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地中の宝石箱


マントルの中の宝石箱

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緑色はかんらん石、紫はガーネット、白はダイアモンド


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動画地球コアへの旅より



地中のどこにあるの?

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マントルです。
上部・下部ともにかんらん岩でできていますが、上部は融けていて、下部は固化しています。


いけるならいってみてください。



そこにはホット・プルーム(火の玉キノコ)が生えており、上から太平洋プレートの切れ端が落下しています。冷たいプレート落下の刺激で、プルームが地上へ浮かんでいき、やがて地表近くに達し、プレート地震の刺激で噴火します。このように火山噴火と地震は深く深く連動しているのです。


宝石箱のさらに下に銀色の海である外核、そのまた下に地獄の針の山がありますよ。


宝石を捜しにどうぞ。地獄ですけど・・・。













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地殻変動アニメーション 平成23年東北地方太平洋沖地震


福島が海溝へ吸い込まれそうになる。


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日本海450万年前に分離 富山大グループなど分析
北日本新聞 2018/9/19 01:23
 「1千万年前、西日本は朝鮮半島と陸続きで、東日本の大部分は海面下にあった。日本海は北日本側に開いており、太平洋の深層水と海水交換があった。その後、東日本〜北海道が隆起し、日本海は太平洋の深層水が流入しない半閉鎖的な海域となったが、いつそうなったかは研究が不十分で、定説では250万年〜350万年前とされてきた。」
https://this.kiji.is/414928051019383905





西日本島の大陸からの分離はほぼ定説化したけれど、実は東・北日本島の誕生については謎が多くわかっていなかった。これまでは西日本・九州島になる大陸の岩塊がプレート衝撃で分離したときに、同じ場所が観音開きのように東日本岩塊も海に飛び出し、回転したのちに西日本と合体したなどの説が有力だったのが、富山大学の研究から、つい先日、東日本〜北海道の島々は、海底から隆起してきて合体した新説が発表された。(詳細は上記HPで)



「約800万年前  伊豆・小笠原弧は本州に衝突し、千島弧前部も北海道に衝突した。東北日本はほぼ水没していたが、やがてカルデラの活動が盛んになった。」
https://matome.naver.jp/odai/2143736583923221301




つまり伊豆半島の衝突こそが、東・北日本と北海道を海底から隆起させる原動力になったというわけである。

この説は著名な学者である平朝彦(たいら・あさひこ)氏が展開してきた説(『日本列島の誕生』 岩波書店〈岩波新書〉1990)だが、それを富山大学が証明したわけである。
https://matome.naver.jp/odai/2143736583923221301



 富山大大学院理工学研究部(理学)の堀川恵司准教授らの研究グループは、日本海が約450万年前に、14万年ほどの期間をかけて太平洋と分離し、今の日本海の原型となる半閉鎖的な海域になったことを、海底堆積物の分析によって突き止めた。地球化学的なデータから、時期を明らかにしたのは初めてという。


NHKニュース動画と記事 https://www3.nhk.or.jp/lnews/toyama/20180922/3060000383.html
「かつて、日本海は東日本が海面下にあったため、太平洋の一部でしたが、その後、東日本から北海道にかけてが隆起して太平洋と分離し、今の半閉鎖的な海域になったとされています。
しかし、日本海が太平洋と分離した時期や期間について詳しく分かっていませんでした。
これについて、富山大学の研究グループが名古屋大学や九州大学などと共同で分析し、およそ450万年前、東北地方の隆起に伴い、14万年ほどかけて太平洋と分離したとする研究成果をまとめました。
 日本海の海底の堆積物にある魚の骨の化石に含まれる金属から海水の起源をたどり、太平洋からの流入が減った時期や期間を特定したということです。
 研究グループは、「流氷の天使」と呼ばれる貝の仲間、クリオネなど日本海特有の生物の進化や東北地方の隆起が進んだ過程を明らかにするうえで、手がかりになるとしています。」


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これまで日本列島誕生記事を書きながら、東日本の島々がどうやってできたのかは、実は内心「・・・?」だったが、これでようやくわかった。西日本がきれいな付加体を順序良く持つのに、東日本・東北・北海道の付加体(変成体)は横縞でなく縦縞で、しかも少ないのが不思議で仕方なく、筆者も前回記事を書いたあとかなり検索していた事情がある。しかし付加体の横縞層がないことへの明確な回答は得られなかった。
横縞付加体があまりないということは、大陸から切り離されたものではないのではないか?と。縦縞だからこれまでは回転したとされてきただけではないのか?と・・・。

そこへ実にタイムリーなニュースだった。まるで筆者の悩みにわざわざ答えてくれたのか?!とすら思ってしまったことだ。思ったとおり、東日本島や北海道は、大陸から切り離されたのではなかったのである。いい勘だなと自画自賛。



それにしても半島がひとつ突き当たっただけで、海底火山が一気に噴火して、沈んでいた大地を持ち上げたとは、いかに地球表面が動きやすいかだ。

しかし、これまでの回転合体説や平行移動説は、いったいなんだったのか?二つの間で、やれ東日本や九州は磁気方向が違うだの、時計回りの回転と反時計回りの回転だの、喧々諤々してきた愛好家たちのネット上の書き込みは、もはや宙ぶらりん。伊豆がぶつかって、それまで日本海北部にいくらかは浮かんでいた小島は、浮かび上がった大地に乗っかってしまったということですか?まあ、一緒に隆起したというのが正しいわけですが・・・。

記事を見る限りでは、富山大学グループがそれを証明したのは「海底堆積物の分析によって突き止めた」となっているが、どの報道記事にも、その分析の詳細は書かれていない。いったいどこの、なにを証拠に?「日本の誕生 海底堆積物の分析によって 富山大学」で検索すると富山大学理学部HPがあった。
富山大学 環境化学計測第二講座 環境地球化学グループ
http://www3.u-toyama.ac.jp/geochem/JP/index.html

しかし今回発表の研究論文は載っていなかった。

富山大大学院理工学研究部(理学)の堀川恵司准教授、ネット発表はPDFで。
どこにあるか不明。

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奇妙なのは、伊豆半島が突き当たるのは100万年ほど前のことで、これまではそれによって相模湾が形成され、南海トラフが分断されたとしてきたが、まだ海中にあった東海・関東に半島が突き当たるとはどういうことかよく見えないわけで、プレートが動いて乗ってきた伊豆半島は、では海底にあった相模岩塊につまずくように衝突し、それで相模丹沢とか関東台地も競りあがったとなるのだろうか?その後、すぐに海底火山だったところがいっせいに噴火してガガガガガッ、グワーっとばかりに東北が隆起した?そして北海道も千島海溝も。さらにアルプスや富士火山帯や、どかどかどかっと地表に姿を現した・・・。

それじゃあ伊豆半島こそは東日本、北日本。北海道の生みの親ってことでいいのかな?すごい衝突だ。しかも、そこにフォッサマグナを作り、南海トラフや中央構造線を広げる原因にも?すごい一大イベントだったわけである。まあ、回転合体の離れ業よりはよほど説得力は上だが・・・。

(もっとも西日本やそのほかの島々が回転しながら移動することはあっただろう。)




とんでも邪馬台国説の列島回転説はこれでポシャッたと言ってよかろう。

九州と近畿の中心地交替の謎や、倭人伝の方位の間違いを正当化するために、ちまたのとんでも作家たちが言ってきた、3世紀日本列島回転説という、それはまああほらしい極論である。苦し紛れの際物であったが、列島がそもそも回転合体していないのであれば、ナンセンスのきわみに陥ってしまったわけだ。



西日本島と言ってきたが、その範囲は九州・四国から長野県、静岡県におよび、今の東海・中部までふくも島塊である。つまりフォッサマグナの西側島である。今回隆起がわかったのはだからフォッサマグナ東側島と北海道であるが、この場所にはいくらかの島があっただろうという。

