ここから本文です

自分の白血病罹患は赤ん坊の頃だったので、まったく何も言えるような経験すら覚えていないのだが、少なくとも白血病には何種類かのものがあって(Wiki白血病照覧)、しかも急性と慢性がそれぞれあるわけで、池江さんの検査が済んでいない、病名すら確定していない今では、どうにも調べようも、言及もできないことである。昨日はただ絶句するしかなかった。

ただ、言えるのは、18歳でまだ若いことと、スポーツマンで練習で気づくのが早かったことの二点から、東京オリンピックへの復帰よりも、まずは次のオリンピックでもまだ23歳なのだと前向きに思うのが大事だなと感じた。

白血病には、彼女のように白血球そのものがガンになるものと、白血球が異常に増えるものとがあるように思う。筆者は後者で、わけは軍人だった父親が戦後帰還してまず広島経由で九州へ戻る船から原爆のきのこ雲を見る距離にいたためだと聞いている。違うかもしれないが、筆者の世代では、白血病は不治の病だった時代もあったが、若ければ今は投薬や骨髄移植で治る病気だとなってきたらしい。一般のガンは、若い方が進行が早いとされているらしいが、白血ガン病は若年ほど寛治しやすいそうである。だからまずは数年で治すことに専念するのがよいようだと聞く。

幼児で、昭和30年代初頭に病気になって手術した自分としては、池江さんは日本の宝の一人であるのだから、水泳界、スポーツ界に限らず、あらゆる団体がバックアップすべきだと感じた。まして東京五輪にとって「がっかり」などと大臣が軽率に口にすべきではなかった。彼には人間としての何かが欠落しているのではないか?ネットは、一般人の監視カメラ上での行為をどうのこうのではなく、権力を持つこういう強いものに怒りを向けてしかるべきではなかろうか?

池江さんにおかれては、東京五輪のことはまず忘れて、ひとりの人間としてのまず復活を望むものである。

23歳でも金メダルはとれるのだ。
ファンはそう思って待つ心が必要ではないだろうか?




以上。

この記事に

開くトラックバック(0)


ごくごくわかりやすく言うのなら、
バラッドが先で、それに音楽をつけたのがバラード。
そこに始まるが、それで終わらないので少々やっかいだ。


バラッドとは英国の吟遊詩人の作って謳いあげていた叙事詩の一種。
いうならば壮大な昔話である。
そこにフランスで楽曲をつけはじめたのがバラードという音楽形式。

ブルースにはイギリスのバラッドの影響があり、それは物語音楽だということ。
ただし黒人は英国人ほどの昔語りはできずに、どちらかと言えば私的な、奴隷としての自分の身の上話をそのまま歌にした。それがブルースだ。いわば私小説と歴史小説の違いがある。


これはKawakatu独自の解釈なので、あまり
一般性はないのだろうが・・・。


つまりブルースバラッドとはあくまで身の上話であり、私小説。どちらかと言えば自分の奴隷としての身の上を卑下したものが多い。

そういうジャンルのアメリカ音楽を、日本が取り込むときに、なぜかスローな哀調あるラブソングだとなったのが、日本人が言うバラードである。そもそも誤解された言葉だった。ゆったりとしたスローな恋愛曲を、なぜか日本だけがバラードと呼んでいる。
いわゆる=スローバラードだ。


日本人はことほど左様に外来文化をとりこむことを好んだが、その理解は非常に身勝手な解釈が多い。そもそもブルースからして、形式であるのに、主観的に哀愁のある洋楽はすべてブルースであるとした。なぜなら、戦後日本人にはとてもじゃないが洋楽の知識など理解するいとももなく、服部先生などがこれがブルースでいいのだ、とばかりに決めちゃった流れがある。それは歌謡曲として売れなければ死ぬしかないような時代背景と無縁ではあるまい。なんとなくハイカラで、なんとなく哀愁があるなら、それらはブルースとかエレジーとしてうけたのである。


つまり無知だからと言えばそれまでになる。

答え
バラードとは本来、劇的な歌曲。譚詩曲。簡単に言えば日本の和歌と同じ。朗詠する抒情詩、叙事詩。節回しをつけた謡(うたい)。

ポピュラー音楽では拡大解釈されてミディアムスローな恋愛曲。


では外国ではスローバラードはなんと呼ぶのかだが、
まあ「スローなラブソング」しかないよね。大衆音楽世界ならバラードで通用する。けれどクラシックでは通用しない。OK?






























