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前回の大泉寺町八幡神社の下街道を挟み西隣に、
鳥居が見え、斜め上に坂道の参道があり、下街道沿い
からは奥が見えない、
参道の坂を100mも上がると小さな神楽舞台と、
奥に小さいがしっかりした祠が見える。
背後には写真の様な石碑や二十二夜や御嶽神社の碑
など石碑が十基以上並んでいる。
その中にはさざれ石の様な鬼板や、御嶽信仰の開祖、
覚明霊神像の石碑もあります。
御嶽山を開いた覚明行者は、享保四年(1719)現在の
春日井市牛山町皿屋敷の百姓丹羽清兵衛(清右衛門)
の子として生まれ、長じて修験として修行のち、
四国の霊場を九回巡歴し、明和三年(1766)に高知県の
山中で法力を得て、覚明の名と鉦鼓石を授かって郷里
に帰った。
翌四年に岐阜県の恵那山に入り、その参道を開いた。
ついで、「信濃国の御嶽山を開け」との御神告を受け
黒沢村に行ったが、庄屋田中新左衛門らの大反対のみ
ならず迫害まで加えられた。
行者はこれに屈せずひそかに強力を雇い、参道の開さく
に着手したが中途、訴人のために福島番所に拘引二十一日
に及ぶ憂き目にもあった。
その後数年間は苦難の日々であったが、天明五年ようやく
大願を成就し、従来百日の重潔斎しか登拝を許され
なかったものを、七日の精進でよいとし、参道の開さく
も完成した。
しかし、翌々年ついに頂上二の池のほとりで大往生し
数奇な生涯を終わった。
彼はまさに近世おける山嶽仏教の復興者として大きな
貢献をした。
この項一部、春日井市教育委員会発行春日井の文化財
より引用してます。
この地方の神社には片隅に石を積み頂上に御嶽社の
祠をよく見ます、此方は御嶽社のみを祀る神社で、
下街道の山道入口部に有る神社で、背後の丘からは
南方の見晴らしよい神社で、御嶽山には足元にも
及びませんが、春日井の御嶽山に登頂した気分
(おおげさ)でした。
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