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ブラザレンの聖餐式には、基本的にプログラムが一切ありません。
イギリスの独立型ブラザレンでは、Morning Meetingとよばれ、日本では、聖餐式、パン裂き(集会)、礼拝などと様々な呼ばれ方をしていますが、要するにパンとぶどう酒(ぶどうジュースの場合も)でキリストの死とそこにある恵、またキリストの復活を記念する儀式ですが、この集会にはプログラム、誰が祈るか、などを決めないことが多い(例外ももちろんあります)ようです。
国教会及び、諸派の教会では、週報が配られ、どのようにプログラムが進行するのか、を明白にしているところが多く、賛美歌の順番、どのような話がなされるのかなど、かなり綿密なプログラムが事前に定められ、それに沿って、運営が行われるのが普通です。
また、国教会系の教会及び諸派においては、聖餐式のなかで、牧師や説教者の聖書講解や福音の解説の時間が、一定程度(30−40分)あるのが一般的ですが、ブラザレンにはそれがなく、祈り、沈黙、賛美、沈黙、聖書朗読、沈黙、祈り、沈黙、祈り、沈黙、賛美といったように祈りと賛美と、時に沈黙が中心になります。
なぜ、この時間に国教会系の教会や諸派の教会のように、プログラムがないかというと、使徒時代に聖霊に満たされて祈ったというような記述が使徒の働きの中に出てきますので、それにそのまま従って、聖霊に満たされて祈ることを理想としているからです。
また、純粋に聖書に、神の導きに従おうとすることから、教会の伝統や必要に応じて試みられてきた方法について、否定的なのが、このグループの特徴であることは、以前記載したとおりです。その結果、全ての人間的な工夫といったものは、すべて『悪(evil)』だ、というダービーとその同調者の理解もあるので、人間的に作られる事前のプログラムを作成するなどは論外、聖霊の働きを著しく損なうものである、また、聖霊に逆らうものであるというような理解が述べられることもあります。だから、事前にプログラムや、祈りの担当を決めるなどということが、そもそも想定できない集団なのですね。
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