新、愛知限定歴史レポ

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梶田繁政新助城跡

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下街道を行く 番外 下市場地区の慈眼寺北に
戦国武将、梶田繁政(しげまさ)新助の城跡(石碑塚)が
有ります。

前だしの、春日井郷土研究会の「春日井の散歩道」
下街道、篠木・大泉寺編で「梶田繁政の墓」で紹介され

下市場町郷中の榎の下に小さな塚と梶田出雲守繁政の
五輪塔があります。
梶田氏は、繁政の父直繁の代に美濃の国、武儀郡加冶田村
(現在の岐阜県加茂郡富加町)からこの地に移住しました

直繁は一時、豊臣秀吉に仕え、永禄九年(1566)八月の
墨俣(すのまた)の戦いで手柄を立てました。
繁政の代になって、出身地の加冶田と同音の梶田に改め
ました。

繁政は関ヶ原の戦い後、福島正則に仕え、備後三原城
(広島)の守りにもつきました。
その後、春日井の下市場に帰り、その子は尾張藩に仕官
しました。
繁政は、慈眼寺の開基とも言われています。
以上が「春日井の散歩道」での記事で

他に同じく春日井郷土史研究会の「春日井の歴史物語」に

梶田繁政の系図などや、五輪塔に刻まれた梶田氏の経歴が
書かれていた。

他に春日井市発行新修 春日井市近世村絵図集の、寛政四年
(1792)子八月「下市場村」の絵地図があり、
青柳山慈眼寺の北に、梶田新助様石碑塚や
「此所梶田新助様城跡と申伝ニ御座候得共畑居屋敷ニ御座候」
が記入され、西側に現在と同じ位置に神明社の「神明」が
あります。

城跡探索時に、西側の平屋民家にこの舘城跡付近の遺構が
無いか尋ねようと訪れたら従来この様な古家からお爺さんや
お婆さんが現れるが、なんと青い目の外人さんが現れた、
外人さんだが、かまわず日本語で遺構が無いか尋ねてみた、

流暢な日本語で始めは、ボクワカラナイと返事をされたが
かまわず尋ねてみた、此処は城跡といわれる所ですがなぜ
此方に住まわれですか?・・・、実はボク春日井の〇〇
大学で英語を教える先生ですが、此方は余り詳しくは
ワカラナイ。此処には余り古くはないが名古屋育ちの
アメリカ人です、

此方にすんでいるのは大家さんより借りていて、ここは
古くは、向かいの屋敷の離れ屋敷、大家さんは近くに住ん
でいる、

古いスバル360が有りますねと聞いてみた、
ウン古いから置いてある、売ってほしいと言われたが
売らないョ、他にも日産の古い車を使っているョ・・と。

今回は城跡探索で外人に日本人でも若者は知らない車に
合い、不思議な感情にかられ、面くらい名前を聞き
そびれ城跡を後にした ????????・・・・・・・。

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