この記事に

開くトラックバック(0)


POPSはポピュラーソングの和製英語だ。
ポピュラーな音楽という意味では、かつてのバロックやクラシック(これも和製英語。クラシカル音楽)も、ただの流行音楽であったと言える。ただ、それを愛好し、庇護したのが貴族だったか、現代の平民だったかの違いである。

あらゆるポピュラー音楽は太古、芸能であった。
日本では雅楽だろうし、それが民間で神楽や田楽になる。
西欧でも、アフリカでも、どこだろうが最初はそういうものであるし、さらに遡ればシャーマニズムの陽動の道具の一つである。究極は自然の風や木の葉や草の揺れる音。
音が神の心を動かし、現世に顕現するのだと考えられていた。

だからどこの民族でも、鈴、笛、打楽器が作られ、やがて弓の弦から弦楽器へと発展する。それらが集まってヒトの心を揺り動かすことで、憑依とトリップが引き起こされる。それこそが管弦楽団=オーケストラの最初の姿だ。


西洋では近代まではそれでよかった。それが室内ダンスに取り入れられる。民間ではフォークダンスへ。いずれも気晴らしである。ここでようやく音楽が娯楽になる。

一旦娯楽化すると、もうはどめは効かない。どんどんパターンが広がる。しかしそしねべて現代まで、音楽はダンス・舞踊とともに発展した。それが音楽だけが独立してゆき、歌詞が技術化して、融合し始める。例えば黒人ブルースはアフリカシャーマニズムから出たが、アメリカやカリブで、別のジャンルの白人音楽とクロスオーバーするとジャズやレゲエやマリアッチやボサノバやサンバに。しかし開発の遅いアジアではなかなかそうはならなかった。

ブルースは、南部で黒人が雇われたことで、白人のブルーグラスやカントリーと融合し、そのカントリー音楽はもともとはイギリスのバグバイプで演奏されていた軍隊の音楽から発展、そのおおもとは欧州に侵略してきたフン族によって南下したゴートやケルトの音楽が合体し、アイルランド民謡の影響もあってできあがったスコットランド民謡から発展したもの。


ブルースはそれら白人社会の持っていた伝統的な楽譜にされている音楽形式を取り込みながら、ラグタイムを生み、やがてクラシック素養の東部欧州型クラシックとも融合しジャズへ。ブルース本体はそこから電気楽器やピアノまで使いこなすモダンブルースへ。ジャズもダンス音楽からモダンジャズへ。しかしモダンジャズはダンス娯楽から離れて一人歩きし始め、芸術性を求めるようになってビ−バップやスイングと言う大衆ダンス音楽から次第に孤立化。結果的に大衆には流行らなくなる。こむづかしくなったら音楽は廃れる傾向が強いのだ。しかし一方でその流れは現代音楽と結びつきフュージョンを生むことになる。

モダンブルースはラグからアップテンポな繰り返しのダンスミュージックへ向い、
ブギウギ、ついにはようやくロックンロールが生まれて大爆発した。

これに影響を受けたのがエルビス・プレスリーやビートルズやローリングストーンズで、最初はアイドルとして登場し、新しい音楽シーンとなるポップスにつなぐことになる。


ロックンロールの基本進行形式は、ブルースのスリーコードが基礎にある。今でもそのロックンロールスタイルのリフレインフレーズはR&Bやソウルにもよく使用される。

ロックはごぞんじのように、さまざまな類型を生み出す活気あるジャンルとなった。パンクやヘビーメタル。ここで再び黒人が登場して来る。ダンスシーンに新たな息吹のラップがさっそうと登場し、またたくまに、平坦で、クールな、メッセージ性溢れる黒人ならではの差別からの開放的歌詞中心のものへ。

日本はそうした欧米の流れが、敗戦後一気に入ってきて、融合され歌謡曲から演歌、反米ブームではフォークソング・プロテストソング、アイドルバンドのGSからジャニーズ、フォークと歌謡曲がミックスして、ジャンルのない洋楽的サウンドに。これによって歌謡曲の大衆的わかりやすさがお茶の間から消し去られて、若いものだけの音楽化。音楽は面白くなくなり、売れなくなる。

アメリカナイズされた熱唱型の歌姫と、歌いにくい歌詞のバンドブームをサザンとユーミンが煽動し、結果として商売としての音楽を阻害してしまった反面もあるが、総じて音楽性だけは上がった。

今、日本人は特に音楽になにかの代弁を求めなくなり、好きなやつが好きな音楽を好きなように聴く時代になって、日本人として全体を突き動かす力を見失っているように見える。


ダンスそのものも非常に個性化したが、民族全部に理解される統合的な、その時代を映すような大きなムーブメントに行こうとしていない。若者だけがポップスに関心を示すが、子供や女性や老人や中高年までが全員知っている楽曲が存在しなくなった。


何が違ったのか?
学校音楽の教材からしてすでに全世代をつなぐような共感できる音楽を割愛してしまった。ますます日本人はアイデンティティを見失った。全体主義が大スキだった日本人は、もはや個々が別々にそっぽを向く国になった。いずれ日本人は地球から消える。長い目で見ればそれも運命である。そもそも日本列島はなかった。2000万年前に大陸の端っこから切り出された漂流島なのだから。そして最終的には海溝に飲み込まれ消えるのである。


あとのことは、死にゆくわれわれにはあずかり知らぬこと。

音楽は呪から始まった。
そしてだからこそ呪で終わることだろう。

しかし人は歌うことをやめないだろう。
俺が死ぬまでにまだまだ新しいジャンルの音楽は生まれ続けるだろう。

だがモーツアルトやポールマッカートニーはもはや生まれないだろう。

しかし音楽史に刻まれてきたマイノリティあ音楽たちは、古典になって永遠に歌い継がれる。不易流行。結局はそこにおさまって長生きする。流行ればすたり、世代は変わる。しょせん流行歌である。それを名曲と呼ぶんだろう。