西日本と一緒に、あるいはもっと古くに、大陸の別の場所から切り離さされた島々が海中にはあった(大和堆のように沈んでいた)。北海道の東部の一部や北方四島、サハリンなどの沈んだ部分も、もともとあったのだろう。そこへ生みの下からズズっと東北が競り上がった。だからそれまでの島々のいくらかは、それまで乗っかっていた・・・というか、東北島の最上部だったということだろう。ならば現在、そこには石灰岩や貝殻が出るはずだ。

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つまりこれまでの説がすべて×ではなくて、西日本島と同時に東日本島も切り離されてはいたのだが、それは海中部分だったので、一部しか海の上には出ていなかった。

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それがわずか100万年前に、やっと隆起したとなる。

きっかけは伊豆半島衝突だが、伊豆半島が北上してきた直接の原因は、半島がフィリピン海プレートの北端にあったために、プレート移動で最初に衝突。これからまだまだいくつもの衝突が、何万年単位で連続するわけだ。そしてそのプレート移動の原因
こそが、重たい太平洋プレートの沈みこみなのだ。


フィリピン海プレートの伊豆諸島のには小笠原諸島が連なり、さらにマリアナ諸島がフィリピンから連続して、カルガモ親子かイセエビの縦列歩行のように列っている。それらも数億年単位で、次から次に日本に向ってくる。機関銃を連想してしまう。
うひゃあ、である。

それどころか、日本列島そのものも、大陸へ戻るかも知れないし、あるいは逆に日本海溝に巻き込まれるかもしれない。地球のタイムスケールでは、砂上の楼閣、一瞬のきらめきが日本列島でもある。永遠に生きていられれば、それが体験できる。え?体験したくない。そうでしょうとも。阿鼻叫喚のちまたですから。





※ともかくこの新説も、今後どうなるのか知らない。その証拠はどこにあったかを早く知りたい。




次は、小笠原諸島の隆起がこれからあるというお話。
数万年後の日本列島は面積が倍になっている?





















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190万アクセス感謝特集記事


●地球絶滅
  A 地球の成り立ち

  A-1 原始地球の誕生

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原始地球は太陽の放射するガスが集まる星雲だった。
やがて小さな高温の内核(コア)ができあがると、その高温によってガスが揮発し雲散霧消。残ったのが原始地球で、ほとんど隕石と大差ないもの。隕石同様、金属成分や岩石成分が交じり合う物体。

揮発成分が抜け、多数の惑星衝突による重力エネルギー放射がなされるときに、ガスはすべて飛ばされた。しかし抜けたガスは火山ガスと同じ窒素、二酸化炭素、水蒸気から成っており、これが地球大気のもとになったと考えられる。原始大気である。

原始大気の中の水蒸気は凝結し雨となって海水になった。原子海洋である。
(のちに月にあった水が地球引力ですべて地球の海にあわさった説もある)

地球内核誕生からここまでの期間は2〜3億年である、

コア完成の道のり
内核がどうやってできたかというと、惑星衝突によって重力エネルギーが放出されるとき、表層部がとてつもなく高温になるが、惑星成長とともにさらに温度は上昇する。表層も高温、内部も超高温な状態だ。すると比重の大きい金属の鉄やニッケルは融けてまとまり核となった。その周りを、金属についで重たい岩石質のマグマが取り囲み、一方地表へゆくほど冷えて固まりはじめ、これによってマグマの分化作用が起こる。重たく動かない比重が岩石に次いで重い下部マントルと、流動的な軽い上部マントルの二重構造ができあがり、地球内部は三重構造になった。


※地球のガスが抜けた証拠がアルゴンの存在




  A-2 地殻誕生と酸素発生と生命誕生  
水蒸気が冷えて海ができると、二酸化炭素は海に溶け、カルシウムと反応して石灰岩を作った。それで山ほど充満していた二酸化炭素は減って、今度は上部マントルが地表の沈みこみ運動で活発化(熱水と岩石溶解によるマグマ発生)。表層岩石であるかんらん石や玄武岩やらを食って、高温地下水の刺激でマグマが地表に飛び出す=海中噴火口。そこで生命が生まれたらしい。そのシステムはまだ不明。

地殻の成分は大陸が花崗岩、海洋が玄武岩だが、玄武岩の比重は花崗岩より重いため、海溝では海洋プレートが大陸プレートの下へ引き込まれている。これらは岩石密度の測定でわかった。

地殻と上部マントルをあわせて地殻部(力学区分ではリソスフェア)である。それが下部マントル(力学区分アセノスフェア)の上にぷかぷか浮いている。その地殻の厚さは100キロ、地表からの深さ=距離は600キロメートル強。最下層が高温・高圧で高い剛性を持つ岩圏(力学区分でメソスフェア)である。

かんたんに考えるならその構造は四層で、岩石が冷えた地表と融けた上部マントルを合わせて地殻、その下に動かない岩石の下部マントル、かんらん石などが貴金属になった輝くばかりの緑色や紫色の粒でできている、いわば宝石部屋の岩圏=外核、真ん中が二層あって、溶解鉄の銀色の海、そして尖った鉄の山で溢れた金属核ということになる。つまり所詮地球は岩石と鉱物でできている。


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それらが固いかやわらかいか、動くか動かないかだけの違い。そしてその違いがプレートを動かしている。さらにその擦れ合いが火山を噴火させたり、地震を起こしたり、地殻にひびや断裂を生み出す。ただそれだけのことなのだが、人類、生命体のすべてがその「カミワザ」によって右往左往し、滅びたり生まれたりする。これが地球の節理であり、摂理であり、さらにその地球を作ったのは太陽であり、太陽系を作ったのは宇宙の節理である。


それが要するに地球だ。
だから人は古くから畏れ、大地を神としてきた。


A−3 生命絶滅の二つの原因
生命の大量絶滅を生み出す方法には二つある。
ひとつは超高温化。
ひとつは超寒冷化である。

スーパープルーム
地球の超高温化はスーパープルームの噴出で起こる。


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ペルム紀末の大絶滅の原因は

 「ペルム紀末の起きた大絶滅では、三葉虫やアンモナイトなどの海洋生物の80〜96%、陸上へ進出していた昆虫、爬虫類や恐竜、哺乳類の祖先などの脊椎生物の70%が死滅したと考えられている(※1)。なぜ、このような大イベントが起きたのか、長く論争が続いてきた。
 最も有力なのは、地球内部のマントルが地上へわき上がってきて、地上のあちこちに大規模な火山を噴火させたというスーパー・プルーム(Super Plume)仮説だ(※2)。プルームというのは、地球内部から風船のように地殻へ浮上してくる熱せられた溶岩の巨大な塊りで、白亜紀末の大絶滅の原因にもプルーム仮説がある。
 ペルム紀の地上にはパンゲアという超大陸があり、現在のように大陸が分散していなかった。パンゲア超大陸の下からスーパー・プルームがわき上がり、地表を壊滅的に破壊するほどの火山活動が始まったというわけだ。」
人類は突如として「大絶滅」するかもしれない 本日記事


寒冷化の原因は、まずは恐竜絶滅で有名なP-T境界での巨大隕石落下である(いずれもまだ説である)。さらに火山大噴火による煤煙の太陽光遮蔽も、小氷期を作る。


それらがこの40数億年のあいだに繰り返されてきた。今は氷期と氷期のはざまの間氷期である。



ここまでを動画で楽しむ。
地球の中心"コア"への旅         








さて、では宇宙や太陽系の誕生とか、宇宙の外のほかの宇宙などと考え始めると、際限がなさ過ぎて、凡人の思考の枠を超えてしまう。眠れなくなり、廃人のようになりそうだから考えないでおこう。死ぬ前に考えよう。健康のために。


2 海底の地形

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地表のことを考えよう。地下のことは一旦メフィストフェレスや閻魔様にまかせよう。

