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また、英語が喋れて歯の治療も受けられる、というので、各地の宣教師が泊まり込みで歯の治療に来ていたのも、これまた事実だそうです。
神戸は海外航路の到着港の一つでしたから、神戸に行ったら、石濱という信者がいて受け入れてくれるという紹介もあったのかもしれませんが、そういう外国の方も結構来られていた、と二男の石濱義信さんがお話しくださいました。そんななかでも外国人がジョークを言っても、ネイティブのシナヨさんには通じても、文字を通して学んだ石浜義則さんには通じず、憮然とした表情をしていた、という私なんぞが垣間見ることのできないお話もしてくださいました。
そんな昔話の後、石濱義則さんがなくなられた後、体の様々な部分が不調で、がんや、潰瘍の手術などで、体内を切り刻むような治療を受け、入退院を繰り返しながらも、ご家族に看病されながら、生活をされたこと、最後は、石濱ミカルさんのお宅で眠るように息を引き取られたことをお話しいただきました。
その後、食事が用意されているということでしたので、お弁当を千葉キリスト集会(教会)の2階の食堂部分でごちそうになることになりました。お名前はかねがねお聞きしていた、そしてご著書を集めてきた石濱ミカルさんとお会いし、昔話にちょっと花を咲かせたり、私が書いているこのブログの話をさせていただき、いくつかコメントや記憶違いをお聞きしました。そして、石濱ミカルさんのブラザレンに関する意識みたいなお話も少しお聞かせいただきました。本当はもっとお話しをお聞きしたかったのですが、電車の時間があるとかで、先に出発していかれました。もうちょっとお話をお伺いしたかったですが、ちょっと残念でした。
シナヨ姉妹の召天をきっかけに、石濱義則さんのお孫さんのお一人がこのブログを発見してくださり、コンピュータを使わない石濱さんのご親族にもご紹介していただいたことで、私の記憶違いや、私の勘違いなどのご指摘を頂いております。ご指摘をいただいたことは、すぐ直すのが、私のブログの方針なので結構変わっている部分があります。
(このブログの中での石濱さんの記憶をたどっている理由ですが、こういうちょっと変わった信者たちがいた、という記録を残すことで、今の信者の皆さん方に、ある時代の雰囲気とか、信仰を考えるきっかけを作りたいだけ、というのが理由です。自分がすべて正しいとは思っていませんので、訂正及び修正は素直にしていきたいと思っています。)
だから、mさん、気軽にコメントしてくださいね。
石濱さんを取り上げている理由は、どう考えても石濱さんみたいな破天荒な信仰生活はだれもができるものでもないし、そうしなきゃならんものではないし、現代では、そういう生き方は無理だと思っているのですが、自叙伝がもう手に入らないし、家族が書くとどうしても客観性の問題があるし、ということで、できるだけ私にいろんな機会で直接石濱義則さんからお聞きした記憶をできるだけたどりながら、書いていきたい、と思っているだけです。だから、ときさん、間違っても、石濱さんのまねしようとか思わないでね。一人ひとりの信者は、その人に与えられようとしている神様のご計画を素直に求めていけばいいと、私は思っています。石濱さんの場合、素直に求めたことが、結果として破天荒な生活だった、ということのように思います。
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