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ブラザレンの聖餐式で、定まった順序やプログラムがないのは、聖霊の導きを重視するというその神学的な理解から来ています。
プログラムを決め、プログラムどおり進行しようとすることのあまり、聖霊が働く余地を狭める可能性があることは事実です。ブラザレンでは、聖霊にすべてをゆだねて進んでいく、という精神が重要であるとされていますので、プログラムを定めずに、聖霊に導かれるまま祈り、賛美し、聖書を開けるという習慣がありますので、誰が祈るか、どの賛美歌を歌うかなどのプログラムを定めることができないのです。
聖霊に導かれるということを待つため、祈りの間に空白の時間、沈黙の時間がながれることがあります。また、礼拝の間祈ることができるのは、男性信者だけとされているので、男性信者が少ない場合、この沈黙と祈りの時間がかなり長い時間、流れることになります。
また、プログラム自体がないので、男性信者が同時に声を出すことがあり、それはそれで気まずい思いをすることが時に発生するという点があります。
この聖霊の導き、というのはブラザレンにとって、非常に重要視されています。その分だけ、時に間違って、用いられることもあり、問題を生むことがあります。聖霊の導きといわれた段階で、すべての議論を終わらせてしまうだけの強さを持った言葉です。
聖霊の導きは、重要ですが、聖霊の導きは、第3者から確認しにくい、霊の働きなので、それをどのように考えるか、ということは問題になることも少なくないようです。この傾向自体は、ダービーに特に強く、具体的なアドバイスがないまま、概念的なことだけが述べられるため、少なからぬ混乱があったようす。
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