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春日井市大泉寺町の中部大学大泉寺学生駐車場と
国道19号線潮見坂の中間に、昔の善光寺街道が
現在も残り、yahoo地図でこの地区を見ると下街道と
出ます。
この下街道を、名古屋の大曽根ー守山瀬古から、
庄内川を渡り春日井の勝川ー柏井ー鳥居松ー篠木を
通り、大泉寺の八幡神社ー御嶽神社付近より緩やかな
上り坂になり、現在の中部大学の西側が峠となります。
この辺りが潮見坂で、昔は伊勢湾が見えたのでこの名が
付いたいわれてます。
現在伊勢湾はムリかも知りませんが、国道19号線を
南に向いて夜間走ると、春日井の夜景が素晴らしい。
①②yahoo地図春日井市大泉寺町中部大学学生駐車場が
あり、その西側の細道が下街道で、前回の御嶽神社より
下街道を北行およそ500mで、石原石材の変形Y字路に
出ます、
③④Y字路に「尻冷し地蔵」の矢印看板があるので、
右側の道を100mほどで途中、またY 字路があるが
みちなりの左の細道を進むと50mで、尻冷し地蔵の
駐車場に付く。駐車場は3台程の駐車スペースで、
右側に文政十年(1827)建立の高さ1.7m、一辺35cmの
徳本上人の筆による「南無阿弥陀仏」と彫られた
念仏供養塔があり、これは、名古屋城下の商人を中心
とした念仏講の人々によって建立されたものです。
⑤駐車場には尻冷し地蔵の由来説明板も建っています。
⑥⑦覆屋の内部は明るく、手前休憩室には椅子があり、
左側には付近の路傍の道しるべの石仏があり、左側の
磨耗が進んだ石仏には「左」小牧道、「右」坂下道刻印
⑧右側のこれも磨耗や欠け損がある馬頭観音石像には
「右」坂下、右上は欠けているが(左)はざ(ま)と読める。
⑨⑩覆屋奥に高さ1m余り、浮彫石像があり下部は常時
濡れている為、尻冷し地蔵とよばれる。
石像の右側に「為松柏永寿禅定門也」、その下部に
「正保四丁亥霜月廿日」の刻銘があります。
⑪以前は石像下部に清水が染み出していたが、付近の
開発により水源が絶たれ、現在は水道水で代用されて
います。
⑫右隣の広場は毎年八月二十四日地蔵盆には
子供相撲が奉納されている。
此方は現在、東側に中部大学があり、この前の細道を
時折車が通り、高校生の自転車の通行もあり、山中に
ありながら、江戸時代の寂れた街道筋とは思われない
界隈ですが、地元のご老人の話によると、中部大学が
出来る前は、この尻冷し地蔵の東側は南北に長い
水田で、それは淋しいところだったそうです。
此処から下街道は北にくねくねと下り、右側に三角形の
池があるが現在、葦で覆われている、昔は魚釣りが
出来たそうです。
現在下街道はこの先およそ400mで国道19号線と
平行に走りますが、右側に春日井市東神明配水場の
付近から西側は谷となっていて、下街道は現在の国道
19号線を沿うようにか、その西側を北に下り、現在の
国道19号線「坂下町6南」交差点の南側付近より、
東斜めに坂下町に進入していたようです。
尻冷し地蔵の簡単な由来
「昔、追っ手に追われて傷ついた一人の武士が口の
渇きを癒す為水を探して村人に尋ねたが、村人は
関わりを避け教えませんでした。
武士は仕方なくあちこちを探し、ようやくこの清水に
たどり着き清水を飲もうとした時、不運にも追っ手に
討たれてしまいました。
それをみた村人は「申し訳ないことした、わしがすぐに
教えていたら逃げ延びることができたのに」と嘆き
悲しみ、武士の霊を慰める為に、その清水の上に、
地蔵像を建てたというもです。
明治の終わりごろ、村人が地蔵像を退休寺に移して、
お参りがし易いようにしたところ、その年、村中に
伝染病が広がりました。村人は地蔵さんの祟りだと
恐れ、元の場所に戻す事になりました。
地蔵像を大八車でお寺に移すときは下り坂でも重く
感じたのに、戻す時は逆の上がり坂にもかかわらず
軽かったと伝えられています」。
以上は春日井郷土史研究会発行、春日井の散歩道の
また、郷土史かすがい第24号などの
「尻冷し地蔵」を
参考に出典しました。
また
此方に毎日、早朝四人グループでおまいりに見える地元
上野町一人、今年76歳のご婦人にお尋ねしました。
参考になるお話有難う御座いました。
春日井市公式サイト「昔ばなしの舘」より名古屋弁の
「しりひやしじぞう」下記にリンク
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2010年03月19日
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