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なごやのあけぼの瑞穂区、南区のシリーズは
再び瑞穂区に戻り、弥生後期から古墳時代の
津賀田神社遺跡と称され、神社全体が
前方後円墳であると推定され、付近で弥生式
土器、石鏃(せきぞく=石のやじり)などが
出土している此方の神社を先の4月中旬に
訪れましたので、また此方を紹介します。
ただ現地を訪れても古墳らしい面影は見かけ
られませんでした。
付近に近年まで此方の東隣に培塚の円墳
が(津賀田古墳)残っていましたが、
住宅建設の為、残念ながら調査後消滅して
しまいました。
この津賀田古墳跡付近はフォトレポ済みで
紹介予定。
津賀田(つがた)神社は瑞穂区津賀田(つかた)
町3丁目4番地にあり、境内南北150m程ある
神社で南側横幅40m程、北側80m程で
南側が前方部、北側が後円部と推定されます
津賀田の名の由来は津潟から転化したと言う説
や、本国神明帳には「従三位津賀田天神
作 墓田」とあり、張州府志には塚田祠と記して
ある。
墓田も塚田も古墳であったことより附会している
といえよう。
社伝によれば、旧井戸田村にあって、若宮八幡宮
といい、境内に松原が長く続いたので、長森八幡
ともいわれていた。
藤原師長がこの地に流刑されたとき、この神社に
祈願したため無事、いち早く京都にかえることが
出来たという。
また、久安三年(1147)源頼朝がこの地において誕生
し、当社神宮寺亀井山龍泉寺(りょうせんじ)境内
にある亀井の水をくんで産湯としたいう伝説もある
(この件は、このブログ書庫「師長ゆかりの地」で
亀井の井フォトレポUP済み)
建久二年(1191)当社へ八幡宮を勧請したとある。
社伝による祭神は仁徳天皇、配神は天照大神。
例大祭は十月十五日。
この項、愛知県郷土資料刊行会昭和60,8,10発行
瑞穂区の歴史より一部引用。
この続きは津賀田神社No2につづく。
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