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ブラザレンの日本の他の教会への影響
この夏、関西のキリスト教書店で面白い本を見かけたので、その本を読んでみました。『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』、マーク・R・マリンズ、高崎恵訳 トランスビュー。3800円とちょっと、お高い本なのですが、買ってみて大正解。
この本に、いくつかの土着化したキリスト教が出てきます。内村鑑三の無教会、道会、基督心宗教団、イエス之御霊教会、原始福音運動、聖イエス会などが取り上げられています。この本は、著者が、これらの教団に行ってインタビューしたり、そこの出版物をもらってきたりしながら、その信仰の特殊性と、どこが海外宣教師によって、定着が試みられたミッション系キリスト教との違うのか、その違いの原因がどのようなものであるのか、を論考している面白い本です。
まず、土着化したキリスト教がいずれも、日本におけるミッション系教会へのあり方に対する疑念を出発点とした一種の宗教改革運動であり、一種のキリスト教の原点回帰運動として、初代教会時代への回帰を志向するものであったことが論証されていました。日本人が、聖書研究をしていき、日本の独自の環境に対応しようとしていた、ことが示されています。日本の環境におかれたクリスチャンである以上、現実に日本社会にどのように適応するのかを、検討せざるを得なかったんだろうと思います。この日本社会への対応という考え方は、伝道をしていくのが日本人である以上、そう悪くはないと、私は思います。
この本は、無教会運動が土着化したキリスト教の成立の上で重要な役割を果たしていることを、論述しています。無教会運動をきちんと研究したわけではありませんが、この本を読むかぎり、内村鑑三の思想の一部をなしている儒教思想に強く影響を受けた部分を除けば、ほとんどブラザレンとも呼ばれるキリスト集会と、無教会運動は変わらない。まず、あまりの類似性の高さに、個人的にはびっくりしました。まぁ、
ブラザレンはアイルランドで実体化した宗教改革運動、原点回帰運動。
無教会運動は日本で実体化した宗教改革運動、原点回帰運動。
だから、目指すところは同じなわけですから類似性の高さは、当然といえば当然。
儒教的な背景からとはいえ、男女が別に座れという内村が指示したところに、今のブラザレンにも現象面として見られる同一性を感じてしまいました。ただ、個人的には、夫婦・家族であれば、ぜひ同席を認めるべし、というのが、私の個人的主張ですけれども。
余談はさておき、この本を読んでいく中で、いくつかの土着化した教団にプリマス・ブラザレンが影響を与えているとされていました。この本で取り上げられているなかでは、基督教カナン教団、沖縄キリスト教福音センター(今話題として取り上げられているあの教会のようです)の指導者とブラザレンとの間に関係があったとされていました。イエス之御霊教会は、天啓史観が影響した、として間接的影響が捉えられています。
ブラザレンは、イギリスでの宗教改革運動、聖書を基礎にした平信徒中心主義のですから、これらの日本人が考えた宗教改革運動にも、影響する可能性が高いんだろうなぁ、ということを強く感じました。
この項、続きます。
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前の教会の牧師先生の礼拝メッセージの端ばしに、内村鑑三のことと、あとはどうもブラザレンのことを指していた様だなぁといま思い当たる、ちょびっと改革的な問題提起が出ることもありましたよ ^^
2008/9/5(金) 午前 11:59 [ foc**cu ]
もすこしいうと 内村鑑三のことを語るなら、ブラザレンのことも出て来ざるをえなかったみたいですね。
2008/9/5(金) 午後 0:15 [ foc**cu ]
foce_cu様
内村鑑三の本は、膨大なので、ブラザレンと内村の関係を探す、とか言うマニアックな作業に手を回している余裕がないのですが、時代的にはシンクロしているので、影響はしたというか、論理的に考えれた結果、同じところに行き着いた、ということだと思います。ブラザレンは英国国教会の押し付けへの反感、内村はアメリカの伝道団体への反発、でしょうね。ただ、無教会は、その結果バプテスマと聖餐式という様式を軽視するようになりましたが、ブラザレンでは未だに重要なものと意識しています。
