ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと預言理解

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 宇野正美さんによる旧約聖書や新約聖書の預言の解釈は、オイルショック・ドルショック以後の長期の経済不況、イスラエルの建国とその後のイスラエルの対外戦争をライブで体験した時代の中にいた、日本のキリスト集会のクリスチャンのかなりの部分と、一部の社会の人々に影響、そして一部では非常に大きな影響を与えました。ドルが300円前後から一気に100円台になった時代お話です。ちょうど経済的混乱の中で、この理論が生まれたときのように、日本経済と社会の混乱の中で、この理論が再び息を吹き返したのだろうと思います。
 とはいえ、その後、バブル経済が進んでいく中、景気がよくなっていく中、このディスペンセーション論のもたらした影響の反動もあったのかもしれませんが、この議論は日本のキリスト集会の中では、忘れ去られたかのように話題に上らなくなりました。バブル崩壊後の経済不況の中でも、この理論が復活することはあまりありませんでした。経済環境がそこまで悪くなかったからかもしれません。しかし、今また、サブプライムショックなどを起点とする経済的な混乱が日本に押し寄せる中、その経済的混乱が終末と理解されたり、出口がなさそうに見える社会状況や悲惨な社会の現実から、終末が予測されかねない社会環境の中、一旦、忘れられていたかのようなこのディスペンセーション論が、再び多くの人々に影響を及ぼすことがないように、祈っています。

 状況を知らない若い信徒の方からは批判を浴びるかもしれませんが、あのオウム真理教(現アーレフ)が1980年代末期に独自の終末思想をもって富士宮道場や沖縄への逃避した事件でテレビに現れたとき、その終末の確信を述べる信者に一種のデジャブ(どこかで見た光景)というのか、自らの経験と重なったような印象を受けたことを思い出します。彼らは、選挙というメディアを使いましたが、1990年に東京の選挙区から衆議院選挙に出たときの彼らの街頭演説は、私たちの路傍伝道と重なって見えたことも確かです。外部の無関係な人々の目から見れば、余計にそう見えたでしょう。
 誤解しないでいただきたいのは、私がキリスト集会とオウム真理教を同一視しているわけではないことです。1970年から1980年代中ごろまでのキリスト集会の人々は、社会の権威とルールを尊重した立派な市民生活を送られました。その点、出家集団で、なおかつ反社会的行動が見られた日本型の新興宗教系カルトであるオウム真理教とは全く違います。
 しかし、オウムの信者の終末へのどこか偏った熱気をみたとき、自分が経験したものと共通する何かがある、を多分動物的な本能として感じたことは事実です。この印象は、終末へのアレルギー反応によるものだったのかもしれません。当時のオウム真理教の教義にキリスト教的な要素が、特に終末論が紛れ込んでいることを知ったことも、共通する何かを感じさせた原因かもしれません。少なくとも、ごくわずかかもしれないけれども、どこかに共通する何かがある、と私が感じたことだけは間違いありません。

 「あなたは、キリスト集会とオウム真理教を一緒にしている」と批判される方がいるかもしれません。私にはそのつもりは全くありません。両者は別物です。信仰の形態、信仰の形成履歴(ブラザレンは、国教会の分離派と理解するほうが、歴史的には妥当だし、国教会のLow Churchとの親和性はものすごく高いと思っています。外科医時代のロイドジョンズとの交流のあった信者もいますし、ロイドジョンズが、ブラザレンの集会で何回か奉仕をしたことも確かです。)からみても、両者は別物です。ただ、それぞれの信仰理解の中で、偏った終末への意識が人に及ぼす悪影響が生まれる可能性は共通する、ということを私は感じたということだけは、申し述べたいと思います。

 イエスも終末に言及しています。その点だけから考えても、終末を考えることは、確かに重要です。でも、不必要に、心を騒がせないようにしない信者の方が増えて欲しい、と思います。個人的には、終末は通過点でしかないと思っています。そのことを忘れないでいて欲しいと思っています。特に若い信徒の方には。そして、終末の先にある、神の支配という大きな共同体への思いと理解がすべて神のもとに帰ろうとする人々に、豊かに与えられるよう祈りたいと思いますし、そのように祈っています。

ディスペンセーション論については、以上終りです。明日からは、しばらくカリフォルニアでの経験をお話しするようにします

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前々回でしたかこちらこそ言葉足らずで誤解を与えたようで失礼しました。ちょっと斜に構えて?を打っただけです。
この説は平信徒には分かりやすいですね。でも根は深いところにあるのかなぁ、あるいは福音理解に問題はないのでしょうか。
ブラザレンについてはほとんど知りませんでしたからとても参考になりました。

2008/9/13(土) 午前 1:31 [ jjs*rul ]