これは太平洋の海中である。
たくさんの、連なる海嶺や島弧が見える。
われわれはそのひとつに住んでいる。

すべてが火山連山だと考えてよかろう。火山群島が連なっているリングオブファイアのまっただ中に私たちの日本列島は、できてしまった。

大陸の、朝鮮半島とつながっていた場所が、あるプレート同志の衝撃で飛び出した。
だから西日本と韓国には同じ石(片麻岩 へんまがん)のベルトが見つかる。

大陸が裂けてできた海・日本海 1/2         





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隠岐の島片麻岩層




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西日本島があった場所


こういう大陸から切れて離れてゆくだろう場所は世界にたくさんある。


では次回、地球の表面を考えてみよう。






いやあ、地球ってほんっとに面白いですね。
さいなら、さいなら、さいなら











































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近頃気になるテーマと最新考古学、人類学などのニュースいろいろ



諸説ありだが・・・。
日本列島合体について
●プレートはなぜ動くのか?
東京大学海洋アライアンス・海を知ろう 2015年5月公開

「新聞では、よく「プレート(岩板)」と書かれている。「岩板」という言葉は、ふつう国語辞典には載っていない。マスメディアでよく使われる言葉だが、プレートは読んで字のごとく地球の表面を覆う岩の板。どれくらい細かいプレートまで1枚と数えるかにもよるが、地球全体が十数枚のプレートで覆われている。厚さは、場所にもよるが、100キロ・メートルほどだ。

プレートは、地表部分の「地殻」と、その下にある「マントル」の2層構造になっている。ではプレートの下にはなにがあるかとうと、これもマントル。ここがすこしややこしい。地殻に近い浅い部分のマントルは、温度が低くて硬くなっているので、その上の硬い地殻と一体化している。その下のマントルは高温で軟らかく、長い時間をかけて流動する。

それぞれのプレートは、一定の方向に動いている。たとえば、太平洋の海底の大部分を占める太平洋プレートの場合。このプレートが生まれるのは、太平洋の東部を南北に走る「東太平洋海嶺」という海底の大山脈。そこでは南北に列状のマグマが湧き出していて、それが固まってシート状に東西に広がっていく。このうち西に進んで日本に近づいてくるプレートが、太平洋プレートだ。

誕生したばかりのプレートは、ほとんど地殻(マグマが固まったものです)だけでできているが、進みながら海水に冷やされていくと、その下のマントルも硬くなって地殻と一体化し、しだいにプレートは厚くなっていく。そして、さきほどの太平洋プレートの例だと、太平洋の西の端まで来たプレートは、たとえば日本の近くでは日本列島が乗っている陸のプレートの下に沈みこみ、地球内部へと消滅する。沈みこむ部分は海底の深い溝になっていて、東北地方の沖あたりでは日本海溝という名前がついている。

では、なぜプレートは動くのか。

これにはふたつの説がある。ひとつは、マントルが流動しているので、その上のプレートも引きずられて動くという説。つまり、マントルが原動力だというマントル説。もうひとつは、プレートは、やがてみずからの重さで沈みこんでいくので、その力が全体を引っぱるのだという説。テーブルクロスの端を引っぱると全体が動くのとおなじ理屈だ。これだと、動く原因はプレート自身にある。どちらも一長一短だが、最近は、どちらかというとテーブルクロス説が優勢な感じだった。
こういう言い方をすると、「ようするに『テーブルクロス説ではなくてマントル説』ってことね」と先読みされてしまうな。まあ、いいか。そのとおり。誕生直後のプレートをマントルが引きずった証拠を見つけたと、海洋研究開発機構が発表したのだ。

出された証拠はふたつ。ひとつは・・・」
https://www.oa.u-tokyo.ac.jp/learnocean/knowledge/0009.html



●奇跡の島はこうして生まれた
 2017/7/23 (駿河湾と相模湾でキンメダイがとれるわけ)
Art & Bell by Tora
「丹沢山地の標高400mの場所になぜ海の中の化石や溶岩があるのだろうか。丹沢のはるか南の伊豆や小笠原の島々にこれら2つが見つかる場所があった。その中の一つである三宅島は、活火山の島で、至る所に溶岩があり、海にはサンゴもある。丹沢ももともとこうした南の海の火山島だったのである。これら南の海の火山島こそ第2の大事件の主役である。

この火山島は、水中から見ると広大な裾野を持つ巨大な海底火山である。先ほど紹介した孀婦岩も、海底から2200mも盛り上がった巨大な火山である。伊豆の火山島は関東の方に向かって一直線に並んでいる。この並び方こそが第2の大事件を引き起こしたのである。

この火山島の列もともとここにあった訳ではない。時間を戻して見てみると、この火山島の列はずっと西にあった。2500万年前には今の沖縄辺りに並んでいた。この頃、太平洋プレートによる大陸の引きちぎりが始まり、それと同時に火山島を載せた「フィリピン海プレート」も東に引っ張られていった。日本列島が現在の位置に定まった頃、フィリピン海プレートの動きも止まり、火山島は北に向かって並ぶことになった。

その直後、今度はプレートが北に向かって動き始めた。「プレートの進む向き」が北、「火山島の列の向き」も北という偶然の一致によって火山島は同じ場所へ連続的に衝突していったのである。

地球史上まれな火山島の連続衝突の様子を再現してみると、日本列島がまだ「2本」だった頃、関東の辺りは東日本と西日本を隔てる海峡だった。その南の沖合には火山島が1列に並んでいた。海底から見れば、どれも巨大な火山で、火山島の周囲ではひっきりなしに「枕状溶岩」が生まれていた。浅い海にはサンゴ礁が発達していた。そして1500万年前には、フィリピン海プレートが北に向かって動き出した。これが奇跡の始まりで、1列に並んだ火山島が次々と「西日本と東日本の間」へと向かっていった。500万年前ごろには、丹沢山地のもととなる島々がぶつかった。島の周囲のサンゴ礁も海底の溶岩も陸地の高い所へ押し上げられていった。丹沢の山中にサンゴの化石や枕状溶岩があるのはこの大事件の名残である。空から見ると、この光景は連続衝突の規模の大きさを物語っている。最も初期に衝突した火山島が櫛形山地になった。その後やって来たのが御坂山地になり、続いて丹沢山地、最後の衝突で伊豆半島ができた。

このように、日本列島誕生第2の大事件は、2つに分かれていた日本の間を偶然埋めるように起こった火山島の連続衝突だった。火山島が当たったのは西日本の端だったが、これはその後大いに役立つことになる。火山島が連続衝突して生まれた山々からは大量の土砂が流れ出したのである。その土砂は2本に分かれていた日本の間の海を埋め今の関東平野のもととなった。

およそ500万年前、偶然起こった火山島の連続衝突により、それまで2つに分かれていた日本列島が1本につながった。この第2の事件「火山島の連続衝突」がもたらした恵みが、ジオ御膳の「キンメダイの炙りお造り」である。
フィリピン海プレートと大陸との境界の海中には、「海溝」という深い部分ができており、それに伊豆がぶつかることで海溝が深い所が曲がって陸地の真横すぐそばまで来ている。

すなわち、伊豆半島のすぐそばの駿河湾と相模湾の下に深海がある海溝が存在しているため、陸のすぐ近くで深海に住んでいるキンメダイを取ることができるのである。」
https://cardiac.exblog.jp/27007322/