歌い継がれなくなればそれらも消える。楽譜やレコードやCDはつまり音楽史を語る歴史書である。同じようなことが不可能な学問がある。民俗学や生活史であろうか。人が消えれば、風習が消えれば、忘れられてきた。それを写し取れるのはビデオや写真だろう。それらのハードは、ついこのあいだできた道具である。それ以前の歴史がわからない。みにゆくことすらかなわない。



すべては時間の神が持ち去った。



































































この記事に

開くトラックバック(0)


テレビがよく世界の少数民族、少数部族の生活を紹介する。それをこれまで見てきて、ふと、なぜ彼らが、どの世界でも、みな一様にきらびやかなハレの衣装を日常的に着用しているのかの理由が知りたくなることはないだろうか?

ネットで彼らの服飾関係の考察を調べてみるが、なかなかその理由まで奥深く掘り詰めているサイトが少ない。作業着のほうが汚れや機能性が高かろうに、彼らは(特に女性が多く、男性は既成のワーク・クローズ(紺色の人民服など)であることが多いようだ)農作業ででもちゃんとハレギのままで作業している。実に不思議だし、どうにも非実用的に見えてしまうのは、われわれ文明人が既製服に長く慣れ親しんできたせいだろうか?

確かに文明国でも、かつてはハレの日の着物を着ていたかも知れない。そしてやがて国家が完成して、過酷な労働を庸調として課すようになると、自然に汚れてもいい既製服に変化したのかも知れない。そう考えたら単純でわかりやすい。けれど、どうもそれだけでもなさそうである。


和服には晴れ着と日常着がちゃんと分かれて存在するではないか。北欧では日常は既製服で、祭りのときだけ民族衣装でフォークダンスする。日本人はお出かけ用の外出着・晴れ着と、仕事用の背広やスーツと、祭日の日常着、さらに庭仕事用の作業着までを細かく着分ける。少数民族はまるで毎日がハレの日だと考えているのだろうか?


イメージ 1


考え付くことは、正反対の二つがある。
中国の少数民族は国家による手厚い庇護を受けているために、少数民族の日常は観光化されてしまったからだ・・・。まずこれがひとつ。ところが、現代の彼らはその国家による日常服の強制を受け始めているらしいし、彼ら自体も、それ以前から、かれら自身による大量生産を行って、見た目はわからくても素材によしあしをつけてはいるようである。

もうひとつは、民族・部族を区別しやすくして特徴的デザインを持ち始めたことがある。これは、彼らの先祖が新しい強力な武器や文化をもつ新参文明から排除され、四散したときに、山間の僻地に三々五々移り住み、没個性的な隠棲生活に入ると同時に、衣装だけはかつての華やかなりし頃の栄華を忘れまいとしてきたという考え方もできるだろう。しかし、多数の民族集合体であった長江文明の末裔は、四散すると大変な部族数だった。日本の邪馬台国を中心とした小国家もやはり連合、集合体であったわけで、中国少数民族と倭人は似ていると思える。文化的にも同じモンスーン文化、照葉樹林帯文化で、亜熱帯・温帯の湿潤、夏雨地帯で、稲作文化圏で基本はよく似ている。だから参考にするには最適なのが中国のミャオなどの少数民族である。


敗北、四散して山間僻地に隠れ住むという流れでもおそらく、日本の倭人も同じことをしてきただろう。その証拠品は高床式掘っ立て建造物や棚田での稲作ではなかったか。また彼らが共通して過去の栄光ある王族や武家の末裔を名乗り、きらびやかな風俗をやめないところも似る。

イメージ 2

アフリカの多民族国家でも、あざやかな民族衣装を日常的に着ているし、アイヌの衣装もデザインはかなり派手である。インディアンもかつてそうだった(彼らはしかし体に直接ペイントしたり刺青する部族もあった)。そしてその民族衣装のデザインのすべてが身近の動物や植物をモチーフにしたデフォルメ、幾何学模様でできており、遠くからでも色使いやデザインで識別できるようにしている。それはつまりよそものが見てもわかるということであろう。

隠棲する=自分たちを識別可能にする。

まったく相反する観念であるが、彼らの中ではそれは矛盾しない同一行為なのである。


侵略、侵害、侵入者への、究極の警告と識別である。

イメージ 3

ガラガラヘビは派手である。
なぜなら、同様に、天敵に自らが毒をもつ危険な生物であることを教えるためである。そうすることで、無駄な危険と争いを避けている。同時にその絵柄は草や樹木の中では保護色となってもいる。ニュアンスはやや違っても、非常に少数民族の衣装に近いところがある。


