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本貫地、大和神社関連で本日27日記事を追補、修正。



これから邪馬台国摂津・播磨説に関する記事を書く。
西求女(もとめ)塚、東求女塚、処女塚さらに五色塚といった瀬戸内海に面した臨海古墳群についてである。



過去、いくらかこれらについてはここでも書いてきた。
五色塚古墳と平安時代まで大和神社(正式名称・大和大国魂神社)祭祀者だった大倭(やまと)氏=古代の倭直、倭臣氏について、灘の西求女塚、処女塚、東求女塚と兵庫県を発掘している邪馬台国考古学者の石野博信(纒向発掘)の「邪馬台国播磨説」についてである。それら過去記事と、新たに見つけた新しい考察をあわせて、明日夜10時NHK総合 で放映されるだろうその種の番組※の前に、参考資料として読んでおくといっそう面白く視聴できるかも知れない。

※発掘!お宝ガレリア「またまた“小中学生”が見つけちゃった超スゴ〜いお宝!展」https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20170727-21-24744


ではまず、灘の海岸東部菟原に残る悲恋伝説「菟原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)」からはじめてみよう。





菟原処女の伝説
能『求塚』の舞台。
 「二人の男子はこの塚に求め来りつつ」
「この地に美しい乙女(菟原処女(うないおとめ))が住んでおり、多くの求婚者がいましたが、特に熱心だった2人(和泉(いずみ)(大阪府南部)の“血沼壮士(ちぬおとこ)”と地元の“菟原壮士(うないおとこ)”)が武器を持っての争いとなり、乙女は立派な若者を自分のために争わせたことを嘆いて死んでしまいます。
2人の若者もそれぞれ後を追って死んでしまい、それを哀れに思った人たちが、後々に語り伝えるために3人の塚を築きました。-
この伝説は奈良時代の万葉集(まんようしゅう)に登場する歌人たちが歌に詠んでいることから、かなり古い伝説だったようで、平安時代の「大和物語」では2人の若者が水鳥を弓矢で射て乙女を争うストーリーになり、後の時代にも謡曲(ようきょく)「求塚」や森鴎外(もりおうがい)の戯曲「生田川(いくたがわ)」などとして取り上げられています。」
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/history/genshikodeai/004.html

この話は灘にある三つの古墳を男女の三角関係にした地元の民話を題材に能楽にしあげた作品である。その三つの古墳とは西求女塚古墳、東求女塚古墳、処女塚古墳のことだという。全国にこういう説話は多く、大半は山を題材にして、中世頃にできあがるが、古墳が題材とは珍しいのではないか。





次に当ブログ過去記事から、神戸の古墳の重要性について書いた部分の抜粋
「兵庫の東求女塚、西求女塚、処女塚の三つの古墳は面白い。それぞれ古墳の形が違う。西求女塚は前方後方墳、東求女塚は前方後円墳、処女塚は前方後方墳である。違う種族が同居していたのが神戸の灘である。ここ大事。」
2017/6/29(木) 午後 0:10卑弥呼の鏡論争 内向花文鏡か画文帯神獣鏡か?https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C0%BE%B5%E1%C4%CD&sk=1


「西求女塚古墳(にしもとめづか・こふん)
神戸市灘区都通3-1; 交通アクセス: 阪神本線「西灘」下車
前方後方墳 全長98m以上
古墳時代前期(4世紀後半〜)
 
イメージ 1
 
出土遺物
画文帯神獣鏡 2面
神人龍虎画像鏡 1面
半肉彫獣帯鏡 2面
三角縁神獣鏡七面(うち二面は布に包まれていた)
鉄製品 230点
碧玉紡錘車形石製品 1点
土師器 14点
織物残欠 2点
など
 
 
兵庫県の南東部、六甲山系と大阪湾に挟まれた標高6から8mの扇状地上に立地する、古墳時代前期初頭の大型前方後方墳である。古墳の存在は古くから知られており、『万葉集』などでは悲恋伝説の舞台として語り継がれてきた。
 
 
イメージ 2
この図にはないが、右手前、大和田泊つまり神戸港には播磨最大の五色塚古墳がある
 
 
石室の石材は、地元のものだけでなく、阿波(徳島県)や紀伊(和歌山県)などからも運ばれており、地元の土器は出土しておらず、祭祀に用いられた土師器には山陰系の特徴をもつものが出土していることから、山陰や四国・南近畿などの諸地域と深い交流をもっていたことが推察され、瀬戸内海や大阪湾など水上交通に影響をもつ首長の墳墓であったとも考えられる。