●列島東西の回転合体の証拠
欅友会
2018年5月19日(土)13:30〜15:30 
場 所:東京経済大学 2号館 B301教室
テーマ:「日本列島の骨組みを作った変動と巨大噴火」 
講 師:新正 裕尚 先生(東京経済大学経営学部教授) 
4.日本列島の骨組みを作った変動:東アジアからの分離
「日本列島は2000万年前〜1500万年前に大陸から分離しました。それが分かるのは地磁気によってです。岩石は昔の地磁気―古地磁気―を覚えており、火山噴火で溶岩が流れて地層に溜まった時も岩石に当時の地磁気が残っているのです。これを残留磁気と言います。
2018年6月会報日本列島の形成
日本列島のいろいろなところの岩石を測定すると、東日本の古地磁気は西にずれており、西日本の古地磁気は東にずれています。この現象は元々北を向いていた残留磁気が東日本は反時計回り、西日本は時計回りに回転してアジア大陸から分離したことによりそれぞれ方向が変わったことを示しています。また、その間に日本海が形成されたと言われています。
しかし、離れ方については回転ではなく平行移動だという説も有りますが、多くの証拠の内どの証拠を重視するかにより説が分かれるのです。また、離れた時期については2000万年前から離れはじめ1600万年前にはほぼ原位置に来たということになっています。しかし、現在は新しい方法でいろいろな岩石の時代を決めているところですから、時期はより精密に決めることができると考えられます。」
http://kyoyuukai.blog.fc2.com/blog-entry-356.html
※地磁気の東西のずれで平行移動説もあり。
九州島の地磁気がほかの西日本と違うとの説も。






考古学ニュースより
●縄文と弥生をつなぐ稲作遺物が出土 弘前・清水森西遺跡で2200年前の炭化米(遠賀川式土器とともに弥生米・縄文米が混在して出土)
東奥日報 9/19(水) 9:03配信
 「弘前大学人文社会科学部北日本考古学研究センター(センター長・関根達人教授)は、2017年度から2カ年で調査している青森県弘前市十面沢の弥生時代遺跡「清水森西遺跡」で、約2200年前の炭化米などを発掘したと18日、公表した。同センターによると、弥生時代の炭化米がまとまって出土したのは県内5例目。」

  「同時に、在地系の「五所式土器」とともに、初期の水田稲作の西から東への伝播(でんぱ)の指標とされ西日本に広く分布する「遠賀川(おんががわ)式土器」が出土した。土器に付着した炭化物の年代測定では約2260年前との結果が出た。」

  「縄文式の祭祀(さいし)に使ったとみられる土偶や、石鏃(せきぞく)も同時に見つかり、弥生時代の特色である稲作と同時に、縄文文化や狩猟の習慣がまだ暮らしの中に残存していたことも明らかになった。」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00000002-webtoo-l02


人類学ニュースより
●私たちはなぜ「少年犯罪が増えた」という「誤解」をしてしまうのか
現代ビジネス 9/16(日) 13:01配信
「先日、研究室のアシスタントさんが、最近残酷な事件が増えていますよねと言うので、いやいや、犯罪件数は年々減っていますよと、データを見せて説明した。殺人、凶悪犯罪、幼児犯罪、どのカテゴリーも減っている(強盗犯罪もずっと減少してきたが、近年少し増加傾向にあるようだ。理由はよくわからない)。

  犯罪者の年齢別で見ても、未成年がおこす犯罪も減っている。

  この傾向は日本だけでなく、世界全体で見てもだいたい同じような傾向にあるが、とくに日本の犯罪件数の少なさは先進国中で群を抜いている。

  日本はとても安全な国なのだ。そして、昔よりはるかに今の方が安全なのだ。

  にもかかわらず、なぜ、最近治安が悪化していると思う人が多いのだろうか。浜井浩一らの調査によると、「自分の住んでいる地域の治安は悪化していないが、日本全体では犯罪が増えている」と認識している人が多いとのことだ(浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』光文社新書)。

浜井はその理由として、マスメディアでの報道の仕方とインターネットの普及をあげている」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180916-00057246-gendaibiz-bus_all&p=3
昔はニュースそのものが報道されない事件が多かったし、ニュースがあまりに影響力があるとして、児童や殺人事件を遠慮していた、あるいは警察がそういう要望をマスコミに行っていたのかも知れない。犯罪は統計では半減したが、凶悪なものは増えた気がする。それと最近、警察官の発砲も増えている印象はある。どっちにせよ視聴者はマスコミの取捨選択する価値観にあまり左右されて動揺しないようにするのが肝要。






地震関連
●北海道震度7地震 内陸部でなぜ液状化? 札幌市清田区、谷地に盛土 耐震化遅れた水道管も被害拡大
産経新聞 9/10(月) 23:21配信
「地質学の専門家、横山芳春・地盤ネット総合研究所技術副本部長(40)は「かつて谷だった地域に台風による大量の雨水が集約し、液状化が発生しやすい条件だったところへ地震がきた」とみる。
  水道管の耐震化が進んでいないのも被害を拡大させたとみられる。8日に現地調査した京都大学防災研究所の釜井俊孝教授(斜面災害研究センター長)は水道管のつなぎ目が外れ「大量の水が地盤に入り込み地滑りが起きた」とみている。」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000620-san-soci

※東北・広島・岡山・大坂・札幌・・・共通していたのは「まさか来るはずない」という油断だったのではないだろうか?
そして大雨のあとだったこと。
さらに北海道などの予算と広さが、なかなか設備の改善を完遂できないでいること。
そして官民ともに、防災危機感が薄い地域だったこと。
油断大敵ということか。


●最近発生の地震
2018年9月20日 6時24分ごろ 2018年9月20日 6時27分 青森県東方沖 3.4 1
2018年9月19日 15時21分ごろ 2018年9月19日 15時24分 胆振地方中東部 3.3 2
2018年9月19日 13時12分ごろ 2018年9月19日 13時15分 新潟県中越地方 2.5 1
2018年9月19日 10時40分ごろ 2018年9月19日 10時43分 胆振地方中東部 2.6 1
2018年9月19日 9時01分ごろ 2018年9月19日 9時05分 茨城県沖 4.1 3
2018年9月19日 1時54分ごろ 2018年9月19日 1時58分 茨城県沖 4.4 2
2018年9月19日 1時21分ごろ 2018年9月19日 1時25分 宮城県沖 4.9 3
2018年9月18日 23時58分ごろ 2018年9月19日 0時01分 千葉県南部 2.7 1
2018年9月18日 17時11分ごろ 2018年9月18日 17時15分 茨城県南部 4.3 4
2018年9月18日 14時39分ごろ 2018年9月18日 14時42分 宮古島近海 3.3 1
2018年9月18日 6時42分ごろ 2018年9月18日 6時45分 胆振地方中東部 3.2 2
2018年9月18日 5時40分ごろ 2018年9月18日 5時43分 胆振地方中東部 3.4 2
2018年9月18日 5時27分ごろ 2018年9月18日 5時32分 鹿児島県薩摩地方 1.5 1
2018年9月18日 5時07分ごろ 2018年9月18日 5時14分 鹿児島県薩摩地方 2.0 1
2018年9月17日 23時42分ごろ 2018年9月17日 23時45分 空知地方中部 3.5 2
2018年9月17日 15時11分ごろ 2018年9月17日 15時13分 胆振地方中東部 2.5 1
2018年9月17日 13時06分ごろ 2018年9月17日 13時09分 胆振地方中東部 2.8 1
2018年9月17日 7時11分ごろ 2018年9月17日 7時14分 長野県中部 2.3 1
2018年9月17日 5時28分ごろ 2018年9月17日 5時31分 茨城県北部 3.1 1
2018年9月17日 4時07分ごろ 2018年9月17日 4時10分 胆振地方中東部 2.6 1
2018年9月17日 2時51分ごろ 2018年9月17日 2時55分 胆振地方中東部 4.7 4
2018年9月17日 2時09分ごろ 2018年9月17日 2時12分 胆振地方中東部 3.1 1
2018年9月16日 23時51分ごろ 2018年9月16日 23時54分 胆振地方中東部 3.1 1
2018年9月16日 20時57分ごろ 2018年9月16日 21時00分 トカラ列島近海 3.6 2
2018年9月16日 18時25分ごろ 2018年9月16日 18時28分 胆振地方中東部 2.6 1
2018年9月16日 11時50分ごろ 2018年9月16日 11時53分 十勝地方南部 4.0 2
2018年9月16日 7時47分ごろ 2018年9月16日 7時50分 胆振地方中東部 2.7 1
2018年9月16日 3時39分ごろ 2018年9月16日 3時42分 千葉県東方沖 4.5 1
2018年9月16日 1時24分ごろ 2018年9月16日 1時29分 沖縄本島近海 5.8 2
2018年9月16日 0時38分ごろ 2018年9月16日 0時42分 沖縄本島近海 5.1 1
2018年9月15日 20時11分ごろ 2018年9月15日 20時14分 千葉県南東沖 3.4 1
2018年9月15日 19時38分ごろ 2018年9月15日 19時41分 胆振地方中東部 3.9 2
2018年9月15日 18時43分ごろ 2018年9月15日 18時47分 茨城県北部 3.8 3

