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◆阿波忌部氏と水銀
「・吉野川市の前身である「麻植郡」は、807年に斎部宿禰広成が記した『古語拾遺』に阿波忌部の祖神たる天日鷲命(あめのひわし)が肥沃なる地を求め当地に来て穀や麻の種を植えたために名付けられた歴史的名称であった。
 
その起源は、 徳島市 の「観音寺遺跡」の木簡から少なくとも7世紀後半にまで遡る。

その阿波忌部は、吉野川流域の一帯に勢力圏を広げて開拓し、阿波国の成立に大きく関わったものと見られる。

 鳴門市 の阿波忌部が植えたる麻に由来する大麻山や、『安房斎部系図』に拠ると天日鷲命の子に相当する大麻比古神をまつる「大麻比古神社」の存在からは、大麻山周辺域は阿波忌部の根拠地であった。縄文・弥生・古墳時代にかけた県内最大の遺跡が集中する鮎喰川西・東岸部もその根拠地と見られ、 徳島市 国府町 の旧国府を眼前に見下ろす気延山には、忌部系の「天石門別八倉比売神社」が祀られ、阿波の吉野川流域における3大社が忌部系の式内社である点から見ても、その阿波忌部の勢力圏が察しできるのである。
 
・その忌部族の根拠地たる大麻山の東山麓では、2000年以降の発掘調査で、古代阿波の歴史を書き換える古墳群の発掘成果が新聞紙上を賑わせている。それは、 鳴門市 大麻町萩原の日本最古の前方後円形の積石塚墳丘墓である弥生後期(2世紀末)の「萩原2号墓」、弥生終末期の3世紀前半の「1号墓」、日本最古の竪穴式石室をもつ3世紀中頃の「西山谷2号墳」やそれ以前の「天河別1号墳」などであり

王墓たる前方後円墳の諸要素をヤマトに運ぶと共に、水銀朱・結晶片岩の石材などを搬出。
まさしく阿波の祭祀・葬送儀礼が畿内やヤマトに大きな技術的影響や思想をもたらし、ヤマト王権成立の立役者となっていったと見られるのであり、これらの主体となったのが、阿波忌部系であったのであろう。」
http://blogs.yahoo.co.jp/aska_hayashi/1651579.html
 
 
◆忌部氏と大麻
「天日鷲命(あめのひわしのみこと)が種穂山(たなぼやま)に降り立ったときの話に少し戻ります。
伝承では、天日鷲命は天磐船(あめのいわふね)に乗って種穂山に降臨したと伝えられています。
その時、天日鷲命は麻・穀(かぢ)・粟・五穀の種を携えておられたそうです。
阿波の農耕の歴史はここに始まります。
特筆すべきは「麻」の栽培。
麻は、神事に欠かすことのできない神聖な植物です。
特にここで言われる麻とは「大麻」となります。

「大麻」は、神が宿る神聖な繊維とみなされており、国家の災厄を祓い豊穣を祈るにふさわしい品質の大麻を栽培し、加工する技術を持つということは、国造りにおいて重要な責務を果たし、また大きな影響力を同時に持つことになっていたと思われます。
 
旧麻植郡や美馬市木屋平周辺の標高約500mの高地は良質な大麻の栽培が可能な地域で、阿波にやってきた忌部氏によって、ここを中心に神事などに必要とされる大麻が大々的に栽培されました。」
麻を植え、神と国に仕えるところ。
それが、麻植郡の地名の由来です。」
http://blog.livedoor.jp/musicaelibro/tag/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E5%BF%8C%E9%83%A8
 
 
◆あらたえの献上
「天皇陛下が即位されるとき、その即位の儀式の大嘗祭には「あらたえ」という着物が用いられます。
それは必ず、この地域の大麻で織られ、忌部氏が献上します。
現在の天皇陛下が即位されるとき、木屋平の忌部の末裔にあたる三木家がこの「あらたえ」を作りました。
伝統は時を超えて今も守られているのです。
優れた種を残し、国の力を蓄えるために、種穂神社に拠点を置いた忌部氏が強いリーダーシップをとって時代を動かしました。」
 