ある部族は、ハレギの上から紺色の作業着をはおって作業する。そういう部族もあるが、そうではない部族のほうが多い。

最大の理由を知るには、保護以前からそうだったかまで調べる必要があり、定かではない。保護と安定と観光化は確かに彼らをそうさせるに充分だっただろう。しかし保護以前からそうであったのでなければ、若年層まで民族衣装の日常が浸透するだろうか?普通なら、ほかの文明人のように、ある歴史上の政治的きっかけで、衣装も変化せねばならない。しかし中国政府のお仕着せの既製服政策を無視してまで、彼らはいまだに美しい民族衣装で堂々と農作業している。汚れるのを畏れていない。そのために大量生産した衣装も用意した。けれどやはりそれらも華麗なデザインは変わりない。


細かいステッチではなくとも、おおむね見た目に差がない。近づかねば、それはわれわれにはわからない。刺繍や服飾にしろうとでは、近づいてもわからないだろう。


古代、海洋民族やアイヌやインディアンやアボリジニやボルネオの未開人たちは、体に魔除けの刺青をした。鯨面文身は、魔除けと同時に、部族を見分ける意匠でもあった。民族衣装もまったく同じ意味を持つのである。部族を明確にすることが最大の軋轢や摩擦の防御となったのだろう。




イメージ 4




押入れの中に、亡き母親がコレクションしていた敷物の数々を見つけて、そんなことをふと考えた昨日であった。外国産、国産のそれらのデザインや色使いには、産地地元の歴史が刻まれていて、そこにもおそらく悲喜こもごもの歴史背景があるのだろう。久留米がすりの生まれた背景にも、高橋おでんの祖先から受け継いできた何かの悲しみの歴史があったはずである。デザインや織物からでも、人々の栄華盛衰は読み取れるのだ。そこには幾何学模様を数値。数式に置き換えてみても見えてはこない、人類の悲しき主観性が存在する。無機質な科学分析の裏に、そういうことを発見するのが歴史や哲学の本懐がある。それに気づかぬものはフランケンシュタインになりかねない。中国でそれを蚩尤と呼んだ。そして中国少数民族たちはおしなべて自らを「蚩尤の子孫」だと言い、過去の何も知らなかった祖先の栄耀栄華を反省している。




心のない数学では人間はわからない。




























































この記事に

開くトラックバック(0)

Ain't Nobody's Business


ROBERT JR. LOCKWOOD 神LIVE②/「Ain`t Nobody`s Business」         


Billie Holiday - Ain't Nobody's Business If I Do (1949)         



Ain't Nobody's Business
(それがどうした)お前たちには関係ないさ 
 
  One day we have ham and bacon
 And the next day ain't nothing shaking
 It ain't nobody's business if I do

ある日のことさ ハムとベーコンがここにあって
翌日には 何も食うものがなくっても
もし俺がそうなったって 誰にも関係ないことだぜ 

  If me and my baby fuss and fight
 Well, and the next minute we're all right
 It ain't nobody's business if I do

もし俺とベイビーが大喧嘩して
その後すぐまた仲良くしたって
俺の勝手 誰にも関係ないことさ  

  If I ever get the notion
 To jump off into the Ocean
 It ain't nobody's business if that's what I want to do

 もし俺が気まぐれを起こして
大西洋に飛びこんだって
 もし俺がそうしたくなっても 誰にも関係ないさ 

 If I attend church all day Sunday
 And cabaret all day Monday
 It ain't nobody's business if I do

 日曜日に教会に行って
月曜日にキャバレーにいりびたっても
他の誰にも 関係ないことさ 

  If I stay out all night
 Spending my money I tell you that's all right
 Because it ain't nobody's business if I do

 俺が夜更かしをして
好きなように金を使っても
 それは自分の勝手 誰にも関係ないことさ 

  And if my friend ain't got no money
 And I say, "All right, take all of mine honey,"
 It ain't nobody's business if I do.

 もし友達が一文無しで、俺が
「いいよ俺の金をみんな持っていけ ハニー」
と言ったって
 それは俺の勝手 誰にも関係ないことさ 、そうだろう



1920年代の名曲である。
ジャズやブルースを少しばかりかじった奴でも、なかなか、
この曲にはめぐり合わないだろう。

ところが俺ときたら、十九歳の頃に、もうこいつに出会ってしまった。
たまたま、知り合いのバンドがこれをやってるところに、観にいってしまったのだ。

そのときから、この曲は俺の心をとりこにしてきた。


なに、ただそれだけのこと。
No.No.No...
ノー・バディス・ビジネス
お前には関係ねえ。





わが友だったマー坊に捧ぐ。














 

この記事に


本日2月3日は節分。
明日四日は立春。
そして五日が旧正月であるそうな。

はて、節分って何?
「せつぶん」の「せつ」は季節。節目。「おせち」と同じ。
要するに正月と節分は同じ。この期間は、立春の春が来るまでの「節句」期間である。

その意味は「冬」。
古代、世界の糟糠民族にとって冬とは主食である穀物を栽培しない唯一の休耕期間である(小麦は日本では秋に種をまいて、冬の間に生育させるが、地域によって、多くは稲と同じ春撒きで秋収穫するところが多い。乾燥を好む麦は、西日本〜東日本では冬季栽培が最適)。

