ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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(前回から続く)

 石濱義信さんのお話の続きです。

 戦後は戦後で、日本中が貧しいといっていい状態の中、歯科医の免許が治安維持法違反の結果、取り上げられ、歯科医としての仕事がない中での生活、歯科医免状を回復してからも、小倉での勤務医として歯科医をする生活、神戸に移ってからの開業しての生活など、さまざまなご苦労があったようです。

特に仕事が無い中、山に登るときに賛美歌を歌いながら、石濱義則さんは、情けなくて、涙を流したというお話も、石濱義信さんから、石濱シナヨ姉妹の思い出の一部として、お伺いしました。

神戸に戻って開業したら開業したで、ちょうど、戦後多くの宣教師が入ってきたこと、伝道が自由になってきたこと、進駐軍の暗黙の支援などもあり、各地で教会(集会)が雨後のタケノコのように増えていく中、なかなか話し手がいないということもあり、石濱義則さんは各地で開かれる特別伝道集会にヒョコヒョコと気軽に出かけて行かれたようです。今のように飛行機がバンバン飛んでいるわけでなし、新幹線が1時間に6本も7本も走っているわけでないなか、どっかの教会(集会)に呼ばれたら、自分は、「伝道者として、神様の仕事をするために、アルバイトで歯医者をしている」と言って、すぐさま本日休診の札を出しては伝道に出かけられていたことなどの思い出を石濱義信(二男の方)さんは、お話して下さいました。 

 この辺は石濱義則さんはあまり話さなかったので、よくわかりませんでしたが、戦後モノがない時代、開業してもお客が来ないとき、奥様が、お手持ちの着物などを質に入れ、生活を支えておられた結果、奥様の着物がどんどんとなくなっていく、それでも気にせず、石濱さんは伝道と聖書研究に明け暮れる生活だったというお話も石濱義信さんのお話の中で、うかがいました。こんな伝道生活を陰で支えられたのが、石濱シナヨさんだった、というお話を石濱義信さんからお伺いしました。


ここから、ブログ主の感想。
 タケノコ生活(タケノコの皮のように着るものがどんどんはぎとられていくように、着るものがなくなっていくことから付いた戦後の困窮生活を表す言葉)を福音宣教のためと思って、石濱シナヨさんは、支えられた方だったんだなぁ、と思います。元来、石濱義則さんは、わりとお金に無頓着なところがあって(これはブラザレンでよくある話)、とりあえず生活ができているなら、それで満足しておられたのではないかと、個人的な感想を持ちました。何せ、お得意の表現の一つは、ヨブ記からの引用で、「ヱホバ與へヱホバ取りたまふなり ヱホバの御名は讚べきかな」でしたし、その通りと、単純に思っておられた節がありますから。
ここまで、ブログ主の感想。

(次回に続きます)


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