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石濱シナヨさんの召天記念式に参加してきました。
2008年7月12日、去る2008年6月11日に天の神の御許に帰られた石濱シナヨさんの記念式に参加してきました。およそ100人くらいの方が集まっておられたでしょうか。遠くは九州の城野集会からの方たちが来られていたり、各地から来られていました。
他には、クリスチャン・ステッカー兄姉(軽井沢)ギュンター・ステッカー兄姉などが来ておられました。日本橋集会から佐野信一兄姉も来ておられました。神戸からは、関係の深い辰巳成之兄姉が来ておられました。
聖書からのお話をされたのは、下小鳥集会(高崎)の三輪敬太さんでした。しおりに載っていたヘブル書の個所と黙示録の聖書の一部から、神の国とそこに入る希望がクリスチャンにはあること、この希望こそが、キリストを信じる意味であること、その希望を持って生活された石濱シナヨさんだったということ、何かをお話しされました。意外だったのは、三輪さんが信じるきっかけになったのは、アウグスティヌスの「神の国」を読んだことだったということです。
そのあと、石濱義信さんが、シナヨさんの思い出を語っておられました。ハワイのサトウキビ畑で働くために出稼ぎされていたご家庭で生まれられたこと、14歳の時に日本に戻られて女学校に行かれたこと、そのあと、広島女学院で働いておられたこと、そこで信仰を持たれたこと、広島女学院の宣教師の方の紹介で、石濱義則さんと結婚することになったこと、石濱義則さんと結婚されて、その後、急速に軍国主義に傾倒していく日本社会の中で、ずいぶん時代の波にもまれるような生活をされたこと、特に、戦前の軍国主義の時代の中で、不敬罪での逮捕、信仰のために治安維持法違反で石濱義則さんが逮捕投獄されたこと、その時期、子供さんを抱え、食糧難の中、石濱シナヨさんが生活を必死になって支えられたこと、荒地の開拓などをシナヨさん自らツルハシを持って、子供さんたちと一緒にされたことなどをお話しになられました。あまりお話しになられませんでしたが、軍国主義が蔓延し、それが正義とされた時代、キリスト(というよりかは、ヤソ(イエスの蔑称))を信じて投獄されることは非国民的行為(大時代がかっているけど、本当に厳しい生活だったと思います)だったわけですから、配給の点や、日常生活の点で、辛酸をなめられた、といってもよいと思います。お話になられた石濱義信さん自体、当時の少国民として辛酸をなめられたのだと思いますが、今回はそのことは一言もお話しになられませんでした。(お気持ちが、戦争時代のことに触れられた時の沈黙の中で私には、伝わりました。)
(次回に続きます)
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