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あらたえの製作工程 http://sueyasumas.exblog.jp/16253054/
 
『大嘗祭と麁服(あらたえ)神事』講演 三木信夫
三木信夫氏講演④ 大嘗祭と麁服(あらたえ)神事 日本麻フェスティバル動画 .
http://www.youtube.com/watch?v=9qM8FcDL_lU
 
 
「麁服(あらたえ)とは、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭の時にのみ調製し・ 調進(供納)する「大麻の織物」を云います。
 麁服は、悠紀殿・主基殿の大嘗宮の儀で、天皇陛下が威霊を体得 される為に神座に 神御衣(かむみそ)として祀るものです。
 当初御殿人は、直系の氏人達が卜定により選定指名して、麁服 神服(あらたえかむみそ)を調製していましたが、既に鎌倉時代には 御殿人の家筋は、三木家等に固定化されていました。

  御殿人とは、麁服製作を統括し、出来あがった麁服を勅使の「荒妙 の御衣使い」に進上し、共に京師へ同道して大嘗宮へ供納する氏人  です。
  次の勅使下文は三木氏村が麻植忌部集団の長者をしていた時の 文書で、三木家が大昔より御殿人を勤めていた事を証するものです。 」
 
あらたえの製作工程 http://sueyasumas.exblog.jp/16253054/
 
 
 


 
 
以上のように忌部氏が司る事業は、水銀、大麻と非常に危険度の高いものばかり、「忌むべきものを扱う」氏族という名前になったと見ている。それ中臣氏と並ぶ祭祀「忌事」=シャーマニズムの氏族だったゆえんもあろうが。
そもそも「忌む」「忌事」という言葉こそは、こうしたトリップ用品を扱うことに起因していたとも見て取れる。
今、神社で大麻といえば、火をたき木を燃やすわけであるが、あの木片がまさに大麻と呼ばれており、そもそもは大麻などを燃やして神がかりしていたのであろう。日本で合法的に麻を栽培できるのは学者とこの三木家だけである。(上垣外2011)
 
徳島県の若杉山一帯地域を那賀という。対面する紀州名草にも那賀があり、互いに古い往来があって、とみに海人族の拠点であったと思われる。これを平らげて支配したのは紀ノ川河口部の紀氏である。彼らも海人系の九州由来氏族であろう。武内宿禰子孫であるので、おそらく隼人系である。ということは住吉・三島信仰つまり海の神とオオヤマツミを奉じた氏族だっただろう。
 
 
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ちなみにであるが、阿波剣山という円錐形の山は、なにやら海外からの旅行客が、四国では異常に多いそうである。
そのほとんどがマニアックなファンと、中国系・アシュケナジ系のなんたら教徒であるそうな。
なにを根拠にと思ったら宇野正美という男の書いた本や、あちゃらのレヴィの本からであるそうな。
こことはまずもって意趣を異にした歴史の楽しみ方であり、相容れない。
 
 
 

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    忌部の名について一言
    『「忌むべきものを扱う」氏族という名前になったと見ている。』というのは現代人の感覚からすれば致し方ないのですが、そもそも、忌むとは仏教用語でずっと新しいものです。

    ある意味三木さんは公人でもありますので、表だっては大嘗祭の解説を一般的な解釈から出ることはありません。気さくな方でもありますので、訪ねてみることをお勧めします。雪の積もる季節は不在ですが、雪が解けると木屋平の三木山山頂に在宅です。(講演等でいない時も多いですが)

    先日、中世阿波忌部十三人衆の合議の話を伺いまして、日本版民主主義を知り少々感動しました。ちなみに、故後藤田正晴氏の実家は忌部の末裔でだそうです。ご存じかもしれませんね。

    ところで、徳島には奇異な説を唱える方も多く(外部から見れば私もそうかもしれません)時には逃げ出したくなる時も多いのは事実です。

    [ らくじん ]

    2015/7/10(金) 午前 8:09

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