放棄、戦力不保持、不戦による戦後経済復興の利益は、沖縄には不十分です。しかし、沖縄は、現在まで粘り強く耐え、闘っている。そして何よりも9条の価値を大切にしていることは、読谷村役場入り口の9条の碑を始め、6ヵ所もある碑に象徴される。
 言うまでもなく、9条は戦後、国民の命と財産を守り、世界の最先端を行く「世界の宝」として機能している。これを、9条を守り発展させていくことは、私達の使命であり、これを破壊し、国民を米軍の先兵として、他国民を殺す手先にすることはできません。

私と九条 現代の良心   森本利根             (かわぐち九条の会呼びかけ人)

 七月一日の東京新聞記事によれば、日本の憲法は今、一文字も変わることなく、七十年以上続いて「世界最古の未改正憲法」の条文だそうで、この九条があるというだけで、日本はこれまで七十年、戦争しなかった唯一の国と国際的に高く評価されているという。
 言いかえれば、たった七十年の間、戦争をしなかっただけで過大に評価されるほど、人類は戦争の歴史をこれまで繰り返してきたことになる。
 ところが今、世界から羨望の的になっているその九条を変えようとしている政府の動きが、最近、とみに顕著になってきた。つまり、戦争できる国に変えようとしている風潮が現実に明白になってきている今、先の戦争の現実がどのように残酷なものかを経験して生きてきている私としては、今を生きる良心のはしくれとして、黙って看過することはできない。
 かつて戦前、私かまだ中学生だった頃、軍部の台頭が極まってきて、活力あるその趨勢に載せられて、少数の有識者の、これからの戦争は鉄の戦争と言われていて、当時、鉄鋼生産力がアメリカの5パーセントしかなかった日本は一年で国力が尽きる、と嘆く冷静な意見に、日和見と無謀の侮蔑で無視、大政翼賛政治に付和雷同した無知蒙昧の輩に追随した若さ日の己の犯した過ちを恥じつつ、おしなべて今、あと、残る命がたとえ僅少でも、この老骨にへばりついている現代の良心のままに叫ぶ所以である。

私と九条「九条」に思う 笠原和子

 1947年(昭和22年)8月に発行された「新しい憲法の話」を中学で習った時の感動は忘れられません。日本国憲法の精神や中身を易しく解説し、特に「戦争放棄」の。戦争放棄と書いた大きな釜の中で軍艦や軍用機を溶かし、その中から電車や船や消防自動車が走り出し、その脇で鉄塔や高層建築物が光り輝いて出てくる挿絵“に目を輝かせました。「民主主義」についても丁寧に教えてもらいました。残念ながらこの本は1952年(昭和27年)4月から発行されなくなりました。今考えると一番良い教育を受けた世代ではないかと思っています。
 社会人になってからは実によく働き、日本経済復興の底辺を支えました。
 2004年春、九州鉄道旅行の際、大学を卒業し一箇月間船で外国の若者達と研修旅行の後、熊本に帰宅する女性と岡山から博多まで一緒になり、いろいろ話を聞きましたが、外国の若者が皆一様に「何故日本は敗戦からあんなに早く復興できたのか?」と疑問をぶつけてきたとの事。
 私達は「日本は軍備を持たなかったから、経済的にも復興に専心出来だのでは」と話し合いました。14年過ぎた今そのことを思い出します。
 「共謀罪」「集団的自衛権」と日本はどんどんきな臭くなり、世界に誇る「九条」も危険にさらされています。戦争に大義名分などありません。憎み合い殺し合いの中から真の平和は生まれません。戦前の暗い世の中に戻さぬよう、「九条」を大切に守っていきたいと願っています。

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