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jjs*rul 様
コメントを読んでくださって、ありがとうございました。いえ、誤解を生んだのは、やはり筆者の言葉足らずでございます。反省しております。批判は批判として、素直に心傾けるもの、と心がけております。でなければ、こんなブラザレンにとって危険なブログはできませんでした。
確かに、ディスペンセーション説は、分かりやすい理論であるだけに慎重さが必要だと思います。ただ、福音理解に悪影響はほとんどないと思います。イエスの救いこそが重要だ、という一点だけは揺るがないですから。ただ、お話の時間配分として、イエスの福音が90%、預言が10%であれば問題ないですが、預言が90%福音10%となる方が時におられるので、そんなときは、何とかならないか、と聞きながら、心穏やかでないことが多いです。
jjs*rul様のコメントで、考えを深めることができました。感謝いたしております。また、ご訪問いただければ、と存じております。

2008/9/13(土) 午前 8:50 [ kaw*muk*ih ]

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10回にも及ぶご説明ありがとうございました。客観的・大上段に構えた風でなく、個人目線を強調されたところに配慮がうかがわれました。
当方も、コメントのしようにによっては「コップの中の争い(=特定の人達に対する批判)」に見られかねないと思い自制しておりましたので、反応がなかったことご容赦願います。

2008/9/13(土) 午前 9:30 [ Luce ]

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Luce様 ご訪問感謝します。
いえ、すべてのデータが集まっているわけではありませんので、客観的だと主張できない部分がありますので、個人の見解、としています。現在所属している教会(キリスト集会)に迷惑がかかってもいけませんので。
本当に、「井の中の蛙」の泥仕合となっては、神の栄光を損ないかねないので、分かりにくい表現となっております。当方こそご容赦を。見ていただいていることは、分かっておりましたので、感謝しておりました。

2008/9/13(土) 午後 5:27 [ kaw*muk*ih ]

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ざっとこのシリーズを読ませて頂きましたが、私が理解している(と思っている)「ディスペンセーション」とは、だいぶ違う印象を受けましたが・・・印象としては「ディスペンセーション」を用いた歪んだ聖書理解・預言理解、もしくは薄っぺらな聖書理解に対する抵抗という印象でしたが・・・

2009/9/7(月) 午後 0:52 [ ugougo ]

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宇野さんが変な適用して、それをあたかも聖書的であるかのようにメッセージする。集会の信者は「神の前に平等」「万人祭司」「先生とはよばない」とかいいながら、彼の話を丸吞みして宇野先生になっちゃった。批判されているのは「ウノペンセーション」であり、「ディスペンセーション」ではないという気がします。

2009/9/7(月) 午後 0:59 [ ugougo ]

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UgoUgoさん

コメントありがとうございました。ディスペンセーションは、いろいろなバリエーションがあり、まとめて、こんなもの、と語りにくい部分があり、個人的な理解の範囲です。UgoUgoさんがご理解しておられる「ディスペンセーション」についてもお聞かせいただけるとありがたいです。プレ、ミレ、いろいろありますが、ディスペンセーション仮説は、時代をある特定の視点で解釈するという点が共通部分といってよいかと思います。

2009/9/8(火) 午前 8:54 [ kaw*muk*ih ]

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宇野さんへの表現、UgoUgoさんのコメント、厳しいですね。でも、事実として、丸のみしちゃいましたねぇ。確かに。私もです。反省しています。高校生だったとはいえ、批判意識がなかったのは、まずかったなぁ、と思います。
とはいえ、関西には、宇野さんの影響を強く受けた方が多いので、ちょっと控えている部分があります。まぁ、「福音10%、予想話90%の福音メッセージ」ってなんだろうと思う部分は個人的にあります。

コメントありがとうございました。

お子さんのために祈っていますね。

2009/9/8(火) 午前 8:58 [ kaw*muk*ih ]

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そうですね・・表現きつすぎましたね。すいません・・・配慮がなさ過ぎました。宇野さんを尊敬されていた方もいたわけですから・・・気をつけます。

2009/9/8(火) 午前 10:49 [ ugougo ]

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コメント王子様

コメントありがとうございました。
本文ではないので、大丈夫でしょう。宇野さんの話で救われた方で信仰の友と個人的に存じている方がおられるのですが、やはり、宇野さんから聞いた福音は純粋であったという思いがおありになっておられることを知り、宇野さんの存在自体をあまり否定的に取られてしまうと、当方はそのように一切思っていなくても、その方の信仰そのものまで不純なものと言う印象をその方に与えないんだなぁ、と言うことを思い、少し抑えています。

2009/9/9(水) 午後 6:06 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

集会のディスペンセーション説は、伝道のための強力なエンジン(世の滅びが来る → 人々に救いを伝えなければ → 伝道が大切だ → (終末論に大きく依拠した福音を語る))でもあっただけに、功罪半ば、というところがあるように思います。これは、19世紀の中庸のダービーやWigramたちにも見られた傾向なので、ある面、この運動に特有のものかもしれません。

コメント王子の世代の方々は、この時代の異様さをライブで体験しておられないので、この種の特殊な預言解釈の問題を自己批判的な視点で、お考えいただけるとうれしく存じます。私のような人間は、愚者として歴史を繰り返す傾向がございますので。

コメントありがとうございました。

2009/9/9(水) 午後 6:14 [ kaw*muk*ih ]


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