※日本海溝にご注意。
千葉、茨木。増えてきている。千葉沖にある海溝。
伊豆と駿河湾、相模湾もちょっと前に続いていた。



その他のニュース
●柴犬の先祖・・益田の猟犬だった 石州犬の「石」、研究の夫妻突き止める
©株式会社中国新聞社2018/9/12 15:29
https://this.kiji.is/412496816140878945
※遺伝子研究ではない。
●<浪江・北中谷地遺跡>古墳時代の住居出土 60軒以上、焼失の跡も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000021-khks-l07
●城壩遺跡から漢代の竹簡・木簡が出土 四川省渠県
https://this.kiji.is/414779350065251425
●マヤ文明の覇権争い刻んだ祭壇、ラ・コロナ遺跡で発見 グアテマラ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000025-jij_afp-int



情報のメニューが多すぎて、悩みばかりが増えてしまいかねない現代。
情報の取捨選択、不必要な情報のシャットダウンで忙しい作者である。
個人的にはパワハラ問題、殺人事件、暴力などの社会面記事と報道は、歴史学や危機管理や、もっと広大で俯瞰したい筆者には無用だから、重大でない限り見ないようにしている。

暗い事件ばかり報道される世の中。
見ざる・言わざる・聴かざるを決め込むケースはけっこうある。思考の邪魔になる。

特にスポーツ界での事件は、ああいう特殊世界でもあり、そもそも報道するほどの面白さのあるものは女子レスリングとボクシング権力パワハラまでだったので、あとはいい加減にしろだ。金メダルに金を出し始めれば、そうなるのは当然。人間の自然な方向だろう。観る側は勝ってくれて面白いもの見せてくれれば、内情なんかどうでもいい。体操の、強化選手最下位の選手の、コーチの暴力に馴致されてしまったような発言も「メダルとってから言えば?」としか思えずつまらない。なまいきな子供としか思えないのである。相手(三宅・塚原)はかつてのわれわれ世代のヒーローつまり今なら「神」だ。ボクシングもろくにやってない会長や、レスラーのパワハラとは格が違うと、普通の人間なら思うでしょうに。誘ってくれたり、指導してくれたら名誉だとなぜ思えないのか不思議。ぼくの世代ならそう思うだろう。そこちょっとおかしくない?指導したら全部パワハラなのかと感じる。選手なんて、おおむねそれしかできない、生き方がわからない人ばかりの特殊世界。一般人の知るところではないものでどうでもよい。ボクシングとレスリングだけはパワハラだったので事件として価値があった。

ニュースは子供が観ている。どうもマスコミは視聴率ばかり考えすぎじゃないか?マスコミの取捨選択が、今や週刊誌並みに落ちたね。坂上は特に自分の視点を視聴者に押し付けていることに気がつくべきじゃない?視聴率が上がったとしても、見ている奴らの質が落ちているのは見えまい。だって視聴者の意見に無頓着だものなあ。

グッディの安藤アナの脇にいる俳優って、なぜいるの?安藤の意見も不明瞭。かつて一緒に報道していた桜井さんを見習えば?色が見えない。


めぐみと宮根は相変わらず、突っ込みが報道の発言と重なる。いらいらすることがある。まるで民主系議員のかぶせ発言だ。


そろそろニュースバラエティも模様替えしたらどうだろう?つまらない。


大坂なおみの活躍について、アフリカ系だと勘違いしているコメンテーターいるんじゃない?ポリネシア系アジア人のハーフである。

玉川さんは、杞憂の人で、生真面目にいちいち悩むが、長生きできないで。いらいらは体の毒。

って、結局よく観てるんだな、俺も。ひまだからなあ。



























































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一方は大噴火の産物、一方は半島衝突の産物。
どちらも真新しい噴火口の姿。

熊本県阿蘇の米山
イメージ 2



静岡県伊豆の大室山
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※ご注意
どまんなかの縦線は、森林管轄区分線で惹かれておりますが、どちらも心無い誰かが、勘違いして四駆・二輪などで駆け上がってついた傷も増えています。どっちの山のものも、同じやからたちのシワザではないかと。



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列島誕生


日本列島の誕生1〜3


2〜3動画はYoutube画面右側にあります。


列島誕生
1付加体のくっつき
何度もの沈み込みのたびに、プレ−トの擦れ合いで海嶺という海中の山ができる。それは次第に大陸へ向って突き当たってくる。これを付加体と呼ぶ。

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海嶺は順次、原列島たる大陸へ付加し、くさび状に列島地盤に潜り込むように刺さった。これを変成帯とも言う。だから日本列島には幾層もの、ミルフィーユのような変成帯が重なることになる。

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2アジア大陸の極東部からの離脱
ざっとした流れ
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もともと極東大陸東端にはやがて日本海になるべき亀裂があったが、ここが海溝の沈みこみによって太平洋の東へ東へと2000万年前から引っ張られていく。

多くの島塊が生まれ、やがてプレート運動で偶発的に集まってゆき、列島の原型核になった。石川県などの北陸が最古のものとなる。だから大陸の恐竜化石やヒスイがここに多いのだ。次が秋田や新潟、鳥取や島根や長崎と言った日本海の地域。

ざっとした流れ
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詳細な流れ
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3西日本と東日本島塊の合体
主に二説あるが、時計回りに西日本が回り、反時計回りに回る東日本と合体した説、プレートの移動で単純に東西がくっついた説のどっちがいいかいまだにわかっていない。筆者はインド亜大陸の衝突(4000万年前)ほどの規模の、なんらかの衝撃(マリアナ海溝巨大沈みこみ地震など)で、アムールプレートとフィリピンプレートが動いた結果ではないか?と推測できないかと思っている。つまり後者の方が確率は高いだろうと。回転してぴったり合体するのはかなり高度な精度が必要では?決めるには列島だけでなく、周辺の大変革も考え合わせないとわからないだろう。

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いずれにせよ東西島嶼の合体で、外洋に開いていた日本海が閉じ込められて生まれ、列島には東西合体の印であるフォッサマグナ(糸魚川ー静岡構造線)という地溝帯ができた。

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4阿蘇の隆起
九州島中央部で阿蘇カルデラが大噴火して隆起したであろう付加体が生まれる。

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いわゆる別府ー島原地溝帯の誕生である。
従って九州島は新旧大地の上下に切れ目がある。
それが中央構造線に連続しているため、南北方向にずれやすく、その影響で火山噴火も多い。縄文海進では、おそらく阿蘇山は海から見えるほど、内陸まで存在したことだろう。

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火砕流はこの別府ー島原構造線にそって多くが広がったようだ。
またアカホヤ・黒土で知られる姶良カルデラや阿蘇カルデラの火山灰は遠く相模まで飛んで降り積もった。これがAT(姶良丹沢)火山灰、Asoー4火山灰である。

沖積世の関東台地は赤土で有名だが、黒いところも多いのは、関東周辺の数多くの火山噴火で降り積もったアカホヤ赤土が、混入植物の腐食によって栄養豊富に変質したからで、もともとはすべて赤土が積もっているため、開発にはかなり時間がかかった。江戸時代にならないと稲作民族の住めない場所だった。