一般に前方後方墳は、ヤマト王権の直接の支配下に入らず、周辺部で独自の勢力を有していた有力な豪族の古墳に多いとされ、本古墳の被葬者もそうした一人であった可能性が高い

 

 
 
 
 
今回少年が発見した「温泉マーク」のある浮彫式獣帯鏡は一世紀半ばの中国鏡。
 
イメージ 3

 
獣帯鏡には多様なデザインがあるので、一括して獣帯鏡と便宜的に呼ぶ。
 
 
イメージ 4
 
 
 
中略
 

西求女塚古墳は、灘区のほかの有力古墳二つと同じく、海岸線に造られた大古墳。
まさに灘の地名にふさわしい立地にある。海が見える墳墓は、やはりその被葬者が海に深く関わった氏族の有力者だったからだろう。前方後方墳であることは、海人系海部・尾張氏に関わり、例えば大和の倭直(やまとのあたい)の先祖などが考え付く。いわゆる椎根津彦の子孫であろうか。
 
漢代の古い鏡を持っていたとすれば、邪馬台国などよりはるかに古くから、北部九州奴国同様に、漢との交流を持っていた氏族となるから、やはり倭直が最有力ではなかろうか?
 
言い換えれば、物部氏同族集団の一角であり、邪馬台国滅亡以後は、黒塚などとともに追いやられてゆく氏族のひとつであり、物部・和邇・尾張・海部などと同様、近畿最古の氏族にはいる。」2013/10/13(日) 午前 10:13西求女塚古墳と浮彫式獣帯鏡/少年の大発見https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55881620.html?__ysp=6KW%2F5rGC5aGa5Y%2Bk5aKzICDmsJHml4%2FlrabkvJ3mib%2FjgbLjgo3jgYTjgYLjgZLovp7lhbg%3D
 








これら古墳の被葬者を筆者は倭氏であろうと考える。
※別記事で倭氏の高木信仰を書く予定。

倭氏 やまと・うじ
倭国造(やまとのくにのみやつこ)氏
倭直 やまとのあたい
倭臣 やまとのおみ
大養徳
大倭
などが記録にある。

始祖伝承
祖神珍彦(うづひこ・宇豆毘古)。
後の槁根津彦(古事記)、椎根津彦(日本書紀)。

「イワレビコ(神武天皇)が吉備国の高嶋宮を出発した後、吉備国の速吸門で出会い、水先案内や献策などを行った。神武東征の功により、神武天皇2年に初めて倭国造に任じられたという。」WIKI大倭国造

それらの功績によって大王から「椎根津彦」の名を与えられた。椎根とは、舟を漕ぐ櫓のことで、古く椎の木から作られるのを最良としたことから、彼らの舟の民=豊後水道〜瀬戸内の海人としての象徴として与えられた氏であろう。舟の櫓や櫂を、聖人の持つ威信物だった儀杖に見立てる風習があったという説がある(三品彰英「神武伝説の形成」1970)。杖、あるいはのちには構造船に立てられたV字型の柱などは、記紀神話にある高木の神=アメノミナカヌシであり、しかしそうした神の樹思想は中華の神仙思想を元とするものゆえ、神武の創生時代にはあるはずもなく、記紀編纂時代の8世紀の発想であろう。なんとなれば記紀編纂を指示した天武天皇が大海人という幼名や、ぬなはら・おきのまひとを諡号としているように、天武こそがそうした中華南朝の天文遁行に詳しいと書かれるので、まずそうであろう。また神武は創作された天皇祖人であって実在ではない。よって倭氏が神武時代に国造に任命されたというのも前倒し記事である。

実際には、大倭氏は大和にあった大和坐大国魂神社=のちの大和神社(祭神日本大国魂神、八千矛神 別記でのちにアマテラス、大物主とも)の祭祀者であり、平安時代までには倭の表記を大和に改姓、平安京遷都前に渡来してきた百済の一族に譲って、大和神社祭祀からも撤退している。(天武持統期に一時的復権があったか?アマテラス復権にともなって?またその後アメノヒボコを祭る出石神社の祭祀者となり世襲しているという)

