新、愛知限定歴史レポ

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景清社と社宮司社

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yahoo地図熱田区神宮2付近地図
景清社、社宮司社追加

↓き
前回紹介の蓬莱陣屋の北方100mの
熱田区神戸町402番地に「景清社」の説明板がある

平家の武将・平景清は平家が壇ノ浦で壊滅した後
ゆかりある熱田へ身をかくしたといわれる。
熱田には清盛の継母 池禅尼の屋敷があった。

その景清の宅跡と称するものが三ヶ所あります。
一つは熱田神宮の唯一つ朱色の社、南新宮社の北。
いま一つは、尾頭橋より東へ一町ほどのところを、
北へ入る町屋の西角。
もう一つがここ神戸町。

景清がこの地へきたのは、彼が、尾張国司・平宗清の
子であるからとするもの、大宮司季範の伯父で
あるからとするもの、あるいは妻の小野姫が季範の
娘だからという説などいろいろある。

謡曲「景清」では「尾張の国熱田にて遊女と相馴れ
一人の子を設く」とあり、熱田に隠れ住んで居た時
神戸町の遊女との間に女児をもうけたという。
その子は景清が病に倒れた時、両眼を失明して不幸な
父のため遊里に身を売って父を看病したと伝えられる
そのため神戸町の景清社は、眼病の神としてあがめら
れています。
この項、「熱田区誌」より一部出典引用しました。

また熱田神宮には、脇差「痣丸」(あざまる)なる
愛知県指定文化財の刀があり、この刀は、源頼朝暗殺
を企てた平家の遺臣悪七兵衛景清の所持・奉納と伝わる

景清の顔にあった痣が刀身に写ったため「痣丸」と
称するという。
「信長記」によると、信長美濃攻め折、時の大宮司
千秋季光がこの「痣丸」を帯びて出陣したが戦死し
後に陰山掃部介から丹羽長秀の手を経て再び熱田神宮
に環納されたもので、社伝では、伯耆安綱の作とも
吉備前助平の作など言われる。
熱田神宮宝物館で来月展示予定だそうです。

景清社から西北150mの須賀町の興禅寺の南沿い
道路の角に
ΝЪ匍椹兵劼噺世社があり、地元では、
「おしゃぐりさん」と呼ばれた。

このお宮の土中に枕ほど石が頭を出していたという。

ここにお参りする人は船頭さんとか漁師さんの船に
関係する人達が海難除けに、信仰がある。


社宮司(おしゃくじ)信仰は、道祖神像や自然石で
村の境に設置し外敵や厄病から村人を守る、里村に
ある「塞神」(さいのかみ)信仰ですが
名古屋では此処の他に中村区烏森の妖怪のレポ時に
UP済ですのでご覧下さい

Л禅養寺の「おしゃくじ」リンク
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/41073253.html


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