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渡船場シリーズ最終回
江戸時代より名古屋の主要街道には、庄内川を渡るため
渡船場があったので、それら渡船場を長らくフォトレポを
続けました。
庄内川の北から順に、春日井大留、守山志段味間の大日の渡し、
春日井野田、守山吉根間の野田の渡し、守山龍泉寺、春日井下津尾
の間の下津尾渡し、守山川村、春日井松河戸の間の川村の渡し、
守山幸心、春日井勝川の間勝川の渡し、名古屋成願寺、味鋺の間の
味鋺の渡し、名古屋稲生、大野木の間の稲生の渡し、
東琵琶島、西琵琶島の間、琵琶島の渡し、萱津、東宿間の萱津の渡し、
岩塚、万場間の万場の渡し、本前田、前田の間、前田の渡し、
下之一色、福田新田の間、福田新田の渡し。
以下、渡船詳細。
前田村渡船、船1艘、1人3文、馬9文、百姓自分渡し、船頭給なし。
福田新田渡船、船2艘、1艘は蟹江入船、1艘は下之一色渡、1人3文、
万場渡船、船、4艘、御召船1艘、船頭6人、1人2・3銭、馬5銭、
(川幅200間、内9間ほど川通、潮入)船頭給あり。
琵琶島渡船、船頭給あり。
稲生渡船、船6艘、うち2艘は稲生村船頭2人、2艘は上小田村同断、
1艘は大野木村船頭1人、1艘は比良村同断。1人2文、船頭給あり。
味鋺渡船、船1艘、船頭4人、1人6文、駄荷10文。
勝川渡船、船1艘、船頭4人、1人6文、駄荷10文。
以上庄内川にかかった渡船の概要である。この他矢田川を渡る下街道の
渡船場があった。
以上江戸期におけるおもな街道と、その渡船場について述べた。
これら街道は現在もなを、重要な道としてしようされている。
しかし、モータリゼーションの時代となると、道路幅の狭いことが
自動車交通の支障となり、拡幅やバイパスによって補完されている。
この項、1982,3 建設省
中部地方建設局・庄内川工事事務所発行
「庄内川流域史」渡船場よりそのまま引用しました。
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