つまりこの期間はイネや小麦にとって「死」「夜」の期間だった。だから静かに精進潔斎する。

長い冬が終わり、いよいよ春が来るぞと穀魂を出迎えるのが立春。だからまず種を撒く擬似祭事として節分に豆を撒いてきた。これは北欧ではナッツ、ビーンズをやはり家中に撒く習慣があることは過去、ここの「もうひとつのクリスマス」関連で記事にしたのを読まれた人ならおわかりと思う。

「もうひとつのクリスマス・豆まきと猫たたき」民族学伝承ひろいあげ辞典


豆をまいて邪を払う。なぜ節分に鬼が出る?
季節の変わり目には季節風が強く吹く。方角は?
日本等のモンスーン気候の地域では風は西から東。正確には北西から東南に吹く。これが立春から春分までに吹けば「春一番」などと呼ばれている。北西は実は神道では鬼門である。戌亥の風である。「あなし」とも呼ばれた。「あな!」と驚くほどの強「師 し」=風である。これが実は魔物。鬼なのである。それでこれがあまり吹かぬように豆をまいた。実りは往古から福で、そもそもは吹く風でもあった。風が吹けば春が来て、田植えが始まるから福の神でもあるが、激しすぎれば鬼である。神と鬼は表裏一体。すなわち自然の驚異だから。それで「福の神ならうちに、鬼なら外へ」と同時に唱えるのだ。


別に豆でなくてもよい。種なら。しかし豆ならあとで食べることができて子供も喜ぶ。いつしか豆は大豆に特化していった。大豆は主食にもなるので、稲や小麦に匹敵する五穀である。しかも投げて当てれば鬼は痛い。これが米や小麦では痛くない。第一、穀物を一番の大事にしてきた農作民族にとって、米や小麦を投げるなぞは不遜だし、餅を的にして稲魂が白鳥に変身して逃げ去るとかの、痛い目にあった伝承もあるほどだ。豆も五穀だが、イネよりも栽培は簡単で、すぐに芽が出る。


ならばなぜ豆を畑に植えるのではなく、投げるのか?冬場に植えても豆は育たない。


節分に縁起のいい食べ物
これは昔からだいたい決まっている。
まずは全国的にイワシ。ひいらぎのとげとげと一緒に軒先につるしておいたのを、食べるようになった。なにより匂いが魔物をよける。

あとは地域によって、こんにゃく、そば、けんちん汁、くじら・・・。
だいたいは季節の変わり目なので、健康的なものが多い。

恵方まき・・・これは関西のさほど古くない風習だが、それを広めたのはすし屋とか惣菜屋らしい。おかげで昨今は、残って捨てられる量が多すぎて予約受注になってきた。頼まれたら作ればいいのだ。しかもこういうことにたいした意味もない。縁起物とおみやげには、ご利益はあるはずがない。主観的な日本人ならではのことである。


筆者のおすすめはこの時期が一番栄養価が高くてうまいカキなどの貝類である。そこで昨夜はさっそくカキの土手鍋を食した。それはKawakatuワールドであとでご紹介したい。うまいよ。
今夜は大羽イワシの干物で一献の予定である。

中国の春節も日本の旧正月も五日である。筆者が小さい頃・・・昭和30年代まではどこの家でも手延べの餅を切って、天日に干す「かきもち」を食べていた。いつしか高度成長期と共に旧正月は日本では祝う風習がなくなった。忙しいからか?どちらかひとつでいいという合理性のせいか?しかしカキ餅やあられを炭火で焼いて、おやつにしていた頃が懐かしい。けっこううまかった。

イメージ 1
















































この記事に

開くトラックバック(0)


最初は何も知らないから本を読み始め、気になる言葉や謎を解いてみたい、それだけだったブログだ。まさか200万ものアクセスが来るとは、当時思いもしなかった。

あなたの記事が、検索するといつもある・・・やっと、そう言ってもらえるようになった。それが一番嬉しかった言葉だ。

あなたは無知だ・・・そういわれたこともある。それもまた嬉しかった。まだまだ追いかける課題や知識があるということだからだ。

小学校高学年から、本を読めば気になる言葉、外国語、キーワードをノートしていた。小さな辞書を作るのが好きだった。このブログも、その小さな辞書のひとつでしかない。本を読むだけでは記憶は消えてしまう。言葉、単語には、しかし何か本の記憶をよみがえらせる魂が存在する気がする。言葉を思い出すと、ここを開いてみる。すると読んだ本の内容がまざまざと蘇える。そのときの自分の姿や、生活も蘇える。


そう、ブログや日記は、自分自身の記憶を蘇えらせる魔法のレコードなのだ。

書き続けること、記憶を溜め込むことが大事なのだろう。本にするにはあまりに無知。メモっておく程度が分相応。一日ひとことでいい。何か知りたいと思う言葉を捜して本を読む。それでいいんだ。



永久運動。
ライフワーク。
あなたも、そういうブログを育ててください。





これまで13年間、ここを読んでいただき、ありがとう。
これからもよろしく。
Thanks, for Your Studiing.


