|
ブラザレンの結婚式が、従来の集会(教会)から公民館などに移動したのは、日本人の結婚式の理解の変化に伴うものだと思います。
1950年代までは、基本的に結婚式は、家族のものでした。要するに、お嫁さんを家族に受け入れるのが、その当時の結婚式で強く意識されたことです。なお、この意識は、明治以降に確立されたものらしく、正確には伝統とは言い切れないようです。
その意味で、1950年代までのキリスト集会での結婚式の参加者は、せいぜい新郎、新婦の家族だけで行うのが通例だったようです(限られた伝聞情報に基づきます)。また、まだまだ、日本が貧しい時期でもありましたから、ど派手な結婚式が実施されていたわけでもなく、ちょっと豪華な料理が出る程度、というのが普通だったと思われます。まぁ、1950年代ごろからは、東京とか大阪への大都市の人口集中が始まっているものの、現在ほど地域間人口流動なんかが余りありませんから、新郎、新婦とも電車で日帰りの範囲の信者さん同士の場合が大半だったと思います。
それに、1950年代当時は、キリスト教=耶蘇(今ではほとんど聞かなくなった差別的な意味合いを用いて使われたキリストの信徒をさす言葉)ですから、家族との関係を切ってまで信仰を持った信者さんが多いので(家族との関係が断絶したことが適切であったかどうかは、ちょっと疑問ですが)、参加者がそもそも少なかった、というのもあるかもしれません。
1960年代に入り、高度経済成長が進められ、第1次ベビーブーマーたちが結婚適齢期を迎えていく中、地方財政もある程度余裕があった時代、また、東西冷戦の中、福祉国家が理想とされ、政党の種別に関係なく、地方自治体でも市民のための政策を打ち出す首長が続出する中(国政でも、ほとんど当時は差がなかったといってよいと思います)、各地で社会教育行政として、公民館、市民会館などが整備され、巨大なホールの建設や、結婚式場として使える公的会館が各地に建設されていったということもブラザレンの信者が、公的施設で結婚式を挙げるということの要因にもなったのだろうと思います。それも、結婚式に招く人が増えていく中で、参加人数が次第に増えてきたこともあるのだろうと思います。
1970年代に入り、高度経済成長がさらに拡大し、それに比例する形で日本の中での結婚式もお金がかかるようになって来ました。この頃から、結婚式場での結婚式スタイルが定着して行ったものと思います。しかし、質実剛健を旨とすることから、この段階でも、市民会館などでの公的施設での結婚式が継続されて行われたように思います。ホテルでの結婚式が一般でも始まったのがこの時期だろうと思います。
続きます。
|