新、愛知限定歴史レポ

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東枇杷島 清音寺

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“張名所図会「琵琶嶋の故事」

∪恐算門前の説明板

清音寺全景

せ殻腓稜魑鴇瓦

ダ恐算本堂

山門前の朝露に濡れたアヤメ

 松峰山清音寺 曹洞宗
名古屋市西区東枇杷島町26番

師長が赦されて帰洛の途についたとき、契り会った
村長横江某の女、槐女は深く別れを惜しんで、土器の里
(現、枇杷島町字土器野新田)まで師長を見送った。
師長も護本尊薬師如来と、日ごろ、手馴れ持った
白菊の琵琶を形見として槐女に手渡した。

槐女は悲嘆の末
「四つの緒の調もたえて三瀬川沈み果てぬと君に伝えよ」
の一首を琵琶の甲に書きつけ、傍の池に身を投じた。
それより、
村人はこの池を琵琶池と称したと伝えられている。
師長は女の為に一宇を営んで菩提を弔ったのが、
清音寺の起源だといわれている。
寺号は槐女の法号「清音院松月麗照大姉」によっている。
始めは天台宗であったが、永正年中(1504〜21)に正眼寺
(小牧三渕)八世宣叟曇周大和尚が中興の祖となり、
その時曹洞宗に改宗した。
本寺は美濃路が開設以前は枇杷島村の本郷があった、
現在地より北600m程の所にあった。
御嶽山の開山覚明行者もかって、この寺で法周和尚の
もとで、剃髪したといわれている。
現住職は浅野泰弘氏。
この項、昭和58,7,25,愛知県郷土資料発行
「西区の歴史」より引用出典

此方の高齢の住職さん会いお話を伺ったのですが、
境内には何も槐女に縁のものはない。
本堂には軸があるが相当古くぼろぼろで広げる事が
困難だそうです。
琵琶池跡をお尋ねしましたが位置は不明との事。
庄内川の西、枇杷島の地ではなにかゆかりの史跡が
有るそうです。

西崎みどり14歳頃の「旅愁」おまけリンク
http://www.youtube.com/watch?v=Q7TvSKJKLRk 

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