5伊豆半島の衝突
最後に伊豆半島が衝突した。
マリアナ諸島〜小笠原諸島〜伊豆諸島の、一連の海溝が作った海嶺火山諸島の北端にあった伊豆半島になる島の駿河湾への大衝突は、富士山などの地形を生み出した。

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この海嶺諸島は環太平洋火山環礁であり、ぐるりと太平洋を囲むリング・オブ・ファイアの、ハワイ島などと並ぶひとつの終点でもあり、日本列島のどてっぱら部に再び戻ってくる格好になって大地震の温床であり、相模トラフに直接の影響力を持つこといなっている。従ってこれら諸島の火山噴火のスリバーパワーは、永年、相模トラフに溜まっていくように思える。つまり三宅島や新島の噴火は、いずれは東海地震や関東地震の元となる。それは当然、千島や日本海溝やフィリピン・マリアナ海溝やニュージーランドの海溝での巨大地震のスリバーの貯蓄も影響するし、東北沖、はるかな南米での大地震のパワーも、富士山界隈に溜まっていることを考えておく必要性を生むだろう。すべてにリングは無関係ではなくつながっているのだから。



こうして現在の日本列島は成立したが、いまもなお、地球は動いている。なぜ動くのだろうか?その要因を次回やりますか?


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列島の東西で同じ色の石が出る謎はこれでわかるはず。
それらは変成岩だ。しかし変成のしかたにはいろいろある。
変成岩とは高温と煮沸地下水によってコアから融けたマグマが表面に噴出して冷えた純正基盤岩石の花崗岩や溶岩やかんらん石や玄武岩が、またマグマで融けて、交じり合って冷えたものだ。石英や長石や鉄や石炭やなどが風発的に巻き込まれて、貴重な宝石も生み出した岩石だ。だから地域によってさまざまな色の石になったり、大理石になったりする。何百種類もの名前のあるのが変成岩だ。




参考文献
日本地質学会『はじめての地質学』
『写真と図で見る日本の地質』
柴山元彦『3D地形図で歩く日本の活断層』
など

参考画像


など


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書き忘れ
中央構造線ができたわけ
ジュラ紀の末から白亜紀の初め(約1億4千万-1億年前)、日本列島の元となる大地はまだアジア大陸の東の縁であり、そこに中央構造線の原型となる断層の横ずれ運動が起こった[13]。横ずれ運動はイザナギプレートユーラシアプレートに対してほぼ平行に北上したために起こり[13][14]、より南にあった北海道西部・東北日本・西南日本外帯に当たる部分が北上した[13]。この運動により、それまで離れて存在していた領家変成帯と三波川変成帯が大きくずれ動いて接するようになった[6]。この時形成されたのは古期中央構造線[15](古中央構造線[16]、古MTL[16]とも)と呼ばれている。また、この断層運動の時期は鹿塩時階[注釈 2]と呼ばれており[3][4]、白亜紀中期にあたると考えられている[3]。領家変成帯に属する岩石は衝上断層によって南側に移動し、三波川変成帯に属する岩石に乗り上げた[3]。断層の角度は極めて低く[15]、水平に近かったとも考えられている[16][注釈 3]。」 Wiki中央構造線・形成より


ちなみに日本の最古層である北陸の地層は白亜紀のものらしい。恐竜化石があって当然だね。
















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装飾古墳が、最初は4世紀の気候悪化の頃に吉備王的な直弧文から始まって、五王政権下で九州や百済が激動の中国との交流不可能になって壁画系装飾になったと、これは大塚初重さんの意見を昨日書いたわけだが、その幾何学壁画装飾をなぜ在地豪族が描かれたのかは詳しく書かなかった。

まずこの壁画系古墳の特徴は、諸事情もあってほとんど鏡や剣といった副葬品を伴わないものが多いこと。一番の理由は九州の装飾古墳のすべてが発掘によって見つかっていないという背景がある。日本の壁画のある古墳で、学術調査で見つかった盛り土古墳壁画は高松塚と虎塚の二箇所だけなのである。あとは盗掘とか地震とか工事で発見されていて、その後、すべて開放状態。戦後の一時期に円盤愛好団体が占拠(チブサン)したり、戦災孤児やルンペンが住居にしたりで、まったく管理されなかったせいもあるだろうが、副葬品ばかりか遺骨も、へたすると石屋形の壁材やらまで、誰かが勝手に持ち出し可能だったわけで、なくても仕方がない事情がある。竹原のように多くの出土品があった記録が残された戦後すぐの発掘があった運のいい墓もあるが。
そういう事情は近畿でも同じだったのが戦後混乱期である。石棺のふたがもちだされて観音様が掘られたりはいくらでもあった。


そんなわけで当初は副葬品があたのかすらわからない古墳が多い。しかし、最初からなくても、この時代は実はおかしくはない。なにしろ中国が寒冷・乾燥の旱魃期に騎馬民族の来襲で安定しないまま崩壊したのだから、それまで平原遺跡などの2世紀までの豪華な副葬品が手に入らないはずだからだ。それで絵にして描いた可能性すらあるだろう。

地方の小さな古墳などは、石棺に銅鏡をつるしたレリーフなどが彫られていて、最初からあきらめている風さえ見られる。横穴墓などはもうはなからむきだしなので、いくらでも持って帰れただろう。農作の片手間とか・・・。過去の有名な学者には、出勤前に目の前の海に潜って弥生土器を拾っていた人もいたし・・・。多くの戦後草創期の早々たる学者も、子供のころ、公園や古墳で土器片を拾って学者になった人がいるという時代だ。古墳なんかいくらでも中に入れた。

とにかく後漢が滅亡してから魏ができあがるまでの九州は元気がない。そのかわりに、近畿では、日本海での北魏や新羅を経由した中国のよい品物が入っている。神獣鏡のような魏ではなく呉系の鏡や東大寺山鉄剣も、呉と手を結んで魏をけん制していた北魏から入手したのだろう。それで3世紀からにわかに近畿が元気になった。鏡の服装と言う風習はそもそもは北部九州の2世紀までのもので、当時は全国から先進地九州へ人々が来ており、それを真似したわけだが、元気と言っても本物の中国の鏡はやはり無理だったから、魏が三国時代の覇者となったとたんに半島の百済側にある楽浪・帯方郡へ真っ先にいくわけだ。

そのときには、どうしたって出雲経由では無理で、九州を出なければ地の利が悪い。そこで宗像海人族などを手なづけて、どうにかこうにか。だからそうなると玄界灘を経営する必要性に迫られる。それが一大率である。九州の覇者である奴国ではなく、伊都国にそれはおかれた。つまり伊都国と奴国は最初は対立するライバルだったわけだ。しかし奴国もなんとかしなければ魏の使者は近畿へ通交できない。しかも瀬戸内航路は海賊に占拠されてしまっている。こういう場合、毒を制するには毒を持ってするのだから、息長氏とか宗方氏とか隼人とか、出雲や丹後や越の海人族の説得が絶対必要だ。そういう場所から三角縁が出るのはそういうことだろうし、やがて福井の継体が出てくる背景もここにあるだろう。もっと言えば、日向の隼人は一番大事である。隼人を管轄できたのは葛城氏などである。そこで大古墳をまず日向に作ってあげることとなる。さらに神武東征神話で持ち上げるわけだ。

およそ宮崎の古墳群と神社郡には絶対的に『日本書紀』的な、記紀神話に合致するテーマパーク的な作られ方をしたにおいがするのである。おそらく工人をたくさん送り込んで近畿主導でイメージ化された場所であろう。ただしその背景にはそこが古い王家があったことが前提で、つまり日向には隼人系の国・投馬国があったからじゃないか???などと妄想する。

それで、副葬品は三世紀には九州で減って、大和で増えるとなる。鉄剣も同じだ。しかしそれらはダイレクトな輸入品でなく北魏経由のやや古いもの。そして足りない。だから国産レプリカがたくさん作られた。