珍彦の名は渦つまり海の渦潮を指しており、その姿も浦島太郎のような腰に箕を巻き、釣竿を持って舟で釣りをしていた。その場所は『古事記』と『日本書紀』で違っていて、豊後水道とも瀬戸内の垂水あたりにあった瀬戸の海峡であるともいうが、海人族である限り、そのどちらでもかまわない。広く太平洋側から瀬戸内海を往来していた海人族であろう。


日本大国魂とは在地神、地主神で、桜井市の大市=纒向〜磐余あたりまでのもともとの神という意味。だから三輪山の神大物主とはほぼ同じものと見える。崇神紀に、宮中に置かれていた大物主と大国魂の神霊をそれぞれよそへ祭ったとある。大国魂については垂仁紀にさらにダメ押し記事がある。要するにアマテラス同様に旧い神が新しくきた人々にとって祟りなす、不要な存在になったからと言える。それはつまり邪馬台国時代の神が追い出され、中華思想の神が入ったことを明白に示している。アマテラスは天武・持統時代に復権できたが、ほかの二神はその後省みられなくなったのだ。









祖人と本貫地
「「倭田」・「和田」と呼ばれる[1]。吉備国?。豊国?。穴磯邑大市長岡岬(大和神社旧社地)?。大和国城下郡大和郷、現在の奈良県天理市?。6-7世紀には磯城・十市地方(奈良盆地東部)も支配していたという。

大和坐大国魂神社(やまとにますおおくにたまじんじゃ)。つまり、大和神社。あるいは、大和大国魂神社。斎主だった皇女渟名城入姫は、髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなり、崇神天皇7年(紀元前91年)に倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受け、垂仁朝に市磯長尾市が倭大国魂神を祭って創建された。」Wiki倭国造

※「わだ」は『日本書紀』では「曲田」と表記され、『日本書紀』編者は明確に本貫を輪田泊=神戸市兵庫区であるとしてあると考えられる。曲った湾を「わだ」と呼んだ地名で、遠景が、湾どが極端に湾曲していて輪のようだと感じた地形をそう言った地名である。いわゆる「筒」などと同じような地形。

WIKIの本貫地は不足していて、『日本書紀』に従えば最有力地は播磨の大輪田〜灘(なだ)ということになる。おそらく西からやってきてここを近畿最初の本拠地としたことは間違いなかろう。それ以前が『古事記』の言う豊後水道だったでいいと思う。ただし『古事記』は臺與〜吉備を押している。つまりそういう経路で来ましたよということである。




イメージ 5


海人族であれば、天武直前までには、すべてが海部の管轄化に置かれたはずである。つまり尾張氏、海部氏などと同族とも言われるが、むしろ日下部のような扱い方をされた可能性がある。というのは1世紀から3世紀を経て、5世紀頃の古墳時代前期末まで、彼らは高い地位にあったのが、天武期をのぞくと次第に目立たぬ存在となり、平安時代には祭祀者としてしか名前がでぬ存在となったからである。このことから、3世紀に彼らが邪馬台国に仕えた貴族階級だったのが、狗奴国に敗北することで前方後方墳の西求女塚へと転進し、それゆえに、やがて有史時代になると大和朝廷に煙たがられ始めたとする意見もあるだろう。そういう存在が大倭氏である。

黒塚古墳被葬者も?
瀬戸内海の播磨から摂津にかけて、彼らのものではないかと思われる臨海・臨河川大古墳がずらりと並ぶ。時代は古墳前期末すなわち3末〜4世紀のもので、前方後円墳や前方後方墳が入り混じって存在する。その列は、猪名川で河川に沿って内陸へ向かうほか、瀬戸内沿岸に沿ってやがて摂津へ向かい、神戸の五色塚、灘の西求女塚、東求女塚、処女塚、猪名川古墳群、そして摂津淀川をさかのぼって直弧文のある鹿骨製の腕輪が出た紫金山古墳(前方後円墳)、高槻市の安満宮山古墳(長方形墳)へと続いてゆくのだろう。最古的な巨大古墳としては奈良纒向の黒塚古墳まで遡れるか。つまり彼らはそういう最古級の氏族であろう。そしてそれが九州の東海岸にいたと『古事記』がしていることは大事である。なぜなら豊前・豊後は海部だった大分君がいた土地だからだ。豊前海岸部に多くの方墳があることは忘れてはなるまい。そこが大倭氏のふるさとだったかも知れないのだ。豊後水道の佐賀関に椎根津彦神社と早吸比売神社がある。おそらく『古事記』記述に沿ったものであろう。
一方、兵庫の灘には生田川沿いに生田神社がある。

