川越古文書同好会

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2018年6月 配付№1
 渡辺刀水収集文書 №7

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(表紙)
「 覚帳
寛政十戊午中夏制之 」       ※寛政十戊午年(1798

去冬以来之形合之処、落合も宜、殊保養筋迄も心入
申出満悦安堵之事候、何レも無事相凌可罷在候、此旨
皆々へ可申聞候
番頭始役々之者、表居間へ呼寄、弁て如此
申聞ル、委細表帳可有之
寛政九巳ノ四月朔日            ※寛政九丁巳年(1797
具(ヵ)方共積年深切有之、其上此度勝手向改正而者
何レ実意世話いたし呉候段、厚満足思候、
以後共何分相頼候、依此品遣候
  近江ヤインキヨ
高畠(間?)伝兵衛  飯嶋喜  橋本清右衛門  石橋弥兵衛
いせヤ       出雲ヤ
三郎右衛門  弥太夫
右之者共別段之訳
表居間並ハセ置罷出申聞ル
尤典膳出席也、典膳うへゟ目通り
目六相渡ス
寛政巳四月九日
近江ヤ     弥平弟
喜左衛門  石橋栄蔵九日不参付是又別日
同様之取拵て申聞ル
真寿庵之義、是又別日に
表居間へ相招振舞吸物成ル相伴ス、其時
右之意咄うつり厚申述ル
尤典膳出取持ス 四月八日ノ様覚ユ

※典膳=蟹江典膳…年寄






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32―1
水野越前守殿御渡候御書付写壱通相達候間、
被得其意無遅滞順達、従留初鹿野河内守方へ
可被相返候、以上
十一月十二日       大目付
御名殿
松平讃岐守殿
酒井雅楽頭殿
酒井左衛門尉殿
松平隠岐守殿
小笠原大膳大夫殿
松平越中守殿
松平下総守殿          ※写真はここから
右留主居中
 
32―2
大目付
通用銀之儀、去々酉年吹直被仰出候処、一躰
通用不足之由相聞候間、壱朱銀([吹方差止通用銀]脱)吹直ハ勿論
尚吹増おも被仰出候条、其旨可相心得候
右之趣国々可触知者也
十二月
右之通可被相触候
追啓御嫡子方江茂可有通達候、以上
 
33―1
水野越前守殿御渡候御書付写壱通相達候間、被
得其意無遅滞順達、従留跡部信濃守守方
被相返候、以上
十二月十八日       大目付
御名殿
松平讃岐守殿
酒井雅楽頭殿
酒井左衛門尉殿
松平隠岐守殿
小笠原大膳大夫殿
松平越中守殿
松平下総守殿
右留主居中
 
33―2
大目付
一歳暮之為祝義、掃部頭・老中・若年寄中
被相越候儀、廿八日前勝手次第見合不込合様
可被参候
一年礼之儀元日ゟ七日迄之内、右何勝手次第
不込合様可被参候
附風烈之節ハ年礼可為無用候
一寺社之分も可為前々之通候、并町人・諸職人等も
可為同前候
右前々相触候通、供之者大勢無之様可被致候
十二月
 
34―1
脇坂中務大輔殿御渡候御書付写壱通相達候
間、被得其意無遅滞順達、従留神尾山城守
方へ可被相返候、以上
正月四日       大目付
御名殿
松平讃岐守殿
酒井雅楽頭殿
酒井左衛門尉殿
松平隠岐守殿
小笠原大膳大夫殿
松平越中守殿
松平下総守殿
右留主居中
 
34―2
大目付
武家屋敷内勧請之神仏他所之者参詣
為致候義、近来猥相成候趣相聞、如何之事付、
只今迄諸参詣為致来候分ハ格別、新規并中絶
共以来堅令停止候、且又只今迄諸参詣為致来
候分ニ而も、縁日等之砌門前屋敷構ハ勿論、最寄へ
立商人之類差置候義、決難相成候、若猥之義
於有之急度可及沙汰候
右之趣万石以上以下都不洩様可被相触候
十二月
 