宗教や祭祀の面でも、近畿の遺物は中国の呉的な古い神仙思想の絵柄ばかりで、それしか呉の同盟国だった北魏にはなく、結果的に北魏に流行った「鬼道」「女性シャーマン」が入ったわけだ。

しかしいざ本家の魏に言ってみたら「やれやれこんなものが好物か?」とあざ笑われえてしまったんだろう。しょんぼりして、いろいろ現地を検分して最新流行を見て帰ったものだから、やがて神獣鏡ブームは消えて、大和でもやっと方格鏡なんかが大事にされはじめた。中でも人物画像鏡は新しいので、一番重視されたようだ。死者の頭の上に置かれた。


チブサン古墳の王冠人物が見上げている丸い円七つは、星だろうと思う。会員族だから真横に舟のマストがあって、星あてをしながらやってきたポリネシア人を先祖に持っている隼人かも知れない。あの円モンはどうだかわからないが、茨城の虎塚古墳の円文はコンパスの下書きのあとがあるそうだ。そういう知識を九州も北関東も、渡来人から学んでいたのである。

鹿児島の西郷さんの顔は、実際はよくわかってないが、少なくとも銅像のモデルである叔父さんの顔は、どうもポリネシア系に見えてくる。


隼人がそもそもネアン×デニソワというインドシナ黒色人であった可能性はないとは言い切れまい?そうでなくとも琉球の港川系でもいい。台湾やインドシナ系だっておかしくないのだ。鹿児島弁が政治的に作られた方言だと言う説も筆者は疑問符をつけたい。そもそもオーストロネシア言語だったのでは?彼らなら縄文後期でも舟で中国へ行ける。


倭人という言葉はそもそも1世紀半ばにすでに黄河流域の曹操のじいあまの墓に書かれていて、中国人は倭人を知っていた。しかし大和のシャーマンはわざわざ九州を経由するルートを開発してまで半島の郡までいくのだから、直接には中国を知らなかったのである。知っていたら、神話で九州や日向や隼人神話を持ち上げたりしないだろう。

出雲神話だって井の一番に書くのは、半島や魏への港としての優秀さからであり、福井だって息長だって日本海の貿易種族である。それを和合でてなづけたから九州とは別の交易ができた。継体大王だってそうだ。五王政権が消えたあと、あとを受けて、五王の力で押さえつけていた九州とも主従関係を結んでいた。ところが筑紫磐井になんくせをつけたのは、筑紫が平家のような貿易の既得権益をないなししていたか、東国とつるんで挟撃しようとしたか、そうでなければ近畿継体側の独占欲のたまものに違いない。

磐井の敗北がなければ北部九州はまだまだ復活できたはずだ。

ところが実態はそうならず、継体が大和旧来の別王権にぶっとばされても飛鳥王権が新たにできたのが大和だった。そこからあとは装飾古墳は消えてしまうし、九州は完全に力を失ってゆくのである。残念・・・。









































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リングワンダリング


リングワンダリング(: ring wandering
またはリングワンデルング(: Ringwanderung

=輪形彷徨(りんけいほうこう)、環形彷徨(かんけいほうこう)は、人が方向感覚を失い、無意識の内にを描くように同一地点を彷徨い歩く事を言う。ドイツ語で「環形循環」という意味がある。
登山用語。

山をさまよったり、道に迷ったりしたときに「ばかされる」「きつねや狸に」などと日本では古来言ってきたその現象。霧の中で妄想や亡霊やらを見てしまう心理状況。
原文どうりなら、文字通り円形にぐるぐる同じところをさまようこと。

「これは平坦な場所で、吹雪、闇夜などにより視界を失う事で促進され、砂漠平野平原雪山登山での遭難の原因ともなっている。原因としての利きの他、道中負った障害、骨格の歪みや左右の脚の長さの違い、靴が合わない、個人の癖などが挙げられている。 」Wiki


多くはヒトの脚のきく側によって左右に回るらしい。
脚の左利き、右利きは、左右の脚の長さの違いから起こるらしい。
サッカーで蹴るとき、蹴っている脚は利き足でなく、軸足が利き脚であるらしい。



いずれにせよ、山や夜やトンネルとかで、さまざまな心霊現象になりやすい人は、多かれ少なかれこうした心理状態に陥りやすいものらしく、それは幼少期の刷り込み、極限状態などで生じてしまうようだ。


ネッシーを見た、UFOを見た、ヒバゴンを見た、落ち武者の亡霊を見た、座敷わらしに会ったなどなどの多くが、すぐに極限状態に陥りやすい人、3歳までの記憶にはもうないはずの、幼少期に見たものや聞いたものから刷り込みを受けた人に多い。

その刷り込みを本人が覚えていないため、その後も、なにかわからないものを見たり、現象にあうたびに、同じ超常物を見た気になってしまうものらしい。サブリミナル効果とかメゾンド・えいんしぇんととか、匂いの想い出や瞬時の画像断片の繰り返し、フラッシュ・バックに似た現象をリングワンダリングは伴うことが多いとも言う。同種の心理的現象だろう。「心の闇」の一種で、カウンセリングを受けるほうがいい。戦争での体験で、軍艦が沈没して生き残り、海上を浮かんでやっと救われたヒトの話にも似たような夢の体験談がある。


だとさ。
















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考古学のこれまでの検証では、弥生時代の文化・文明の中心地はやはりどうしても九州から始まるのに、3世紀以降、なぜそれが出雲→吉備→近畿へと変化したのか、の謎解きである。

中国の歴史だと、やはり3世紀前後は大帝国から戦乱期となって隋・唐時代へ移行が起こっているので比較しやすいだろう。

いずれも共通するのは寒冷化である。

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ローマ帝国ですら、この移行期には衰亡し、新時代が欧州で起きている。だから、世界史的に見ても、日本の1〜3世紀に起こった中心地変化は、矛盾していない出来事であり、なんびともそれを否定できないことなのである。


上のような気候変化グラフが欲しくて、Yahoo検索で「戦国時代、寒冷化、火山」と入れてみるとトップが自分の記事だったのでやや驚かされた。



地球史の長いスパンで見てみると、やはり古生代→中生代→新生代のはざまでは、大寒冷化と生物種の大量死滅が起きている。いわゆるK-T境界、P-T境界と呼ばれる全球凍結がこれである。そのたびに地上生物の80%前後が入れ替わったことはご存知だろう。その原因は、K-T境界もP-T境界も、巨大隕石落下だったのではないかといわれている。K-T境界期には古生代生物の絶滅が起こり、P-T境界期では恐竜=爬虫類から哺乳類への大転換が起きた。植物相の変化も起きている。人類の誕生は新生代の温暖・乾燥期にアフリカ東部の森林が消えたことで起こっている。(KTPはそれぞれ白亜紀などのラテン語・ドイツ語からとられた頭文字)

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古生代、中生代、新生代、それ以前の世代境界はみな隕石落下や大接近で爆発、火山噴火連発、などの宇宙や地球規模の一大環境変化が突然的で急速でしかも一気的な寒冷化を引き起こすことで生まれた。少なくとも地球は五度の大量絶滅が起こった。

K=ドイツ語 Kreide =白亜紀
T=英語   Tertiary=新生代第三期
P=英語   Permian=ペルム期
現在はK-TはK/Pgt境界 Cretaceous-Paleogene boundary と呼ぶようになった

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●前生代の生物は生き残らないで、新生物に更新される
恐竜や海竜はなにものかとそれぞれ交配して鳥やイルカに道を託し、ネアンデルタールはサピエンスと交配して道を託した。

●現在の生物進化の系統樹はいずれ間違っていたことになるだろう。サルからヒトが進化したのではなく、あらゆる種が最初の生命体から、昆虫の独立性のように、独自に進化していったとなるだろう。





