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アメリカのワシントン州でブラザレンに言ってみたとき、一番違和感を持ったのは、やはり女性の服装でした。昨日の記事にコメントがあったので、もう少し詳しく書いておきます。
神の前に出るのだから、正装で行くべきである、という概念から、ワシントン州のブラザレン集会では、日曜日に参加する際の服装としては、男性はスーツ、女性はドレス姿ばかりでした。何が違和感を持ったかというと、女性の職場への進出が早かったリベラルな西海岸では、基本的に責任者といえ、ドレスを着てくるのは、式がある特別なとき暗いです。とはいっても、結構黒のパンツとブラックの黒のスーツ(今の女子学生が就職活動できているような服装)が多かったような印象を持っていたのですが、ここの教会では、19世紀のカタログから抜け出したようなドレスでした。
もっと分かりやすく言えば、大草原の小さな家でのローラのお母さんが着ていた服を紺か黒で染めたような洋服だったわけです。つまり、映画で見るアーミッシュのような服装をしてきているご婦人の方々がやたらといたわけです。これが一番の違和感の原因でした。19世紀の正装だけれども、21世紀に近い現在、それを墨守することの意味って、どういうことだろう、ということを考えてしまいました。
この紺や黒の女性のドレスというのが、アメリカの中西部では葬儀の際に、棺桶に入れるときに着せるタイプの服と非常に似たような印象なものなので、まるで、死体が生きて動いているように見えた、というのはあながち外れてはいないとおもいます。
ローラ・ブッシュは、現代の基準から見たとき、かなり伝統的な衣装をまとっていますが、その義理の母親のバーバラ・ブッシュはもう少し伝統的ですが、公式の席でもここまで伝統的ではなかったですね。公式の場でも。文化とずれていても、それをしようとし続けるところ、ベールを被り物としてかぶっていた他の文化から来たクリスチャンが帽子をかぶって参加したときの相手が安心したような表情を見せたときに、聖書的聖書的といってはいるけれども、ある段階の聖書解釈に基づき生み出された文化的伝統を単に墨守しているのではないか、という印象を受け、疑問の出発点になったことも事実です。
で、私ですが、さすがにTシャツで聖餐式に参加した経験はカリフォルニア州の教会以外ではありません。最近は、基本的にスーツに近い格好で行きますが、スーツも意図的に着ていかないこともあります。バプテスマを受ける前の方が傍観者として時に聖餐式を見学されることもあるので、スーツを着なければ、教会(集会)に来てはいけない、と思い込んでいただかないためにも、わざと服装をちょっとラフ目にすることがあります。まぁ、形が心をあらわすという聖書理解は日本のブラザレンの信念に近いものがあり、その心情を理解できないわけではありませんが、神は心を見られる、という原点と外見だけで人を裁かない、という原点だけは大切にしたいかな、と思っています。この辺、文化とのバランスだし、それは個人の思想と信仰にゆだねられている部分かな、と思います。
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教えられました。
外見だけで判断して人のことを非難しているだけの人は
パリサイ人のようであり、霊的とはいえません。
私はつい傲慢になり人をさばくことがあります。
しかし、傲慢こそ神様がお嫌いになる罪ですね。
ありがとうございます。
2008/3/2(日) 午後 4:49 [ とき ]
いえいえ、私も日々お取り扱いを受ける毎日です。
ただ、外見はわかりやすく、内面はわからないことが多いので難しいです。主にゆだねていくしかないのかな、と思うことが多いです。
ご兄弟の上に豊かな主の祝福があるように祈ります。
2008/3/2(日) 午後 7:45 [ kaw*muk*ih ]