Kawakatu そうだ・じゅん













この記事に

開くトラックバック(0)


熊本県八代山地日奈久帯下部白亜系先外和泉層群の層序と構造
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/121/12/121_2015.0033/_article/-char/ja/




和泉層群 いずみそうぐん
「中央構造線北側にそって細長く分布している中生代白亜紀後期の地層。

松山市の南西から東へ、徳島県と香川県の県境にある讃岐山脈、淡路島南部の諭鶴羽ゆづるは山地を通り、大阪府と和歌山県の県境の和泉山脈に至るまで、最大15kmの幅で東西300kmにもわたって続く。

  「この地層は主に海底で堆積した礫岩れきがん、砂岩、泥岩からなり、ところどころに酸性凝灰岩さんせいぎょうかいがんをはさんでいます。特に北縁部の泥岩が発達する地層からはアンモナイトや二枚貝、巻貝などの化石が多く産出し、昔からよく知られた化石産地になっています。
 
 
徳島県鳴門市に露出する和泉層群の砂岩泥岩互層
 和泉層群は白亜紀後期の中央構造線の左横ずれの断層だんそう運動によって沈降ちんこうしてできた細長い海盆かいぼんに堆積した地層で、沈降の中心が西から東へと移動したため、地層の時代も西から東へと新しくなってゆきます。また、和泉層群は東西に細長い分布と非常に厚い地層をもちながら、比較的短い期間に堆積したことが、含まれる化石からわかります。

  和泉層群が堆積をはじめてから終わるまでの期間は化石の検討によって約1200万年と推定されており、和泉層群の堆積盆の中心は平均2.5cm/年の速度で東へ移動したと計算することができます。地層の堆積速度もほぼ同様だと考えられます。」
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/bb/chigaku/fossils/Izumi.html





イメージ 1



日本列島で恐竜化石が多く出るのは、最古の大陸部分だった能登半島がある飛騨帯であるが、今回の熊本八代の美濃・丹波帯和泉層群からも、これまでに徳島や三重でも化石が出ている。もともとアンモナイトなど古生代生物化石が多い場所だったが白亜紀の層も存在する。


イメージ 2




ニュースで、熊本を恐竜が歩いていた・・・とかよく言うようだが、以前タモリが福井で言っていたように、日本列島を恐竜が歩いていたわけではなく、そこが大陸の一部だった時代に歩いていて死んだので、お間違いないように。



八代市からは獣脚類の肋骨が出ているそうな。
 「熊本県の御船町恐竜博物館は28日、同県八代市で約1億3千万年前の白亜紀前期の大型肉食恐竜「獣脚類」の肋骨とみられる化石が発見されたと明らかにした。これまでに見つかった恐竜化石と並び、国内最古級という。29日から同博物館で展示する。」2019年1月29日
http://news.livedoor.com/article/detail/15938975/





 

この記事に

開くトラックバック(0)


イメージ 2




どのような説も、そのほぼすべては仮説であり、「ある、なし」の両面から証明しようと思えば証明できてしまうものである。

地球以外に知的生命体が存在する惑星はあるか?と聞かれたとしても、両面から証明が可能である。

いない説・・・こちらのほうが証明はやりやすい。なぜなら人間にとって、否定することほどたやすいことはないからである。評論はもっとたやすい、安易な方法で、誰でも批判できる。否定も簡単なことである。


1 地球には昼夜、夏冬がある。それは地球自転軸のさい差角度のせいである。
2 この角度と回転がないと、その星は一日中、一年中夏なら夏だし、昼なら昼なので、反対側は年中冬で、年中夜になってしまう。灼熱と厳寒の星では生命体すら生まれないだろう。
3 地球のそのような角度が生じたのは、偶然であり、地球の核が誕生してから、数え切れないほどの小天体衝突があって、核が回転をしはじめてすぐに角度ができたはず。その角度は星によって違うはず。
4 また太陽からの距離の絶妙さもなければならない。

つまり、いくら太陽系が無数にあっても、銀河系が無数でも、いやさ宇宙が無数にあっても、地球のような惑星ができたのは奇跡的なのだから、ほかにあろうはずがない。ならば生命体もほかの惑星で生まれることすらできまい。



いや、生命体なら無数の可能性があり、知的生命体に進化した星なら山ほどある。というよりも、地球の生命体のすべては、そもそも地球外から飛んできた小惑星や、ほかの星地表が、小天体の衝突で抉り取られて飛んできた土の中にあったものだ。今後、地球からえぐられた地表が他の惑星へ飛散して、生命体を生む可能性があるだろう。いずれ宇宙は知的生命体で満ち溢れるだろう。その大元が地球である可能性すらある。あるいは、ほかの惑星起源かもしれないが、いずれにしたって、海の水も月や火星から飛んできた可能性すらある。いくらでも飛んできて、地球のような環境抜群な星で進化していくに決まっている。



もちろんどっちが正しいかわからない。答えを導き出せるほどの証明物がないからだ。ただし、先日、アポロが持ち帰った月の石が、実は地球の表皮だったという説が出ている。一旦、地表からえぐられた土が、宇宙をさまよい、月に着床し、それがたまたまアポロ乗組員によって持ち帰られたというのだ。そんな偶然があるのか?と疑いたくなる仮説だが、月の石の成分分析では、地球と大差がないそうである。

そういうことが宇宙では起きているとなると、いったい、今夜衝突した隕石が、何世紀も前の地球自身の土だったと、すべて疑わしくなってしまうな。


仮説など、結局はどれもこれも、信じられなくならないか?