また、人類の進化も温暖化と寒冷化の繰り返しによってむしろ苦境を乗り越えることで、精神と肉体と頭脳の大イベントが引き起こされ、そのつど人類は絶滅と更新を繰り返し現生人類にたどりついた。その影には異人種との交配があったことは遺伝子学が明らかにしてきている。ネアンデルタールとデニソワ人、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交配はその最も新しい例で、たがいのたりぬところをそれによって乗り越えたわけであろう。当然、それ以前のピテクス=猿人の時代にもそれはあっただろう。そうしなければ氷期を乗り越えられなかったのだ。ハイブリッドすることこそが人類生存の謎を解く鍵だ。

今、現生人類の前身であっただろう霊長類が生きていないのは、環境淘汰されて消えたためで、全生物ではむしろ、過渡期の同類が存在することなどありえないのであって、人類に限ったことではないのだ。サルとゴリラとチンパンジーはどうだと反論するかもしれないが、彼らも同種の進化系ではなく、それぞれ異種なのである。人類の進化と同じで、彼らも順次消えてゆく運命にあり、最終的に彼ら類人猿のどのような種に変わるのかは、今後の寒冷化による絶滅に命運がまかされていることで変わりはない。つまりサピエンスの先祖生物の同時代存在は起こるはずがなかった。






寒冷化を引き起こす原因として、地球を覆いつくし太陽光を遮る煤煙が何度も地球を周回したことが直接のもので、それが起こる原因が隕石衝突や火山大噴火である。

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日本の戦国時代の開始は、その前の室町期に起きた世界的火山噴火の多発によって、地球が灰につつまれたことで寒冷化したことに起因する。中国の前漢滅亡、後漢滅亡も、直接の原因は寒冷化であり、その原因は火山噴火多発による旱魃であった。いとも簡単に大国家が気候に翻弄されてきたことはもう定説である。



すると、日本の弥生時代の文化の東での別の動きが見えてくる。
出雲・吉備・近畿は、大陸の争乱でそれまでの中国・半島とのダイレクトな文化の吸収力が縮小する九州とは別に、おそらく日本海での半島や北魏からの段階的な中国文化を摂取することで力をつけたのだ。だから『日本書紀』には出雲、葛城、吉備を近畿が吸収して発展する様子が書き残されたわけだ。南九州を起源とするという書きようも、北部九州から南下せざるを得なかった人々の東への移動が最初に近畿を開発していた、それを正統に受け継いだのが大和朝廷だと言うためである。つまり先着した彼らを吉備や葛城氏族は関東へ追い出したとなろう。

縄文初期には、鬼界カルデラの大噴火で鹿児島の上野原文化人が四散し、縄文後期には寒冷化で三内丸山縄文文明が消失している。この一時的寒冷期が弥生人を列島へ南下させた。稲作は最初から南方原種だった縄文米から、改良された寒冷地対応型のうるち米でなければならなず、それを持ち込んだ半島弥生人でなければ、温暖だったはずの九州でさえ栽培はならなかったのだろう。

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上野原遺跡縄文の森
錦江湾に面した火山灰カルスト台地の上にある。


おそらく九州以北の日本はまだ縄文海進も残存し、環境的には縄文的で住めない。それが次第に温暖にもどるとすぐに九州弥生人は日本海で南北海道(苫小牧)まで稲作や土器や祭祀を伝え始めた。またたくまに稲作は東北まで広がり、最後になったのは関東であった。この謎はやはり関東地方の気候と大地にある。関東ローム層が水田にむかず、寒冷なために縄文狩猟採集文化が最後まで居残っていた。その残照として関東のブタ食がある。畑作だったことよりも、さらに縄文文化のイノシシ食が舌の上に頑迷に居残ったのだと筆者は見ている。



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福岡県石人山古墳石棺の直弧文装飾


さて、古墳時代だが、四世紀〜五世紀の北部九州古墳石室では「直弧文」というデザインが登場する。いわゆる装飾古墳と呼ばれる一連の装飾のある古墳の中で、最初のものがこの直弧文である。そして九州で、直弧文の前身であるべき絵柄は、弥生時代〜3世紀までの九州の墳墓にまったく存在していないのでつなぎ遡る証拠がない。赤く塗る風習はあっても、絵を描く、刻む風習がないのである。

直弧文のブームが熊本で吹き荒れたあと、装飾はなぜか5後半〜6世紀の幾何学壁画へ一変した。そしてそのブームは吉備、島根まで広がって消えてゆき、しかし7世紀にはまったく遠くはなれた北関東茨城や福島海岸部で突如流行する。九州氏族の北上、あるいは影響があったためだろう。九州最初の壁画古墳は宮崎県の5世紀。おかしなことに南九州の地下式横穴石室で始まっていた。それが北へと徐々に移動するのである。そして九州最北端の遠賀川流域まで到達した6世紀半ばに、王塚・竹原というページェントの芸術となって大成して消える。そして時代は記紀に言う福井の継体大王の時代へ。飛鳥直前のことである。


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●大萩37号地下式横穴墓(おおはぎ) 宮崎県西諸県郡野尻町大字三ヶ野山
5世紀https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54372403.html


北関東の装飾古墳と前方後円墳は、実はその飛鳥時代に最発達した。なぜ九州の幾何学壁画を描く種族は北関東へ?それはやはり環境の変化と、吉備〜大和の台頭であろう。

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茨城県ひたちなか市虎塚古墳




中国が寒冷化で五胡十六国時代に入った頃、日本の九州も寒冷化した。2世紀までに九州弥生人は一旦、南や東へ移動してゆく。九州式横穴石室の大和へ向う時期に合致する。しかし幾何学壁画は吉備でとまり、河内・大和へは線刻画しか入らなかった。壁画氏族と線刻画氏族が違っていたか、同じ氏族で階級が違っていたことを想定させる。その壁画氏族だけが北関東へ向い、ついには福島を経て大震災が起きた双葉町でストップする。彼らは同族である。

では4世紀主流だった直弧文はどこから九州に来て、どこへ消えたのか?

直弧文の源流と言われるのは吉備世紀前半の弧帯文で、それが3世紀に大和の纒向で弧文へ変化する。それが4世紀になって突如、絵柄を切り取られた上に、真ん中に否定を意味する×をつけられた直弧文として熊本に登場するのが4世紀〜5世紀前半である。すると想像できるのは、直弧文を墓に張り巡らされた氏族とは吉備の氏族だと言うことである。それが倭五王の河内王家によって支配されて、地方へ派遣されたのだとなる。ところが在地九州豪族の墓には直弧文はなく、代わりに幾何学壁画と線刻画・・・。前者は派遣された管理者、後者は在地豪族と考えるのは当然であろう。


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なぜ吉備系豪族が派遣されたか?
4〜5世紀、中国と半島は戦国時代の争乱期。これを監視するために河内は九州経営に乗り出さねばならない。しかし九州の地の利に詳しくない彼らは、1〜2世紀交流があった吉備王族と半島と出雲に詳しかった大和の葛城氏族を配下にする。それらを地方官吏(さきもり)や知事、国造として各地に派遣するのである。例えば阿蘇国造・大祝氏、例えば出雲大宮司氏、例えば諏訪神長官守屋氏と阿蘇風の大祝氏などなど・・・。


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直弧文が5世紀に九州から消えてしまったのは、大陸の安定、さらに吉備・葛城の各地での越権行為・既得権益摂取などが起こることや、大和で倭五王政権が消えることで合致する。そして登場するのは福井の継体〜飛鳥蘇我氏だったと『日本書紀』は言い募るのである。




この流れに矛盾はないように思える。
気候変動とも合致する。

いかに。




3世紀纒向の氏族は吉備・出雲葛城であるが、継体、飛鳥の政権氏族は別物氏族であろう。五王の末裔なのか、あるいは日本海の渡来商人氏族だったかはいずれまたわかるときがあるだろう。



























また線刻画は、日本海、近畿、関東へ広がった。このことは?
























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