2008/9/5(金) 午後 0:56 [ kaw*muk*ih ]
最近、ナウエンの本を読んでいて、やはり、キリスト教会は、コイノニア、キリストを中心とした神とともに歩もうとする人々の共同体ということを改めて再確認しました。コイノニアという性質を見失ってしまうと、キリスト教の共同体という側面を見失ってしまいやすいので、そのことを覚える価値としての聖餐式というのは重要かな、と改めて再確認しています。ナウエン、いいです。癖がありますが。
2008/9/5(金) 午後 0:57 [ kaw*muk*ih ]
聖餐はパンではなく米(ごはん)でも構わんと内村さんは言ったそうで、それは分るとして、しかし「聖餐式」を、ごはんと日本酒、いやごはんと味噌汁でしようともしなかったですね ^^
2008/9/6(土) 午前 0:01 [ foc**cu ]
あれから聖書をまた読み直し・・・ 命のパンをさくという行為は、やはりごはんじゃしっくりしません。モス・ライスバーガーみたいなのをさくというのも考えましたが、それならもうパンでも構わんでしょう。
牛乳や乳製品も受け入れられ、健康面も増進した維新後の日本。また、早くから国産もされたワインは、患者の食欲を増すため医療でも少量用いらます。ワインだって大いに構わない。そういえば内村さんは、医療を用いた欧米型の伝道にも疑問を呈してましたけど。
2008/9/6(土) 午前 3:06 [ foc**cu ]
はい、個人的には、おせんべいとお茶でも、というのは言い過ぎにしても、文化的背景を考えると、無理してパンでなくても、という気もします。実際、小麦粉文化圏では、パンとぶどう酒は一番手に入りやすい食料品ですから。
http://www.geocities.jp/tillich37/missiology.church.13.html
をご覧下さい。ペンテコステのアッセンブリー・オブ・ゴッド教団でフィリピン伝道していた方のサイトですが、面白いですよ。考えていることは、私とほとんど同じ。幽霊話も出てきますし。
2008/9/6(土) 午前 11:50 [ kaw*muk*ih ]
foce_cu様
>内村さんは、医療を用いた欧米型の伝道にも疑問
まぁ、アメリカ人の貧しい人、かわいそうだから、光線が厳しく出てたんでしょうね。サービスを受ける当時の日本人は、卑屈になりやすいし。福音を伝えるための手段が目的化しやすいのも、この分野ですし。アジア伝道の話も、さっきの佐々木先生のサイト
http://www.geocities.jp/tillich37
に出てきます。この人のサイトは面白い情報満載。ぜひご一読を。お勧めです。
2008/9/6(土) 午前 11:54 [ kaw*muk*ih ]
さっそく読ませていただいる途中で・・・ありがとうございます。ブックマークします。
幽霊話・・・「ちょっと変なペンテコステ」で、地域霊とかいうのは、自分の書いたことにも思い当たり笑ってしまいましたが、「かなり怪しいペンテコステ」の、第3の波の話になると、笑えませんね。以前お話しした、近しい者が引っかかってたのは、まんまあれでしたからね。
2008/9/6(土) 午後 4:02 [ foc**cu ]
あー、第3の波ですか。南米では、かなり問題になっているようで。うちも、これで大分、痛んだ教会(キリスト集会)があったようです。リバイバルと間違いやすいんでねぇ。
2008/9/6(土) 午後 8:54 [ kaw*muk*ih ]
ええ!ブラザレンまでもがですか? というか、ほんと井の中の蛙なのかな〜、クリスチャンて。
2008/9/6(土) 午後 11:02 [ foc**cu ]
正確な数はアンケート調査して回るわけに行かないんで、わかりませんが、お交わりがある範囲では、少なくとも1箇所でおきたようです。長老の方は、大変苦しんでおられました。
多分、プロテスタントは、自分たちがいちばんいい、自分たちがいちばんまともと思っていて、他人に悪影響を与える無いけれども、他人から影響を受けやすい、ということかなぁ、と思います。その意味で、マクグラスの「キリスト教神学入門」の先にあるきちんとした神学が必要だと思います。
2008/9/7(日) 午前 6:54 [ kaw*muk*ih ]
内村鑑三のことを書いたらこちらが推奨されましたね。
ブラザレンの教会なんですね。すばらしい!
2012/7/10(火) 午後 8:34