なんだって、言いくるめようと思えば、その道のプロならできるんじゃないか?詐欺師なら可能だろう?そう思うと、学問なんかばかばかしくなってくる。


天才歌手でバイオリニストだとかいうオーストラリア?出身女をテレビで眺めていたら、どうみても日本人のようで、ハーフには見えない。しかもほかの怪しげな歌手とそっくりな顔に見えてきてしまったりする。ようく見ると、化粧がむらがあって、なんとかして彫りを深く見せようとして影を異常に塗っている気配がある。こりゃ、ショーンの二代目かなと思っていると、いきなりバイオリンを弾き始めた。弾いて見せたのだが、うまいのかどうかわれわれにはわからない。うしろのプロたちの、演奏後の顔つきばかりながめてしまう。

May/Jにしても、このサラ・オレインにしても、要するにマジックの口裏あわせあり的な、お約束でできあがったイメージでしかなく、現実の人間ではないのではなかろうか?「うそ」であることを前提にした「夢」「バーチャル・リアリティ」を、現実とは関係なく、うそでもいい、いなくてもいい、ただ信じてしまいたい・・・そういう「見る側の事情」が、どうも近頃、堂々と表立って歩き始めている感がある。


つまりだまされたい。だまされて生きることへの充足感を、どうも現実の一般普通人が望んでいる?のではないかとさえ見えてくる。


ドイツやアメリカでネオナチが台頭し、ナチス、ヒトラーの再来を現実に起きると思い込んでいる一派がある。それと同じではないか?オーム真理教と同じではないのか?現実と虚構の区別がわからない人々が増えている。




笑いながらテロがなされる時代が近い気がする。
監視されまくる都市生活の裏側で、ぽっぽないないする官僚と、その追求がもう不可能と簡単に結論してしまう監督官庁。どこへいっても監視カメラで、自由がなくなってゆく世界。そういう監視する側の神経質さと無頓着が、笑いながら人を殺すテロを増やしていく。カメラそのものこそがテロであることに気づかない。教育ママ、しつけおやじであることすらテロになる。車に乗ることがテロへの入り口になっている。学校のいじめがテロになってしまっている。社会的弱者や生活保護者への予算を削るという殺人テロ。なにもかにもが、気をつけていないと、誰かを殺すことになってしまう世の中だ。

すべてを仮説で済ませてしまわれたら、われわれはテロに殺される側のモルモット動物ではあるまいか?


地球外テロ生命体なら映画の中に山ほど存在しているが。実際のテロは自分がエイリアンであるとは考えてはいない。さて、本当の人間なんて、この地球に存在しているの?あんた自分自身が間違いなく人類だと証明できますか?ゾンビじゃないのか?幽霊じゃないのか?オプトプラズムや幻想なんじゃないか?実は。



38億年前、地球にはじめて生命体が生まれた。原核生物と言う。あなた、ほんとにそれの子孫なのか?


イメージ 1

DNAの共通項で500個がそれらバクテリアにもともと存在している。その500個の断片は、ぼくもあなたも魚も、牛も、犬も、サルも、みんな共通して持っている。


ぼくたちが地球の生命体、人類であることの証明書は、実はその500個しかないゲノム遺伝子だけなのだ。バクテリアやウイルスから、人類に至るまで、あらゆる地球生命体は同じゲノム遺伝子で構成されている。あとは進化と分岐で付加した、神社の分祀のようなゲノムが山ほど持たされてはいるが、チンパンジーとぼくとの違いは、わずかに数個。頭の毛が三本あるかないかの違いしかない。


海底噴火口でシアノバクテリアが生まれてこなかったら、そのすべての生命は生まれなかった。生まれても、その後の全球凍結で80パーセントの種は滅びた。せっかく生き残るためのエンドルフィン(脳内麻薬)を作り出したのに、瞬間冷凍されて、胃袋にまだ消化されないごちそうが入ったままミイラになった。ロシアのツンドラで、ハイドロ・メタンガスとともに出てきたマンモスのように。


大気は原始、酸化物で満ち満ちていた。シアノバクテリアは酸化した空気を食べて、炭水化物に換える。それで大気中の酸化物はどんどん薄くなれた。彼らのおかげで地球の種は生きていけるようになった。現代の二酸化炭素が増えていると喧伝される大気の酸化物比率など原始大気酸化物の爪の垢ほどもない量である。しかも原始の大気の中で最初の生命は生まれ、そして酸化化合物で死ぬこともなかった。