播磨だけではなく摂津三島も含めて、そこが3世紀から倭一族の根城だったことは間違いあるまい。それが邪馬台国播磨説の背景である。ただし卑弥呼の墓にしたければ前方後円墳である東求女塚のほうがふさわしい。なぜなら九州における「卑弥呼の鏡」とおぼしき内向花文鏡が出ている。この鏡は太陽信仰があったことを教える鏡で卑弥呼に最もふさわしい鏡である。残念ながら、少年が発見した獣帯神獣鏡では、太陽をつかさどるアマテラスを祭る巫女王のデザインにならない。ただし、大和神社伝承の巫女王たちと伊勢神宮ヤタノ鏡が内向花文鏡であること、箸墓伝説などなど、すべてが太陽神アマテラスに関わるため、すべてを否定することはできない。むしろ、九州の海部の巫女王国と大和の巫女王国がいよいよ深い関係にあったことの証明とするほうが前向きな考え方ではないかと筆者は感じる。








なお、倭氏の大和での祖である長尾市の「いちし」は地名で市磯。いわゆるここに神武の名になるイワレ池gふぁあって、彼らはそこを根城として水の祭祀をしていた氏族である(辰巳和弘『聖樹と古代大和の王宮』2009)。つまり倭氏は磐余最古の氏族であり、神武東征譚は彼らの東征伝承であり、これといってほかになんの記事もない磐余という土地と神武諡号のイワレをつなぐ場所なのである。





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日本列島は北東アジア大陸が切り離されて生まれた



2000万年前     1600万年前    1500万年前    1000万年前
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約1000万年前のできあがったばかりの日本列島は、西日本と東日本の合体でできあがったわけだが、そのおりに、西と東では向きが違ったので、地軸の向きが違う方向を向いていたらしい。現在は西日本も東日本も同じ真北を指しているけれど、当時は一時的にだが西日本は真北を指していたが、東日本では磁石の針は北西を指していただろう。


西日本のほとんどは、極東大陸断片からできていた。東日本はそこへ、同じ極東アジアの西日本断片部よりも、やや北側にあった部分が、回転しながら離されてきて、実に偶然に、ぴったりと、今のフォッサマグナ(地溝帯)の部分に合体する。

列島が大陸から切り離されたのは、これまた実に不思議なことに、日本海溝のプレート沈み込みによって、西に押されているはずの北米プレートの上で、沈み込み帯の地下での巻き込み作用によって、反対の東へとひっぱられる力があったからだという。

さらに、これも奇跡的だが、太平洋プレートに食い込むように、南からフィリピン海プレートが北上。そこに乗っかっていたのちの伊豆諸島、小笠原諸島が含まれる島弧が、二つに縦に割れてマリアナ島弧を生み出しつつ、二列並んで今の位置へと移動。そこから伊豆・小笠原島弧列が、西へ沈み込む太平洋プレートによってどんどん相模湾へと近づいていった。しかもこれが比較的軽かったために、日本海溝へ引きずりこまれずに乗り越えて静岡に追突してしまうという偶然も重なる。

この追突が富士山、浅間山、日本アルプスなど、日本有数の山脈を形成。相模湾から越後地方を大地震発生地としていった。


そうした、まるで記紀神話の日本創生話や出雲国造り神話のような、合体してきた島々のことを付加体と呼び、現在の地質の相違が、すべてを物語る。


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NHKスペシャルでは、日本のサクラ、ソメイヨシノの誕生について言及し、伊豆諸島自生種の大島桜と、極東固有のヤマザクラとが自然交配したことをあげていた。おおまかにはそうなのだが、ソメイヨシノは人間の交配によってできた品種である。しかしながら、伊豆諸島が乗ったフィリピン海にあった島弧が、列島に付加されなかったら、ソメイヨシノも生まれていなかったかも知れない。




