川越古文書同好会

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11―1
水野越前守殿御渡候御書付写壱通相達候間、
被得其意無遅滞順達、留ゟ神尾方
可被相返候、以上
五月廿六日
            大目付
御名殿
松平讃岐守殿
酒井雅楽頭殿
酒井左衛門尉殿
松平隠岐守殿
小笠原大膳大夫殿
松平越中守殿
松平下総守殿
右留主居中 


11―2
大目付
近来在方浪人者抔を留置、百性共武芸を学、
又ハ百性同士相集稽古致候義相聞候、農業を
妨候計ニ茂無之、身分をわすれ気かさ成行    ※気かさ:気嵩
候得、堅く相止可申候、勿論故なくして武
芸師範致候もの抔、猥村方へ差置申間敷候
一百性共之内江戸町方火消人足之身躰をまね、
出火に事よせ大勢ニ而遺恨在之者之家作・家
材を打こわし、或ハ頭分と唱ひ組合を立喧
嘩口論を好候もの共在之由、甚以不埒之事
候、急度相慎惣風儀を宜く可致候
右之趣村役人共常々申教、無作法之者無之
心を附可申候、若相背候者ハ召連可訴出候、
右之通文化二丑年御勘定奉行ゟ関東内領
分・知行有之面々家来呼出申渡置候処
近来猥相成、心得違之者有之哉相聞如何
之事候、此上右申渡之趣相背候もの在之おゐ
てハ、当人ハ勿論村役人共迄急度可申付条、関
八州御領ハ御代官、私領ハ領主・地頭ゟ厳重
可被申渡候
五月
右之通可被相触候 


12―1…天保10年
水野越前守殿御渡候御書取写壱通相達候間、
被得其意、答之儀土屋紀伊守方へ可被申聞候、
廻状無遅滞順達、留ゟ紀伊守方へ可被相返候、以上
五月廿一日       大目付
御名殿
松平讃岐守殿
松平右京大夫殿
酒井雅楽頭殿
右留主居中 


12―2
大目付
松平加賀守始御由緒柄之面々、吉凶共
御本丸届差出候分、向後西丸も届差出候様
寄々可被達置候事



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2017年7月 配付№3
 渡辺刀水収集文書 №38
 
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此度賜爰許之城地
本望至極難有仕合候、
去ル十三日令城着大慶
之事候、何召呼目見も
申付度候得共、何分不任
心頭候、随分無難
罷在候
一爰許屋敷不足付、何
引越及延引気之毒
之事候、尚爰元おひて
申聞候趣可得其意候
 
※去ル十三日…明和5年5月13日江戸発駕、申中刻着城
川越市立博物館発行「松平大和守記録1」16頁参照
※この写が、「松平大和守記録1」19頁
五月十九日③に「御直筆」として掲載されている。
 ※「心頭」…「松平大和守記録1では「心底」

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2017年7月 配付№2
 渡辺刀水収集文書 №37
 
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先達一統申聞候通、
爰元屋敷不足故、城地
拝領之節、家中之義追々
引越候様蒙
仰候得共、永々前橋へ差残候
、政事相障、下に
おゐても迷惑之義旁
差当当惑之事候、仍
段々吟味申付候所、不足之
分多候付新地相改相
作事申付、一統屋敷
遣候筋相渡候様可致候、
しかし入用相懸候事故、
存候様難参、外いたし方
無之、弥倹約を専いたし、
少たりとも追々果敢取
候様申付外無之、夫
、此節諸事何角釣合・
意味合出来易砌
、諸事勘弁致し
可相勤義専要之事候、
当時之趣取計候
やう、勝手向必至
差つかへ、家中扶助
行届かたく様相成候
対不本意不及申、
一躰不相済事候得
万事相しのひ相勤候段、
此節肝要存候、此段一統
末々まて相心得候様可
申聞候
番頭・組頭并物
頭共之儀、大勢を取
扱候儀、別右之趣相心
得候様致へく候
 老中
 年寄
 
※川越市立博物館発行の「松平大和守記録1」22頁
明和五年六月朔日にこの写が「御直筆」として掲載されている。

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9―2(つづき)
右之通文政九戌年相触候処、近来武家屋
敷或ハ海手等ニ而相図之火同様之花火たて候
義も有之哉相聞、如何之事に候、前之触之趣
無遺失可被相守候、若此以後不相用候ハヽ、急度
御沙汰も可有之候間、其旨可被相心得候
右之通向々可被相触候
五月
追啓御嫡子方江茂可有通達候、以上
 
10―1…天保10年
水野越前守殿御渡候御書付写壱通、御同人御
口達書壱通相達候間、被得其意御同席中
不残様無遅滞早々可有通達候、答之儀ハ先々
従銘々不及挨拶、各ゟ丹羽近江守方へ可被申
聞候、以上
五月廿五日       大目付
酒井左衛門尉殿
留主居中
 
10―2
大目付
尾張殿尾州家相続被 仰出候付、明後
廿七日染帷子・麻上下着用、四時
御本丸・西丸江惣出仕、御祝儀可申上候
但西丸出仕并使者差出候義ハ、先達
達候通可心得候
一在国・在邑之面々、拾万石以上ハ使札、其外ハ以飛
札御祝儀可申上候
但隠居・幼少・病気之面々ハ
御本丸・西丸月番之老中・備中守宅江
以使者御祝儀可申上候、在邑之隠居ハ
可為飛札候
右之通可被相触候
五月廿五日
 
※天保10年3月27日 田安中納言斉荘(なりたか)尾張家相続
※備中守…堀田備中守、右大将付老中
 
10―3
大目付江口達之覚
亀五郎殿御病気之処、養生不被相叶、昨夜
戌上刻逝去候、右ニ付御機嫌伺ニ不及、普請・鳴物等
御構無之候、此段向々江可被達候事
 
※亀五郎…12代将軍家慶の10男、母は側室お筆(殊妙院)、天保9年(1838)〜天保10年(1839

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2017年7月 配付№1
 渡辺刀水収集文書 №36
 
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前橋城川欠付見分
相願候処、今般別段之
思意を以、川越之城地
拝領いたし、別本望之
事ニ候、右付城請取之
人数引越申付候、道中
を始、あの表おひても
勢ひに乗し不申候様
可致候、聊たりとも異様
成趣ニ而者、江戸近処之
候得、無思之風聞も
不宜、不本意之事候間、
物毎質素相心得
可相勤候、次ニ者あの
表屋敷不足聞候間、
段々引越可申付候、当時
前橋表差置候者共
之義、猶更心を付不
慎無之様可致候、右之
趣意、若心得違於有之ハ
急度可及沙汰候、此度
堀中左門差戻候
先申達候、猶追々
可及差図候、此段一統
可申聞候
十一月
老中
年寄
 
※推定時期…明和4年(1767)、川越移城決定(9月)の年
※堀中左門…宝暦14年(1764)9月1日年寄〜
寛政6年17947月5日依願(席年寄次)

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