仮説ばかりなのである。
信じるものは救われない。
うたがわぬものは、テロにやられるいじめられっこになりかねない。







自分自身すら疑ってみるほうがよかろう。
知らない間に、あなたは入れ替わっている可能性もある時代だ。この宇宙人め。







200万アクセス。ありがとう。
物好きなあなたは救われるだろう。















































































この記事に

開くトラックバック(0)

砂漠と文明


「人類文明はいかなる生態環境の中で成立し発展したのか.湿潤森林地域なのか,乾燥地域なのか.そう問うならば,主要な人類文明のほとんどが,砂漠をふくむ乾燥地域,とりわけ旧大陸の中央部に横たわるアフロ・ユーラシア内陸乾燥地域で形成されてきたことに気づく.(中略)人類文明史を客観的にふりかえってみるなら,ヨーロッパや日本などの湿潤多雨森林地帯の文明こそが,アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明の影響下,その辺境に形成された後発文明として考えられる.(中略)人類文明の形成を,アフロ・ユーラシアの乾燥地域中心に考え直すならば,新たな人類文明史観を描きだすことができる.本書で,その試みに以下つきあっていただきたく思う.さらには,生命進化史上における人類の位置づけが何であり,そもそも人類とは何か,という問題にも,新たな光を投げかけてもみたい.」嶋田義仁『砂漠と文明 アフロ・ユーラシア内陸乾燥文明論』2012 岩波

四大文明はすべからく砂漠の大河沿線から始まった。最古はチグリス・ユーフラテス流域のシュメール、バビロニア文明。なぜここが最古になるのかは、そのままMTDNA遺伝子分析から出た人類単一遺伝子派生説の中の「人類の出アフリカ」の順序が、まずそこを最初に選ばせたからにほかなるまい。諸説あるが、まずは人類は生まれ故郷アフリカ東部に一番近いアジア大陸の西端に豊富な水と、穀物の原種を見出している。人口は最高で1500〜2000万人。黄河文明が150万人。エジプト700万人まで膨らんだ(中島 1977)。

これらは内陸型、牧畜、製鉄、小麦農業を中心に発達した。しかしやがて砂漠化が進むと、遅れた辺境地帯へ侵略を開始した。その影響を受けて、それまで辺境だった海岸部が、裁く文明の乾いた思想に裏打ちされた無駄な主観性の少ない科学や文明や合理的重工業を取り入れて発展し、海を背景にしたヨーロッパ帆船貿易時代が始まった。モータリゼーション、つまり流通の道具はラクダから帆船へと変わり、大量輸送の時代と、侵略と簒奪の時代が始まった。こうして海の流通革命が宗教まで変化させ、王は政治王、侵略王、交易王へ変った。大型船による交易は現代も続いている。さらに内陸をつなぐ鉄道や、飛行機が、さらに流通を大型化、高速化した。

砂漠はどこにできるのか?地球の赤道付近ではない。南北回帰線上にできるのである。
熱帯・亜熱帯の植生と、温帯・亜寒帯の植生は、前者が棘低木植物、後者はイネ科のステップになるという(吉良竜夫)。それは言い換えれば、夏雨型と冬雨型気候の違いである。棘低木を好む動物はラクダやキリンの仲間である。それはマメ科のアカシアが多い。アフリカの砂漠やサバンナではだからラクダやキリンがいるが、ラクダや家畜のヤギ・羊たちは低木の葉、棘、茎を季節によって食べ分ける。牧草によって森が切り開かれるが、家畜たちは牧草を食べつくすこともなく、アフリカ人たちも、決して種を植えたり、樹木の苗を植えたりはしない。ほっておけば家畜の出した糞から芽が出て、元に戻るからだ。中国では、日本の緑化運動の影響をまともに受けて、政策として緑化運動に取り組んでいる。しかし植える品種を間違えると、植生変化につながりかねず、最近では世界の顰蹙と批判を緑化そのものが受け始めている。緑の植生が変ると、砂漠の生態系に悪影響を与え、砂漠でしか生きられなくなった生物を滅ぼすことになる。よかれと思ってしていることで、滅びる種がある。

砂漠の文明のほとんどが現代は衰退し、むしろ古代に戻っていると言える。それは砂漠に限らず、森林と山岳地帯にある南米の文明もそうだかつての大文明発祥地でいまだに大文明を抱えていられるのは中国黄河流域とエジプトだけだ。しかしエジプトはいまや観光都市として生きながらえている状態である。中国だけは、広大なアジア大陸の中で、砂漠化がゆっくりと進んでいるために、かろうじて息ながらえることができている唯一の砂漠の文明である。




あと数日でここは200万アクセスを突破します。しかし今のところ、まだ記念記事にするほどの情報を筆者は得ておりません。なにか考えてはいますが、何もないときは、何も書きません。200万達成との告示もしません。


書くことがないので、
そろそろ
ここもやめようかとも思う今日この頃です。


書いてもちゃんと読んでくれないヒトが多いから、書くことに意味が見出せないこのごろです。










この記事に

開くトラックバック(0)

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事