伊豆半島付加ののち、最後に房総半島が付加されて日本列島はほぼ完成された。



この列島移動の最中に、フォッサマグナ、中央構造線などの陸上の断層である地溝帯も生まれ、伊豆半島追突では二つのプレートの寄り集まった部分=相模トラフが生まれ、さらにそのトラフは関東平野さえ生む原動力となった。海中では、大きくは、日本海溝、マリアナ海溝という太平洋プレートの沈み込み帯は大陸から大きく東へ遠のき、さらに遠方に、太平洋海中のプレートが押し上げられて断裂する海嶺(かいりょう)が誕生。そして日本列島のすべてが、ハワイ、アリューシャン島弧から続く巨大なリング・オブ・ファイアー(火山島弧)の一部に組み込まれたたのである。そのときから、地球内部のマグマ活動を生み出すマントルの突き上げや、火山噴火、それにともなう多くの活断層も列島に生まれ始めた。地震大国日本はまさにそうなる宿命を背負って生まれた島なのだ。








こぼれ話。
大和三山のうち、天の香具山以外の二つの小さな山も、実は火山活動によって誕生した小山である。だから耳成山と畝傍山は実は火山だ。山ができるには、火山活動による隆起と、プレートそのものの浮力現象による隆起がある。日本の多くの山が火山であるあることを知っておくほうがいい。活動していない、あるいは火山のはずがないと思っている山が、実は休んでいる火山であると、子々孫々の安全のためには、思っておくくらいでちょうどいいだろう。



なお、地震の原因仮説は、先に書いて来た変動地形学からの立場と、地質・地震学からの立場の二種類があることも知っておいて欲しい。つまりひとつだけの要因で地震が起こるわけではないということである。もちろんマントルの流動性の変化が、温暖化に左右され、流動性が高まれば、地震も増える。やはり温暖化と地震には因果関係があることを、世界の指導者がちゃんと知るべきときである。そうしたことに比べれば、今の国会でやられているような内容は、まさに小儀であることに国民全体も政治家も、経済人も、早く気付くべきではなかろうか?



どの学者も研究家も、論をものするときには、いつもこうした大儀の結論を用意しておくべきだと思う。
千年後、一万年後のすべての人類子孫のためにも。











































もうひとつ言い忘れ。
恐竜の生きていた時代は一億数千万年前なのだから、今、列島で発見される恐竜の化石は、そもそもは極東アジアの東のはじっこを歩いていて死に、化石になって、2000万年ほど前になって動き始めた列島に乗っかってきて、今の場所から出るということになる。日本列島を歩いていたわけではないのだ。そういうスパンのものが恐竜なので、現代に生き残ったなんかもうまったくお話にもならないばかげた冗談だとわかるはず。



なおプレートを持つ惑星は、今のところ太陽系には地球しかないという。



  



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しばらく夏休みをとっていました。
お久しぶりです。

NHKスペシャル見ましたか?面白かったですね。
ちょうど今、地震について読んでいる神戸大学の巽先生が出ていたので共感、理解が多く、楽しめました。来週が楽しみです。






生命の起源は隕石にあり? 
過去の隕石説
 「東北大学理学研究科古川善博助教らは、物質・材料研究機構小林敬道主幹研究員、広島大学大学院理学研究科関根利守教授と共同で、生命誕生前の地球の海洋に隕石が衝突する(図)際に起こる反応を模擬した実験を行い、無機物からDNAおよびRNAの構成物質である核酸塩基(シトシンおよびウラシル)や、タンパク質の構成物質である種々のアミノ酸が生成することを明らかにしました。

 核酸塩基はDNAとRNAの両方で合計5種類しかなく、遺伝情報を伝える重要な文字として働いています。また、タンパク質を構成するアミノ酸も生命の起源に重要な物質と考えられています。これまでの研究では、無機物で構成される生命誕生前の地球では、核酸塩基の生成が難しいと考えられてきました。

 今回の研究では、生命誕生前の地球の海洋に鉄を含む隕石が衝突する過程を模擬した衝突実験を行い、生成物を分析しました。その結果、鉄、水、重炭酸、アンモニアなどの無機物から、衝突反応により、最大2種類の核酸塩基および最大9種類のアミノ酸が同時に生成することが明らかになりました。このことは、生命誕生前の地球における遺伝物質の新たな供給源を示唆しています。」
2015年8月18日 15:00 | プレスリリース , メディア掲載 , 受賞・成果等 , 研究成果
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2015/08/press20150818-03.html

