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「奈良県御所市室の宮山古墳(前方後円墳・全長238m)は古来「室大墓」と称され、武内宿禰の墳墓とする伝承があるが、その子の葛城襲津彦の墓とも言われ、その場合は宮山古墳より少し前に造られた巣山古墳が武内宿禰の墓の可能性が高くなる。

『因幡国風土記』逸文には、360歳のときに因幡国に下向し、そこで双履を残して行方知れずとなり、双履が残されていた鳥取県鳥取市国府町の宇倍神社に武内宿禰を祀るとの記述がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0

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奈良県御所市の宮大墓付近の葛城氏居館あとであろう極楽寺ヒビキ遺跡からは、直弧文つきの柱を持つ神殿?建造物を模した直弧文つき家型埴輪が多数出ている。
イメージ 1

http://blogs.yahoo.co.jp/hopi519/65382696.html

葛城北部の平群氏の居住地付近にある馬見古墳群の巣山古墳では、もがり舟が出ている。
イメージ 2

http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54279185.html


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宮山古墳(宮大墓)は葛城襲津彦(かづらきの・そつびこ)の墓という説と、祖人武内宿禰(たけしうちの・すくね)の墓という説が根強くファンを二分している。
極楽寺ヒビキの直弧文は、宮山の靫型埴輪にも描かれており、葛城の「うちつおみ」氏族がこれをステータスにした軍事氏族であったことが偲ばれる。
武内宿禰は何百年も大王家に仕えた宰相だったとされ、実態はひとりの特定人物ではなく、数世代の宰相・・・つまり「内臣」の祖人としてのイメージで作られたと考えられる。そのモデルとなったのは襲津彦も含めて、葛城葦田宿禰や羽田矢代宿禰や平群木菟、紀角宿禰、蘇我石河宿禰といった葛城の子孫たちの合体であろうか。「宿禰」の代表とも言える。

また仁徳天皇の皇后だった葛城磐之媛や吉備の黒媛も、この系譜から創作され、それは神功皇后母の葛城高額媛や甘美内(『日本書紀』)宿禰の母だった葛城之高千那毘売(かづらきの・たかちな・ひめ)も創作された媛であり、琵琶湖の息長宿禰の祖と婚姻して神功皇后を生み出す、いわゆる「宿禰系譜」=正統な大王家の外戚とする直系説話である。

息長宿禰やからは津守氏・尾張氏・海部氏・伊福部氏・掃部氏・あるいは高鴨加茂氏や安曇氏、和邇氏といった、すべての九州に関わる海人族の元締めとしての付加価値が添付され、葛城氏とは高鴨氏の葛城地方での婚姻が古くからあった。こうした系譜はみな、息長氏の近江琵琶湖氏族と山城筒木や内・大住と吉野有智のいわば旧族葛城王家とを結びつける正当化に過ぎないのである。

「高千那」は限りなく「高千穂」を思わせる銘銘で、彼らすべてがもとは南九州阿多から出てくるように思わせる仕組みになっている。大住や阿多の隼人たちは、要するに、外から来た海人族たちによって管理され、家臣となったと言うこともできる。

大王家・・・内臣・・・隼人の上下関係がそこにはあっただろう。

直弧文は実は纏向遺跡から出た朱塗り神殿部品の中に埋もれていた弧文円盤とも深いかかわりがあったはずである。

イメージ 3

つまり纒向がもし大和説学者が言うような邪馬台国であったのならば、その神殿の真上に避雷針のように立てられていたこの円盤(二種類ある)こそはそのステータスであり、邪馬台国の男弟という限りなく宰相・内臣的な人物とは葛城の人だった・・・宿禰系譜はここから始まっていたことになるのである。筆者が葛城と宿禰にこだわる理由はここにある。

武内宿禰子孫たちの北部九州から南下して阿多をいち早く帰順させる行動によって、南九州に集中していた大隈隼人や久米海人族や古い付き合いの安曇族たちの舟の力を利して、一気に南九州から畿内住之江までやってきた神武天皇の東征というものが、武内宿禰によくにた塩土翁の助言で開始さたことと無関係ではないのは明らかではないか?


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さて、その葛城地方に古くから祭られた土ぐもがいる。
それは高鴨神社や反対側の鴨都波(かもつば)神社にはさまれるように葛城山の高いところに存在し、そこは葛城一言主が祭られている。そのご神文にはなぜか楠正成の家紋である菊水が使われている。室町時代直前に関東武士団を束ねて清盛・頼朝が目指した武家社会の復興を画策した足利尊氏の、まるで幕末さながらの「佐幕」派に対抗した「勤皇」派の楠木が、なぜ葛城山に立てこもったのかは、もしや楠木などという千早赤阪村の郷氏ずれが、もともと葛城氏のもとにいた土ぐもか隼人だった可能性を示唆して、なかなか興味深いものがある。

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楠木が菊水を使った理由もいろいろあるだろうが、それがもしや天皇に仕える意味以外に、熊本の菊池・菊水になにか関わりはなかったかなどと、妄想してみたりする。
楠木や新田にはどうも西国由来のニオイがする。
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葛城一言主神社千木の菊水

菊水は葛城高鴨神社でも使用されているが、菊は皇室、水の流れはそれを守護するとされていて、戦時中のゼロ戦などでも多用されたが・・・。

菊花の印はなぜかずっと昔の古墳時代の南九州人吉などの横穴古墳に使用された。実際はロータス文であるとされてはいるが。

まあしかし、なかなかミステリーとしては面白い話ではあるまいか?

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    CATVで「太平記」再放送をぼんやり見ていたら、こんなことを思いついた。

    kawa**tu

    2012/6/11(月) 午後 3:51

    返信する
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    楠木正成は今、大佛次郎の小説を読んでいるところです
    傑作、クリ

    red

    2012/6/11(月) 午後 8:15

    返信する
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    サンキューフォーユアかインドネス

    Kawakatu

    2012/6/11(月) 午後 9:23

    返信する

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