新、愛知限定歴史レポ

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地名「親牧」

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萱津付近には坂牧、長牧、親牧の地名があるが以前から
なぜこの付近「牧」の付く地名が有るのか判らない。

甚目寺町史編纂委員会、昭和50年3月発行「甚目寺町史」
の親牧・坂牧・牧原の項に詳しく推論が載っている。

・・・・鎌倉時代諸国の武士は大番役と称する勤務が
あり、・・・・その大番役に当たった武士たちは・・・
鎌倉街道を西へ東へ出仕し馬を二頭用意し・・・
旅の途中馬を替馬に乗り換え、・・今までの馬は民家に
預けて、帰国の時まで飼ってもらったのであった。・・

・・・・また大字甚目寺町には牧原なる小字名がある、
坂牧、長牧も含めて、いずれも萱津原と称された旧地で、
馬を大量に育てる牧場としては兎も角、委託された程度
の馬を飼うには格好な場所であったに相違ない。

そして宿駅であった大字中萱津地内に「親牧」なる
小字名がある。
明らかにそれは、かっては宿駅の内であった地点である。
これは前述した、「地方役人立会いで」馬を預けた場所
ではなかったか。
或いはここで地方役人に預け、預かった役人が各個人に
預けるようになっていたかもしれない。
そして預かった個人が馬を飼った場所が、坂のある牧で
あり、長細い牧であり、原になった牧であり、荒野の
牧ではなかったか。
いずれにしても本町の他の大字小字名に牧の字なり音なり
の地名はなく、宿駅のあった中萱津にのみ親牧が残り、
萱津原の所在地にのみに牧名が三つもあるということは、
以上の推測を合理的なものとするものではないだろうか。
もちろん当時の旅の武士たちが、必ずしも萱津の宿駅で
のみ馬を預けたとは考えられない。都合によっては他の場所
でも預けたであろう。
しかし鎌倉街道を遠く外れた場所ではあり得ない。
それが伊勢路に出る津島市の牧野・海西郡下大牧であり、
美濃路を通る中島郡の馬寄、馬飼、北牧ではなかったで
あろうか。
追記、名古屋瑞穂区にも牧町があり、下萱津の長牧付近に
地名、前田があるが瑞穂の牧町の隣も前田町がある。
この関連性は不明だがどちらも古い地名。
また、名古屋の緑区牧野ヶ池公園に地名、牧がある、
2011,4,2追記、また天白川の支流、植田川の名東区西山台と
牧の原1丁目の河川敷にも「牧」地名があり、

これら牧に
まつわる地が、馬を飼っていた土地かどうかは不明ですが、
いずれも「牧」地名が牛馬を飼っていた由来によるもの思います。

そこで、その地の出身者が「牧氏」を初めに名乗ったのでは
ないでしょうか。

以前のブログ「愛知の牧氏の歴史」光明寺の牧氏最古
「牧左近太夫義次の墓石」リンク
http://blogs.yahoo.co.jp/area19192003/44097097.html



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