2015年夏、宇宙から飛来した隕石の中にある隕鉄が、地球への衝突によって海の中の有機成分と反応してアミノ酸が生まれたという説が発表される。

そもそも18世紀からあった宇宙生命起源説
「パンスペルミア仮説とは、「宇宙空間には生命の種が広がっている」「地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」とする仮説である。

この用語は元はギリシャ語「πανσπερμία」で、「πᾶν」(汎)と「σπέρμα」(種、タネ)という語の構造になっている。「(宇宙)汎種説」「胚種広布説」「宇宙播種説」などと訳されている。この説のアイディア自体は元々は1787年ラザロ・スパランツァーニ(スパランツァーニも自然発生説を否定した実験で有名である)によって唱えられたものである。この後、1906年にスヴァンテ・アレニウスによってこの名前が与えられた。この説の現代の有名な支持者としてはDNA二重螺旋で有名なフランシス・クリックほか、物理学者・SF作家のフレッド・ホイルがいる。

アレニウスは以下のように述べた。

「生命の起源は地球本来のものではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が宇宙空間を飛来して地球に到達したものである。」」
WIKI生命の起源より


「人類が21世紀中に、地球以外の星で生命を見つける可能性は50%以上」
縣秀彦『地球外生命は存在する! 宇宙と生命誕生の謎』




その後、今年2017年に下記の最新説隕石衝突起源説が発表される。
もともと隕石には多数のアミノ酸が含まれており、一部は、地球上には存在しないもので、それらが地球の海底にある火山の噴気孔のような過酷な場所でDNA、ヘモグロビンを獲得し現在の生命の元となったという説。


「宇宙からの情報は、光や電波すなわち電磁波として地上で捉える情報ばかりではありません。宇宙に存在する物質そのものが、地球に落ちてくることもあるのです。例えば、隕石や流星、宇宙塵じんなどです。その隕石の中からも、微量ながらアミノ酸が検出されることがあります。

 隕石の中から初めてアミノ酸が見つかったのは、1969年、オーストラリアのマーチソンに落下した「マーチソン隕石」からでした。この発見により、宇宙から生命の素となる物質を地球に届けることが可能であることが証明されたわけですが、さらに宇宙空間では、生命活動とは別の化学反応によって、アミノ酸が合成される可能性も示していました。なんと、宇宙から落ちてきた隕石の中から70種類を超える地球外起源のアミノ酸が検出されているのです。」
http://www.gentosha.jp/articles/-/8159

「とても不思議なことに、地球上の生命体に含まれるすべてのアミノ酸は、左手型のアミノ酸です。アミノ酸を化学的に無作為に合成する際には、右手型になるか左手型になるかは確率の問題で、どちらかでなければならないという理由がないため、右手型と左手型は同数生まれます。

 では、なぜ、地球上の生命体は左手型しか利用しないのでしょうか。

 タンパク質を合成する際、もし、左手型のアミノ酸に右手型のアミノ酸が混じってしまうと、結合するときの向きが合わず、ペプチド結合した後、タンパク質の特徴である丸まった構造をとることができなくなります。そのため、左手型には左手型のアミノ酸、右手型には右手型のアミノ酸というように、ホモキラリティが同じタイプ同士を集めないとタンパク質の合成ができません。

 けれども、地球上で左手型のアミノ酸のみを形成することは不可能なため、宇宙空間で、ある条件の下に形成されたのではないかと考える研究者が増えています。」
同上サイト

「地球上の生命はすべて左手型のアミノ酸でできているということは前述の通りですが、なぜ、宇宙においても左手型が多いのでしょうか。

 2010年、福江翼氏をはじめとする国立天文台の当時の研究グループが、星形成の現場として有名なオリオン大星雲の中心部で、「円偏光」と呼ばれる特殊な光が太陽系の大きさの400倍以上も広がっていることを突き止めました。」
同上サイト

 「最近の分析研究によると、ごく一部のアミノ酸に対してですが、「アミノ酸対称性の破れ」が見つかっています。隕石の中では、左手型アミノ酸の方が右手型アミノ酸よりも少し多いことが確認されました。地球上の実験では、左手型と右手型はどうしても同数生まれるはずなのに、宇宙空間では偏ってつくられる可能性がある」










