|
これから、時々、ディスペンセーション説を少し取り上げたいと思います。
この記事を書いたのは、Luceさんというかたから
http://blogs.yahoo.co.jp/kawamukaih/1432212.html
へのコメントをいただいたからです。
Neil Dickson(2002) Brethren in Scotland 1838-2000の138ページには、
One ethnic minority which received some attention from the Brethren was the Jewish community. Dispensationalizm, the prophetic scheme espoused by the Brethren, is markedly philo-semitic.
ブラザレンが、着目した少数民族のひとつは、ユダヤ人コミュニティであった。ディスペンセーション論は、ブラザレンが信奉した預言理解のありかたであるが、明白に、親ユダヤ的なものであった。
とありますが、日本の70年代のブラザレンだけではなく、1880年代のスコットランドのブラザレンでも、ユダヤ人という存在がクローズアップされたことが分かります。
実は、このディスペンセーション説を言い出したとされているのが、ジョン・ネルソン・ダービーですが、この背景には、ジョン・ネルソン・ダービーの神秘主義的な思考と、終末論があるものと思います。ジョン・ネルソン・ダービーの英文は、読みにくくて仕方のないものです。これも、ダービーの神秘主義と深く関係しています。
DarbyのChristian Libertyという論文の一部を紹介します。これでも分かりやすいほうだと思います。
It is a time in which those who act with the simpleset purpose will carry the work with them (for it is a day in which God is separating realities from forms), as that which can alone stand the universal dislocation which every institution is undergoing and which the Spirit of God shall and can, alone go through unscathed and they that are led by Him unmarred and unhurt.
このような難解な文章を書く神秘主義的な思想の持ち主が、預言を考えながら作り出して言ったのが、天啓史観と呼ばれたり、ディスペンセーション説と呼ばれる特殊な預言と歴史のありかたに関するものの見方だったわけです。
なぜ、ブラザレンの群れに属する一信徒の私が、歴史的にも多くの信徒に支持されてきたこの歴史観に批判的なのか、その理由を、これから、少しお話していきたいと思います。
|
Luceです。
ブラザレンムーブメント創始者ともいえるJNダービーがディスペンセーション説の創始者でもあるということで、ブラザレンの外から否定的な見解がなされることは不思議ではないと思いますが、中からも不同意の意見があるということに興味を持ちました。
以降楽しみにしています。
また、ブラザレンに託された使命はディスペンセーション説に依存しないということなのかどうか、すなわち、ディスペンセーション批判はブラザレンムーブメントを否定するものではないのかどうか、混乱なきよう明確にしていただけることを期待します。
2008/9/1(月) 午後 11:06 [ Luce ]
Luce様
ブログ主の川向でございます。
ブラザレンの信者とその集会は、基本的に独立ですし、信者も自由に考えております。確かに影響力の大きい信者、影響力の大きい雑誌はありますが、実態はかなり自由です。なので、期待されておられるような、グループ全体としての使命感というのはないと思います。また、言論の自由がほぼ保障されている集会が多い、といっていいとおもいますので、この論が当集会の統一見解、ということはないと思います。キリストの体としての聖書は重要、神の霊感を受けてかかれたもの、イエスキリストは神にして人、といったような共通理解はあります。各集会の独立性がある程度担保されているので、これがブラザレン全体での統一見解、ということもないと思います。私が知らないだけかもしれませんが。ただ、キリスト集会の信者のかなりの部分に対して影響力が大きい雑誌と出版社はありますが。そこでの議論を統一見解と誤解される方も時に居られるようです。仕方のないことですが。しかし、その影響を受けない方も少なからず居られます。
2008/9/2(火) 午後 8:05 [ kaw*muk*ih ]
なお、ブラザレンに分類されることも多い、ウォッチマン・ニーとその影響を受けた方々のグループがこのディスペンセーション論について、どのようにお考えかは、よく存じ上げませんが。個人的にお交わりがないもので。このグループの方々のサイトを見るだけですので、論評を加えることは差し控えたいと思います。まず、お断りしておきます。
日本のキリスト集会と呼ばれる信徒グループの多くの信徒の方は、私と違って、自制がおできになる方で、自己抑制的なところがあるので、本当に好き勝手な発言は、控えておられると存じます。私は、好き勝手なことを考えたり、発言しておりますけれども。
