新、愛知限定歴史レポ

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)拈邯耄誘兇ら白鳥古墳を望む
 

古墳の西側に小さな公園があり、ここから
 墳丘がみじかに観察できます。


説明板
に迷Δ慮絮濾墳丘。

ト張名所図会(絵)「法持寺 白鳥陵」

Α崘鯆燦妬墳丘測量図、埴輪実測図」
А嵋〇寺白鳥御陵出土品写生帖摸写」

前回の誓願寺レポに地図が有りますが、堀川の
御陵橋東側の、熱田区白鳥1丁目2-17の法持寺

ここは3年程前、訳有り石シリーズの残り石レポで
一度訪問済 下記にリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/38491395.html

ここのお寺の西に隣接する白鳥御陵と言われる、倭武尊
白鳥伝説が伝わる全長約74mの前方後円墳です。

(倭武尊白鳥伝説=倭武尊(やまとたけるみこと)が
伊吹山の悪霊に倒され大和の帰り道に足が三重に曲がり
伊勢、能褒野(のぼの)で亡くなり、その亡骸から
白鳥が飛出し尊の魂が白鳥と化して熱田に飛び来た、
降り立った地を白鳥御陵となずけられた)

(尊が伊吹山に旅たつ直前、熱田に残した宮酢媛と
 草薙剣を慕って尊の魂が熱田に飛んできた)


東に隣接する法持寺は尾張名所図の版画絵を見ても
判る、城郭の様に高い石垣をめぐらし、石段を登ると
門脇に高見薬師、子安観音、洗月院、月笑軒、梅萼院、
高岩院、大虚院、開山堂、僧堂、衆寮、庫裏と山門塔頭
が並ぶ大寺院でした。

(月笑院は明野町に移転、洗月院、梅萼院は現在も独立
 して残るが他は廃された)

(お寺の由来は上記リンクの法持寺の由来石碑にあり)
この大きなお寺も戦後山内の焼失整理と南隣「宮中学校」
の建設敷地に換えられました。

白鳥古墳は前方後円墳ですが古くは法持寺の守護神であり
またその管理下であったが明治のはじめ熱田神宮に移り
今は市の管理下にあります。

「尾張志」には「天保八年(1837)八月の大風にて陵上の
大樹吹き倒れ、土石を刎(は)ね返し、墳中より石槨の
縦4m横1,5m深さ2m、蓋石五枚が現れ、中に太刀、
鉾、異彩の品々、六鈴の鏡、九六九葉の子持斉瓶
(いはいべ)等、副葬品の数々が発見された記録がある。
これによって尾張氏のごとき豪族の古墳であろうと推定
された。

その時はそのまま元のごとく収められ、記録のみの残さ
れたが、最近の調べでは中の物は一物も残さず姿を
消していると云うことである。
この項、昭和52,12,29,衞掌轍亜‖拱呼家行史跡あつた
より出典引用しました。

白鳥御陵の出土品記録は写真の無い時代の手書きスケッチ
ですが、
名古屋守山の上志段味(かみしだみ)の六世紀古墳
「羽根古墳」に白鳥御陵出土品写生図11番須恵器の
同型筒型器台が出土し、写生図6番の六鈴鏡が、
守山緑地公園の北側五世紀「松ヶ洞8号墳」でも
同型の六鈴鏡が発掘出土してます。

これら名古屋の守山の古墳出土品から、熱田白鳥古墳の
関連は、守山上志段味地区の二つの古墳、四世紀後半
白鳥塚古墳、
六世紀白鳥第1号墳の白鳥を冠する古墳名があることから、
なんらかの、名称は後世の命名だが熱田と守山の関連
が発掘出土品類似が古代尾張氏と繋がる。


名古屋守山、上志段味の羽根古墳跡レポ
羽根地名地研究の1 下記にリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/20777092.html

上志段味白鳥塚古墳、白鳥第1号古墳レポ
名古屋守山、東谷山レポ 下記にリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/34724585.html


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