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ブラザレンの教会(集会)では、基本的に何でも自分たちでしてしまおうとする部分があります。それは、手作りのぬくもりや温かみ、という良さを持つ反面、下手をすると洗練のなさ、完成度の低さ、いろいろなイベントをこなしていく為の処理システムが完成していないこと、それがあったとしてもそのシステムに手馴れていないことによる不都合、という問題がでてきます。
友人、知人、家族を呼ぶとすれば、洗練された、ある程度の美しさが伴ったものであるほうが望ましいはずです。しかし、洗練されたものにするためには、訓練や調整が必要となります。とりわけ、すべてのことが順調に動いていく為の調整というものは、集会(教会)の中で達成するのは意外と難しかったりします。というのは、一人ひとり理想とするものが異なる場合が多いからです。もちろん、理念として福音を伝えようとする、という点では一致しているのですが、それ以外の細かい点での理想が異なるからです。
それぞれの理想の実現をしながら、そして、現実のイベントを一つに纏め上げることを実現しようとすると、他の方の理想との並存あるいは違いがあり、この違いを生めるための調整が難しいし、時間がかかるからです。強権的な司式者や牧会者のいるところであれば、この辺の調整は、鶴の一声、あるいは、責任者の負担で決まってしまうことも少なくないようなのですが、信者一人ひとりが等しく関与しようとしているブラザレンの教会(集会)では、信者の関与を進めていく中で、信者の話し合いによる調整を進めていくタイプの教会(集会)が多いため、なかなかこの話し合いが時間がかかるのも事実です。
不謹慎な話ではありますが、ディズニー映画のパイレーツオブカリビアンの現在の最後の作品The world end(続編が出るってうわさもあるし、宇宙戦艦ヤマトみたいになって、キャプテンジャックスパローが宇宙で活躍なんて冗談はないとおもいますが)では、海賊たちが最後の決戦に望んで話し合いをしているシーンがあります。その話し合いのシーンBrethren courtでそれぞれがそれそれの意図を読みながら、ああでもない項でもないといっている様子が、ある教会(集会)のイベント前の話し合いの雰囲気と、なんとなく似ていたので、思わず映画館で大声で笑い出してしまって、周囲から顰蹙を買った(アメリカなら、みんなシンクロしてくれると思うのだけれども)ことがあります。英語版で探してください。必ずそういっています。日本語版ではみたことがないので、日本語でなんと表現しているんだろう。(良心的なブラザレンの人たちは、映画は『世的』なので未だに原則禁止のはずだから、見てください、といっても無理かな?)
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上の話の味噌は、海賊たちが、ブラザレンの宮廷(話し合いの場・法廷・議論)というBrethren Courtということばを使っていることと、ブラザレンの教会(集会)の話し合いに雰囲気がそっくりだったところです。
2008/3/29(土) 午後 9:49 [ kaw*muk*ih ]