2008/9/2(火) 午後 8:06 [ kaw*muk*ih ]
多分、普通の日本のキリスト集会に属しておられるブラザレンと分類されるグループの信者に「ディスペンセーション説って何ですか?天啓史観って何ですか?説明してもらえませんか?」と聞いても、きょとんとされるだけだろうと思います。自分の聖書理解の背景に、そんな考えがあるとも思わずに、聖書を読んでおられる方が多いですから。また、この20年ほど、この歴史観は、学びなどでこの考えに基づきお話されることが激減したので、この20年くらいの間に信者になられた方は、このような見方とはかなり独立に聖書を読んでおられますし、預言は分からない、という信者の方のほうが多いと思います。(こちらのあり方のほうが、クリスチャンとして神とともに生きる幸せな時間を過ごせる、と個人的には思います。)
2008/9/2(火) 午後 8:07 [ kaw*muk*ih ]
ブラザレンに託された使命ということですが、そんなブラザレン固有のたいそうな使命は信者の皆さんは感じておられないのでは、と思います。私も、そんな固有の使命というのは、感じたことがありません。ただ、普通に、
○神とともに生きることで、日常生活の中で、神を礼拝すること、
○イエス・キリストにしか、永遠の命がないことを、愚直に一人でも多くの方にお示しすること(伝道すること)、
というのがブラザレンの信徒というよりは、クリスチャンとしての使命である、としか思っておられないのでは、と思います。
2008/9/2(火) 午後 8:07 [ kaw*muk*ih ]
自分自身がブラザレンの信徒である、とラベルを貼られること自体に拒否反応がある方のほうが日本のキリスト集会の信者には多いですし、そもそも、キリスト集会に行っているから、ブラザレンの信徒である、と認識しておられない方のほうが多いですから。こういったことも責任者が信徒にあまり語られることはないと思います。経験の浅いブラザレンの信徒の方がお知り合いに居られたら、その方にお聞きになって下さい。「あなたはブラザレンですか」とお聞きになると、「いえ、私は聖書を大切にするクリスチャンです。ブラザレンって何ですか」、とかえって聞き返されると思います。アメリカでは、調査によっては、信仰に関する分類項目があるためか、プリマス・ブラザレンという分類をを意識せざるを得ない部分はあるようです。
2008/9/2(火) 午後 8:08 [ kaw*muk*ih ]
でも、一部の日本のキリスト集会に属する若い方の中に、キリスト集会を他者に分かりやすく説明しなければならない方、自分たちの特徴は何だろう、ということを整理されたい方、なぜ、自分たちは他のクリスチャンだとおっしゃる方と違う行動パターンを持っているのだろう、自分は、自分の集会にちょっと違和感があるのだけれども、ということに疑問やご意見をお持ちの方もいらっしゃるようなので、そういう方向けに個人的な理解のご提供といくつかの情報提供ができれば、と思って、このブログをはじめています。ブラザレンの集会の中で生きることをお考えの大半の信者の皆さんにとっては、このブログはほとんど意味をなさないと思います。
2008/9/2(火) 午後 8:10 [ kaw*muk*ih ]
Nozzonさんというかたの同胞組合論とはちょっと違った視点から、情報提供しようかな、と考え、好き勝手なことを書いているのがこのブログです。ですので、どの程度Luce様のご期待にこたえられるか分かりませんが、ディスペンセーション論についても、これから、今の素直な気持ちと考えを、残しておきたいと思います。後で、恥ずかしくなるかもしれませんが。見ていただいて、何かの参考になれば、うれしいなぁ、と思っています。
2008/9/2(火) 午後 8:10 [ kaw*muk*ih ]
どうも「ピッツバ-グ物語」のhkです。書き込みを頂きまして、ありがとうございました。また、興味深いブログをされておられるようで、また拝読させて頂きます。私自身は牧師になることを考えておりますから、集会とは教会論以降において(即ち、救済論後半部から終末論に至る組織神学ロキの聖霊論部分において)あらゆる意味でのディスペンセーショナリズムとは、違う立場ですが、集会の皆さんの熱心には、学生時代以来、深い敬慕の念を抱いてやみません。Nozzonを含む私の親友や信頼しているクリスチャンの多くは集会の人々です。良い記事を期待しております。それでは!
2008/9/4(木) 午後 1:06 [ え?( ゚д゚ ) ]
ご訪問、感謝します。私自身は、集会と教会の壁が今、ほぼなくなっていて、枝葉末節の議論で、クリスチャンがああでもない、こうでもないというべきではないかなぁ、と思います。
そちらでの豊かな神との時間を味わってください。そして、いいPastorになってください。天国では、改革派も、長老派も、ブラザレンもないはずですから。人と神との関係を整えるのは、どこでも大切なことですから。
ところで、言語的なカルチャーギャップに関しては、
http://www.geocities.jp/tillich37/missiology.senkyoushiron.3.html
が、面白いかもしれません。
2008/9/4(木) 午後 11:20 [ kaw*muk*ih ]