われわれの血液が鉄でできていることや、左手型アミノ酸で作られていることなどを考えると、この最新説にはなるほどと思わせる部分が多々感じられる。また精神面でも、宇宙の摂理そのものであろう神という概念を、われわれが捨てられないでいることにも合点がいくのかも知れない。

宇宙からやってきた鉄とアミノ酸と、地球のマグマが生み出す水と、アンモニアその他で生命は作られた。現在、この最新説を含めた三つの仮説(熱水噴出孔説、温泉説)が有力となって争っている。


なお、地球上の水はマグマの中に存在していて、今もそこからどんどん染み出ている。NHKスペシャル「シリーズ 列島誕生」(【出演】神戸大学 教授…巽好幸,劇団ひとり,指原莉乃,【キャスター】和久田麻由子)にも出ていた巽好幸もそう書いていた。(『地震と噴火は必ず起こる』)

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古代史のいい著作に出会うことが少なくなった。
そりゃあそうだ、山ほど読んでしまえば、いつかはそうなる。
それに地球史や宇宙史、生物史の本を読むようになったから、古代がつい最近のことのように感じ始めてしまった。テレビニュースが「宗像祭祀1500年」とか言っても、「なんだ、ついこないだのことじゃないの」と、不遜なことを思うようになってしまっている。こりゃあ、いかん。

歴史は人間の歴史でしかないから、日本史も世界史もせいぜいが1万年の単位。人類史は、30万年遡れば探求はおしまいである。生物史なら数億年あり、地球史で45億年、宇宙史、天文学なら無限である。

宇宙のはじっこはあるのだろうか?と、邪馬台国はどこだったか?を比べるとスケールが違いすぎる。

最近の記事を遡ってみたら、やはり古代史の記事が減っている。すると来訪者もうまい具合に減ってくれた。前々から多すぎるなあと感じてきたし、かつては何度か「来ないで」とも書いて来た。で、登録しているとろくなコメンテーターが来なくなるブログランキングから全面的に撤退したのがおととしだったか?あれから二年、一向に減らなかった来訪者が、近頃やっといくらか減っていることに気付いた。で、もう一回、一時的に実験と思ってブログランキングさんに登録したところ、確かにまた増えるが、あまり期待した優良読者が来ていたとも感じず、また削除。相変わらず視野の狭い、非科学的な、主観的な意見の持ち主だけがコメントしただけ。

タイム・スケールも、地域性も、彼らは自分の意見を聞いてほしいからか、絞り込んでいて、とても45億年の時間枠で、通過したひとこまとしての歴史を俯瞰したいぼくの興味の断片とは程遠い考え方。


地球や宇宙の始原から見たら古代史、日本史はほんの爪の垢ほどの時間帯でしかない。
ジュラ紀もあればカンブリア紀もある。なぞは山ほどある。


でも古代もまだまだ面白そうななぞはある。何かきっかけがあればまたマイブームに戻ってくるだろう。ご期待あれ。ある日突然、それはくるもの。科学や生物の本を読んでいるときにぱっと歴史のひらめきがある。だからいろいろ読んでおくほうがいいんですよ。
広く、広く、もっと広く。専門家じゃないんだから。




















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Last Universal Common Ancestor (LUCA)=全生物の最終共通祖先
プロゲノート:遺伝子型と表現型の対応関係の成立していない生物
コモノート:環状のDNAを持つ遺伝の仕組みが成立している生物
センアンセスター:上記二つとは異なり、各遺伝子の系統樹分岐パターンの違いを含めた曖昧な共通祖先を意味する概念的な生物
などが現在認識されている。





それぞれ生きていた世代を異にするとも言われるが、それぞれの世代の共通祖先である。ここではわれわれすべての生物の祖先とされるLUCAを扱う。Wiki共通祖先はLUCAを扱っていないゆえ。

LUCAとされる生物は小さな細菌類で、決して地球最初の生物というわけではない。LUCAが生まれたときには、地球誕生からすでに5億年ほどの月日がたっており、それまでにほかの先輩細菌たちはすでに生まれているが、すべて死滅した。LUCAだけが子孫を残せたのは、DNAを持っていたためである。このDNAがわれわれすべてのその後の後輩たちに受け継がれた。だからLUCAは最終共通祖先のことである。(更科功2016)

