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尾張氏は倭五王以前の大和王家か?
元記事→http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/551.html
かわかつワールドにアップしておいた尾張氏と葛城氏の関係から、推定されることなど。
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「二つの系譜は共に初代を天火明命として、前半部分は部分的に同じで、一部は傍系の系譜という不思議な関係にある。
全体としては『先代旧事本紀』の尾張氏系譜の方が明快である。ただし『勘注系図』には、登場人物の事蹟などを記した書き込みも多く、史料としては極めて貴重である。

 二つの系譜が同一の伝承を伝えるのは次のような理由による。
『勘注系図』の前半部分は丹波の支配者の系譜である。そしてこの丹波の支配者は、葛城高尾張に居た、尾張氏なのである。
そのために丹波の支配者の系譜である海部氏の系譜に、尾張氏の人物が当主として登場する。しかも海部氏と尾張氏とが分離した後も、三〜四世代にわたって尾張氏の系譜が丹波の系譜の中に混在する。

 『勘注系図』が尾張氏と分離して、丹波固有の系譜となるのは、十四世孫川上眞稚命からである。したがって十三世孫まで、『先代旧事本紀』の尾張氏系譜と共通する部分があり、詳細な比較検討が可能である。
また『勘注系図』には、尾張氏が分離した後の尾張氏の系譜が一部混在する。その為に『勘注系図』の世代数や続き具合に混乱を来たしている。

 尾張氏系譜は奈良県の葛城高尾張(かつらぎたかおわり)に始まり、後に愛知県に移った一族の系譜である。
十一世孫小登與命(おとよのみこと。小止與、乎止與命などとも表記される)が現在の愛知県に移り、後の尾張氏となる。名古屋市緑区大高町火上山の氷上姉子(ひかみあねご)神社には小登與命の館跡とされる場所がある。
したがって『先代旧事本紀』の尾張氏系譜は、十一世孫乎止與命に続く尾張国造の系譜である。」
イメージ 1

http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/1-2owrisikeifu.shtml


※このように尾張氏系譜の「入り姫」には当初葛城氏が多く、男性も葛城を冠する者が多かった。ということは両者ははじめはほとんど同族関係だったとこになる。それがやがて系譜から薄れていくのは、4
5世紀に葛城氏が別の王統の登場によって尾張氏と離れていくことになったと考えられる。
当然、その時期に出現したのは河内に巨大古墳群を作る王権である。

それは逆に考えれば、それまでは葛城氏や物部氏を系譜に持った尾張氏こそが大王家だったのではないか?という推定が導き出されることなる。

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別のサイト管理者はこの系図から独自に推定し、以下のような推量をほどこして系譜を編集している。
イメージ 2

http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-8.html


※ただし大分国造が海部氏だったことは否定できないが、彼らには尾張氏や海部氏とは違い、多氏や筑紫国造・肥君と同盟した関係上かどうか、神八井耳系譜が重視されている。

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こうしたことから、当初住之江沿岸地域にいた尾張氏、物部氏が紀ノ川を重視し、葛城方面から大和に入り葛城氏と同族となって大和の西側に王家を作っていたと考えることが可能。東側には倭国造や和邇氏の連合国家があったので、これはいわば大和ローカルの「もうひとつの小国家連合だろう。
3世紀頃まで、奈良盆地には二つの勢力が東西に住み分けている。
そこへ4世紀、それらを統一していく大勢力が入ってきた。
限りなく外来の匂いがする倭五王である。
勝手な想像であるが東を邪馬台国、西を狗奴国とするならば、二つは倭五王によって追い出された、あるいは帰順させられた、あるいは大王として持ち上げた・・・などが考えられる。

※物部氏は葛城氏、尾張氏よりも遅い勢力であろう。
和邇氏、倭国造氏は早い、あるいは同時期に存在した氏族であろう。

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    古代には、現在の奈良盆地は巨大な大和湖が満々と水を湛えていた。云々。
    この巨大湖を挟んだ対岸に複数の勢力がそれぞれ蟠踞していた。
    と考えられます。
    南東部の御所市、葛城高尾張(高天原(延喜式が認定)。金剛山をヤマト側〜は高天山と呼んでいた云々。)が先行した王権と考えられます。
    目前は大きなヤマト湖〜大和川等でチヌの海(首都圏の海の意味)に。
    又、南側の低い峠を越えるだけで水量豊かな吉野川/紀ノ川に至り、紀伊水道の外海に直結した現在の状況とはことなる交通の至便な立地。

    黎明期の後の天皇家はこの葛城高尾張の王権の入り婿になる事でかろうじてヤマトの一地方(宇陀方面?)の豪族の地位が担保されていたのではないか?
    崇神天皇(ミマキイリヒコ)が(辛抱溜まらずに)宮から放出した天照大神(天照御魂神)。と倭大国魂神。はこの葛城高尾張の勢力(母系)の神だったのかもしれません。
    首長が他所(母系)の神を祭るのは、明らかに服属儀礼に他なりませんから。 削除

    [ 豆たぬき ]

    2013/11/16(土) 午前 11:16

    返信する
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    ¥コメントは隅々まで当記事をお読みの上で書き込んでね。
    古奈良湖→http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55470729.html
    倭大国魂と倭直氏→http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53018561.html
    私も伊達に10年近く古代史ブログをやっているわけではありませんよ。

    三年前も記事などに今頃コメント書く、その認識と、倭直氏が大国魂を祭ったことを知らない希薄な知識でよく意見が書けた名と寒心します。
    もっと勉強して、おととい来てください。
    コメントの処理をどうするかはご自分でご判断を。

    Kawakatu

    2013/11/16(土) 午後 1:23

    返信する
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    春ならば 浮かれきたとてわかろうものを
    秋にくるとは 山笑う

    Kawakatu

    2013/11/16(土) 午後 1:24

    返信する
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    古奈良湖が弥生時代になくてよかったです。でもこの三年前のコメントから、またもやとんでもないことが頭に浮かんできました。郡山は、奈良盆地と福島にあります。じぇじぇじぇ、「郡山」は「やまと」なのでは。

    [ やまとねこ ]

    2013/11/18(月) 午前 0:36

    返信する

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