35―1
松平伯耆守殿御渡候御書付写弐通相達候間、
被得其意御同席中不残様無遅滞早々
可有通達候、答之儀先々従銘々不及挨拶、
各ゟ土屋紀伊守方可被申聞候、以上
正月五日         大目付
松平讃岐守殿
留主居中

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2018年4月 配付№1
 渡辺刀水収集文書 №50
 
二曰不正之天気相候間、
折角御厭可有之候、右余
重便申出候、不具
一筆令啓達候、残暑之
節弥御無難、珍重
存候、於二本榎
御無事致御同悦候
爰元ニ而も無異罷
在候間、御休意可有
之候、毎度預御状、
且品々被贈下忝
存候、着後以来
御無音罷過候間、時候
御見廻申述度如此候、猶
期後儘之辰候、恐々謹言
松大和守
閏六月廿八日  直恒(花押)
松亀三郎殿
 
※推定時期…文化5年(1808)戊辰
※松大和守=松平大和守家6代直恒(なおつね)
※松亀三郎=同7代直温(なおのぶ)

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30―1
太田備後守殿御渡候御書付写壱通相達候間、
被得其意無遅滞順達、従留初鹿野河内守方へ
可被相返候、以上
十一月十九日       大目付
御名殿
松平讃岐守殿
酒井雅楽頭殿
酒井左衛門尉殿
松平隠岐守殿
小笠原大膳大夫殿
松平越中守殿
松平下総守殿
右留主居中
 
30―2
大目付
奥州道中白坂宿困窮付、人馬賃銭左之通可
請取旨申渡
去ル午十一月ゟ当亥十月迄中五ヶ年
之間、人馬賃銭都合三割五分増    奥州道中
申付置候処、猶又当亥十一月ゟ来ル    白坂宿
辰十月迄中五ヶ年之間、是迄之
通三割五分増
右割増銭申渡間、可被得其意候
右之通向々可相触候
亥十一月
 
31―1
脇坂中務大輔殿御渡候御書付写壱通相達候間、
被得其意御同席中并御嫡子方江茂不残様
無遅滞早々可有通達候、答之儀ハ先々従銘々不
及挨拶、各ゟ跡部信濃守方へ可被申聞候、以上
十二月二日         大目付
松平讃岐守殿
留主居中
 
31―2
大目付
和泉守卒去付、国持衆表向之面々、掃部頭・老中
明三日以使者御機嫌可被伺候事
但伯耆守・大炊頭・備中守宅使者被差越
不及候
一雁之間詰・菊之間・縁頬詰・諸番頭・諸物頭・諸役
為伺御機嫌明日四時可有登
城候事
大御所様 右大将様江者
御機嫌伺不及候
一在国・在邑之面々ハ飛脚を以 御機嫌可被相
伺候事
但伯耆守・大炊頭・備中守江者飛札被差
越不及候
一鳴物今二日ゟ四日迄停止候事
但普請不苦候
右之通可被相触候
十二月二日

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2018年2月 配付№1
 渡辺刀水収集文書 №47
 
出立前可申置存候
無其儀付、心付之趣左
申入候、別之儀も無之
其地罷在候内拙者酒 
給候折から被参合候へ
給られ候様も申候事も
折々候得共、相考候へ、若キ内ハ
不被相用方存候間、
年比ニ茂被相成候迄
禁酒同様被致、祝式之事之
節なと其為被相用候
御無様に存候、
少しつゝも相用習候処
より自然好む
やめられぬもの有之候
若キ中謹慎之第一
有之候、都過之出来候
此事候、拙夫も相好候
身分て申入候も如何之
も可被存候得共、只今
下戸之取拵
致置候、若キ時分専ラ
内外共不相用候、此段
申落候間、序付申入候、
呉々被相慎候様存候、
右之趣八兵衛並附両人之
も、御自分目当
相成候間、申付置候、以上
大和守
閏六月廿八日
亀三郎殿
 
※推定時期…文化5年(1808)戊辰
※八兵衛=里見八兵衛…奏者番列若殿様御傅
※大和守=大和守家6代直恒(なおつね)
※亀三郎=同7代直温(なおのぶ)
寛政7年(1795)2月4日 川越生れ

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