なぜ生命が地球に生まれたかのノウハウは、実はいまだにわかっていない。古い仮説では、海の潮溜まりで濃縮された海水が、かみなりの電気を受けるとアミノ酸に変化したという、かつてはもてはやされたもの(ミラーの仮説)があるが、今は、アミノ酸そのものが宇宙から隕石に乗ってきたなどもあり、そもそもひとつのアミノ酸からだけではたんぱく質が生まれないということがわかっている。

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ミラーのアミノ酸生成装置


ミラーは実験気体にメタン、アンモニア、水蒸気、水素を使ったが、初期の地球の大気は、ほとんどが水蒸気と二酸化炭素、それにわずかに窒素は含まれていたが、ミラーの使った気体は酸素還元物ではない。単独の物質が材料では、なかなかそれが偶然全部集まること自体難しいことになる。ミラーが作り出したアミノ酸はグリシン、アラニン、アスパラギン酸の三種類ほどだったが、当時はそれは奇跡的だといわれ、多くの学者も真似をして同じ結果を得る。しかし上記異論が主流となり、こうして生命が浅い海から生まれるという説は消えていった。筆者が中学生の頃読んだ本から得ていたミラーの実験と説は知識はだから一旦、脳裏から抹消せねばならなかった。




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今は、生命は地下で生まれた、あるいは特に、海底火山の噴出す炭化した二酸化炭素のそばで生まれたなどの仮説が有力である。いわゆる熱水噴出孔である。よくテレビでアメリカの海洋探査潜水艦アルビン号の探検で、チューブワームとかシロウリガイとか、シンカイヒバリガイのような、特殊な生物のいくつかを見た人もいることだろう。色素や目がない真っ白いカニや海老。あれがいる場所である。英語ではブラックスモーカーと呼ばれる熱水噴出孔である。あるいはもう少しゆるやかな場所、ロスト・シティと呼ばれる噴出孔が最近では、生命誕生の最適地ではないかとされている。

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DNAを持つためには生物はたんぱく質を持つ必要がある。そのために複数のアミノ酸が最初に必要。そういう場所として火山からの熱水噴出孔付近は最適だと言う。詳細は非常に難しいからここでは省く。とにかくそういう酸素が少ない、二酸化炭素の多い場所でLUCAが生まれたとすれば、彼がDNAを持つに至った説明がしやすくなるらしい。

しかし熱水の中はすごく高温。となるLUCAたちは、高温適正能力を持っていたことになる。これを好熱菌と呼んでいる。100度以上の高温でも生きられる生物。もちろんそういう細菌はちゃんといる。そして同時に、彼らは非常に冷却にも強かったのではないかとも筆者は思う。そうでないと何度もの全球凍結は生き残れない。そういう細菌は温泉の中でも生きられる。それで細菌学者はよく温泉地にいる。


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グリーンランドのイスアという場所の、38億年前の地層から細菌が見つかっている。それが最古の地球生物である。硫黄の同位体が軽いために硫酸還元菌だと推定された。その地層はかつての深海であり、熱水噴出孔だった。深海には太陽光が届かないから、光合成ができない。そこで生き抜くには化学物質からエネルギーを取り出すために化学合成をしなければならない。熱水噴出孔から噴出しているのは硫酸や硫黄である。だから硫酸還元菌(化学合成細菌でもある)には理にかなった誕生地だったという。

どうやらわれわれの祖先は、そういう劣悪な環境から生まれたらしい。金属を含んだ硫酸の海の中で。



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参考文献 
更科功『宇宙からいかにヒトは生まれたか』新潮選書 2016
酒井 均『地球と生命の起源』講談社ブルーバックス(1999)
丸山茂徳・磯崎行雄『生命と地球の歴史』岩波新書(1998)
大島泰郎『生命は熱水から始まった』東京化学同人(1995)
長沼 毅『深海生物学への招待』NHKブックス(1996)
参考サイト 生命は海底の熱水噴出孔から生まれた?文:長沼 毅
http://home.hiroshima-u.ac.jp/hubol/biosphere/deepsea/hydrothermal.htm
LUCA 全生物最終共通祖先
https://matome.naver.jp/odai/2146995344296005001

生物史から自然の摂理を読み解く

熱水噴出孔生物画像

Wiki好熱菌

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